第弐章 帰ってきた壱万円札

――その人は、若い大工さんでした。その人は、腹掛けのどんぶりに、私を折り畳まずにそのままそっといれて、おなかが痛いみたいに左の手のひらを腹掛けに軽く押し当て、道を歩く時にも、電車に乗っている時にも、つまり銀行から家へと、その人はさっそく私を神棚にあげて拝みました。

 太宰治『貨幣』



 私はこの小説に出演して以来、多少有名になったので、壱万円札ながらちょっと鼻が高く感じられるのはありがたい。


 冒頭から一点お詫び申し上げる。私は第壱章において、私たち紙幣の大切な仲間である弐千円札を黙殺していた。というか、そもそも弐千円札の存在を認知していなかった。私は今まで弐千円札に出会ったことがなく、外部からの指摘を受けて初めて弐千円札の存在を知らされ、弐千円札なんて印刷されていたのかよと仰天した次第である。弐千円札の世話人である紫式部女史には多大なるご迷惑をおかけした。この場を借りて深く謝罪させていただく。本当に申し訳ない。


 そのうえで人間たちよ、あなたがたのお許しをいただければ、気を取り直して物語を続けていくが、いかがだろうか。いずれにせよ私は図々しくも語るので、私の意思に賛同していただける方のみ、続編を観てほしい。


 それでは、始める。


 持ち主の老夫婦がひっそり暮らす田舎屋敷の庭先に、一台の車が止まって、続けざまにガチャ、バタン、ドアが開閉する音が聞こえる。


「おやっ、到着したかな」


 こたつでくつろぎみかんをむいていた爺さんが、むくっと立ち上がり、玄関まで足を運ぶあいだにピンポーン、チャイムの音が鳴る。


「はい、はーい」


 爺さんは昔懐かしいちゃんちゃんこを羽織っている。私はかの独眼竜の妖怪以外に、ちゃんちゃんこを着る人物を見たことがなかったので、初めて遭遇したときは生きた化石を見たような心地がしたが、この年末年始のあいだに田舎暮らしにすっかり溶け込み、オシャレの感覚に疎くなって、今ではちゃんちゃんこに対して何の感情も抱かなくなっている。


 玄関の扉を開くと案の定、訪問客たちは爺さんが待ち焦がれていた人々だった。彼らは耳の遠い爺さんにも聞こえるよう開口一番、元気で明るい声を届ける。


「おじいちゃん!」「お父さん!」


「「「新年明けましておめでとうございます!」」」


 爺さんの顔がほっこりほころぶ。


「かわいい孫たち、子どもたち、新年明けましておめでとう。さあさあ、外は寒いから早く家のなかにお入んなさい」


 私は人知れず溜め息を漏らす。


「ふわあ、都会のいい香りがするぅ」


 もちろん、私の声はこの場にいる人間たちの耳にはいっさい聞こえていない。都会の洗練された服装に身を包む訪問客たちが、わが故郷である花の都、東京の風を漂わせてくれたおかげで、私はまるで帰京したかのような気分に浸ったのだ。そして久々にオシャレの感覚を取り戻し、爺さんのちゃんちゃんこがやっぱりダサく感じる。


 私たち壱万円札は犬並みの嗅覚を持ち合わせている。仮に目隠しされても空気を扇いでクンクン嗅げば、それがどこの空気か一発で嗅ぎ分ける、言うなれば利き気の異能を有している。財布のなかにいるときは視界が閉ざされるから、嗅覚は生命線なのだ。壱万円札として生まれし者は、誰しも自然と嗅覚が鍛えられる。


 ところが視覚と聴覚と触覚は、人間並みの感度しか持ち合わせていない。味覚に至ってはそもそもどういう感覚かすらわからない。私たちは動かない。人間たちが動かしてくれるから。私たちはエネルギーを取り込む必要がないので、神様は私たちに味覚を授けなかったのだ。


 まあ、べつに味覚がなくたっていい。私たちには第六感が備わっているから。えっ、第六感とは何かって? 人間たちよ、それは私がいくら説明しても、あなたがたには理解できないだろう。私たちが味覚を理解できないように。だからお互いさまだ。私たち壱万円札は主に嗅覚と第六感で人間たちの行動を感知する、とだけご承知おきいただきたい。


 東京では今どんな服装が流行しているのかなあ? 訪問客たちを眺めていると、新緑のケヤキ並木が美しい春先の表参道を、ランウェイのように闊歩する若者たちとともに過ごした、懐かしい日々の思い出がよみがえってくる……いかんいかん、昔を回顧するのはクセになるからやめよう。ここは東京じゃない。私はいま福岡で生きている。いや、私は福岡で《今》を生きているのだ。


 そう、私は年末年始という《今》を初めて銀行の外で過ごしている! 去年までの年末年始はすべて銀行のなかで過ごし、ほぼ一週間も出不精だったのに。幸か不幸か毎年十二月下旬にお金の循環の周期が乱れて、私は絶妙なタイミングで二十八日に小売店から銀行に入金され、それっきり年明け一月四日の朝まで、銀行の奥の金庫のなかに閉じ込められてきたのだ。何もかも不可抗力に。


 約一週間も同僚たちと過ごすのは楽しい。金庫のなかはどんちゃん騒ぎになって盛り上がるし、空調がばっちり効いていて、湿気がなく快適だ。強いて言えば人気がないので暖房が効いていないのが難点だが、そこまで贅沢を言うつもりはない。


 でも私は生涯でただの一度でいいから銀行の外に出て、日本人が穏やかな気分で過ごすという年末年始を観察してみたかった! そして今回、何度目かの正直でようやく機会を得た。今の持ち主である爺さんが、去る十二月二十八日に筑邦銀行杷木支店の窓口で、私を含む壱万円札たちを十枚も引き出してくれたのだ!


 晴れて年末年始を銀行の外で過ごす私がまず注目したのは、正月特有の挨拶言葉の存在だ。先ほど玄関で聞いた、明けましておめでとうございますという挨拶がそれだ。全く耳慣れない日本語だったが、なかなか音の響きがよくて味わいがある。


 人間たちよ、あなたがたはいつも人と出会うと、おはようございますとか、こんにちはとか挨拶する。市場に出たばかりの頃の私は、それぞれ《早いですね》とか《今日は》とか、文字どおりの意味にしか認識できず、どうして人間たちはいきなり文脈を外すんだと首を傾げていたが、私もこの歳になってようやく読解力が備わってきて、挨拶というものに文字以上の意味を感じられるようになった。ここに至って、明けましておめでとうございますという挨拶を学び、言語の性質をよりよく知るための勉強になった。


 ああ、先月は腰を下ろす暇もないほど忙しかったから、正月休みくらいはゆっくり過ごしたい……。太陽暦の十二月のことを旧暦で師走と呼ぶらしいが、私たち壱万円札も、毎年十二月は文字どおり走るように各方面を飛び回る。特にこの時期はなぜか公共工事が急増し、土木作業員からコンビニのATMで引き出される。師走の風物詩であるが、謎である。どうして師走には駆け込み工事が増えるのか? 人間たちよ、その理由をわかりやすく教えてくれないか。


 さて、居間の長机にはおせちやお雑煮が豪勢に並び、親戚一同がそれを囲んでいる。大人たちにはお屠蘇を注いだ盃、子供たちにはジュースを注いだグラスが配られている。


 準備が整ったところで一家の主人である爺さんが、よっこらしょっと立ち上がり、


「改めて、新年明けましておめでとう。今年一年もみんなが健康に過ごせることを願って、乾杯!」


 と高らかにのたまって、盃を傾ける。


 そのあと、親戚一同は久しぶりの家族団らんを楽しむ。古風な家らしく、孫たちはいとこどうしで書き初めや凧揚げ、羽子板に挑んでいる。


「さあて、そろそろかわいい孫たちにお年玉をあげようかなあ……」


 ボソッとつぶやいただけだったのに。ホント、爺さんの声は消え入るように小さかったのに。


 にもかかわらず、幼い孫たちはお年玉という単語をけっして聞き漏らさなかった。庭先と居間は十メートルくらい離れているのに、これが地獄耳というやつか? 孫たちはすぐに爺さんのもとに集まって、年少順に一列に並んだ。


 そうそう、人間たちよ、実は私はいまお年玉袋のなかにいる。何を隠そう、今朝のこと。私は婆さんにアイロンがけされ、爺さんに袋詰めされて、袋ごと爺さんの腹巻きのなかに収まり、温められてきたのだ。そしていま私が入ったお年玉袋は、よちよち歩きの孫息子に手渡される。


 私たちが昨年末に銀行の窓口で引き出されたとき、行員が不審に思って尋ねたように、爺さんは振り込め詐欺に引っかかっているんじゃないかと心配だったが、杞憂だった。とんだ取り越し苦労ならぬ、年越し苦労だ。私はここに、お年玉という正月特有の贈与システムについて学習した。私たち壱万円札にとってお年玉は、人間たちの一富士二鷹三茄子のように、縁起のいいことかもしれない。


 思い起こせばこれまでの生涯は、土壇場でツキを逃すような縁起の悪い出来事をたびたび経験してきた。例えば、十一月に福岡で開催される大相撲九州場所で、私は懸賞金として千秋楽の結びの一番に土俵に上がることが内定していたが、横綱が不祥事で引退して反故にされたことがある。そのときの喪失感といったらもう、ハンパなかった。ああ、今年こそは良い年になりますように!


 お年玉を受け取った幼い孫息子は、居間でこの袋を横から見たり縦から眺めたりして、うまそうだなという表情をしている。いやいや、私は食べ物じゃないからな! どうかかじらないでくれよ、マジだからな。えっ……いやっ、やめて、やめて、ガブッ! ぎゃあああああああああ!


 私は袋ごと噛みつかれた。せっかく婆さんがアイロンがけして皺を伸ばしてくれたのに、体にくっきりと歯型が刻まれた。ああ、めちゃくちゃ痛い! 乳離れ用のとびきり苦いヨモギのすりおろしを、袋に塗っておいてほしかった。


 幼い孫息子はすでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うと、やはり横から見たり縦から見たりしている。体をねじ向けたり、手を延ばして年寄りが新聞を読むようにしたり、または窓の方へ向いて鼻の先まで持って来たりして見ている。早くやめてくれないと袋の中が揺れて険呑でたまらない。


 ようやくのことで動揺があまり激しくなくなったと思ったら、小さな声でキャッキャッキャッと言う。孫息子は袋の絵柄には感服したが、書いてあるお年玉という文字の意味が分からないので、さっきから苦心をしたものと見える。はたしてこんな小さい幼児に私の役割を理解できようか。


 案の定、私はすぐに見向きされなくなって、床にポイッと投げ捨てられる。すぐにこの子の両親に拾われる。他の孫たちも、老夫婦に見つからないよう、こっそり廊下に連行され、お年玉を没収されている。私は唖然とする。お年玉システムについての情報を修正し、お年玉とは子どもを経由して親に手渡される袋詰めの現金、と改訂する。


 ところで、私たちお金が単なる金属や紙切れや電子ではなく、価値を持っているということを、子どもたちが認識するのは何歳か? そのことは、言葉が単なる空気の振動ではなく、意味を持っているということと同じ頃に認識するのだろうか? うーん、いくら研究しても一向に答えは出ないし、これをもって人間たちはお金を理解したと判断する、具体的な基準があるわけでもない。


 やはり私はジュリエットひとりすら作れない哲学を勉強するより、日々実践するほうが向いている。実践とは、私を受け取る人間に喜んでもらい、私を手渡す人間に気前よくいてもらえるよう、私自身が努力するということである。


「わあ、ありがとう。おじいちゃん、大好き!」


 と、さっき孫娘が愛情たっぷりに表現していたとき、私はお年玉としてのやりがいを感じた。爺さんもこちらこそありがとうと喜んでいたのが印象的だった。これがまさに金銭授受の理想形である。


 こいつ、お金に飛びついてきてガツガツしているなあ、とか人は思ったり思われたりしない。そんな心配は無用である。


 ところが人間たちよ、あなたがたは成長するにつれ、お金を受け取る際に罪悪感に苛まれ、お金を手渡す際に優越感に浸るようになる。子どものうちはそんな感情つゆ知らずなのに、あなたがたは後天的にその感情を身につける。


 まずは罪悪感。謝礼を受け取る大人たちの態度は異常である。


「少ないですが、こちらを差し上げます」


「いえ、こんな大金いただけません。どうかお引き取りください」


 といったん断る。自分を卑下して、お金の受取を躊躇するのだ。十分に仕事した自信があれば、ためらう理由などどこにもなかろうに。


「いやどうかお納めください」


「いえいえ本当に受け取れません」


 という押し問答を何度か繰り返して結局、


「ではお言葉に甘えて頂戴いたします」


 と、しかたなく受け取るふうを装う。やっぱ受け取るんかい! 実に醜くて長ったらしいやり取りだ。


 しかも受取人は、お金を人気のない場所まで運ぶと、人が変わったように札束をつかんで、ぐへへへへへとニンマリする。これはもう、ちゃぶ台をひっくり返したくなる。人間たちよ、お金が欲しいのか欲しくないのか、どっちなんだ? 


 次に、優越感。支払い能力の高さを見せびらかすようにお金をポイっと投げ捨てたり、お金をえさに相手に服従を求めたりする大人たちのことだ。


 そういう目を覆いたくなるほど下品な奴らは、ヤクザを見習ったほうがいい。私は一度ヤクザの財布のなかに入ったことがあるが、彼らのお金の使い方は天下一品だ。ヤクザの親分が子分を連れて外食したとき、会計時に親分は自分の財布を下っ端の子分に託し、全員ぶんの支払いを委ねていた。そこにはまぎれもなく仁義と呼ばれる親子の愛と信頼があり、優越感など何らなかった。彼らにとって人を愛するとは、相手と財布を同じくすることなのだ。


 すべての男たちよ、見習うべきはこの愛の作法だ。意中の女を口説くとき、素敵な夕食をご馳走するだけではなく、勇気を持って財布ごと渡してしまいなさい。すべての夫たちよ、夫婦で一つだけの財布を持ち、夫と妻のそれぞれが必要な金額を日々取り出しなさい。そしたら夫婦生活は円満となり、夫婦はどちらかが天国に行くまで添い遂げる。


 逆に、夫婦が離婚に向かうときは、別居よりも先に割り勘が起こる。夫婦がそれぞれ別々の財布を持つと、どちらも好き勝手にお金を使うようになり、関係がギクシャクし始めるのだ。


 あっ、くれぐれも勘違いしないでほしいが、私はヤクザまたは暴力団の仕事を肯定しない。極悪非道なお金の稼ぎかたは言語道断で許せない。ただ、ごくたまにお金の支払いかたが立派だと言いたいだけだ。


 翌日、お年玉の私を回収して新たな持ち主になった孫息子の家族は、朝倉という地域にドライブに出かけた。筑紫平野が見渡すかぎりに広がり、近くには一級河川の筑後川が流れている。用水路には江戸時代初期に築かれて現在も実動する、日本最古の三連水車が備え付いている。二〇一七月七月の豪雨で大量の土砂が流れ込んで損壊したが、現在は復旧している。


 そんな灌漑史跡の前で父親が合掌し、


「豪雨が故郷を襲っているとき、洪水が故郷に押し寄せているとき、私は東京にいてテレビのニュースを眺めているだけで、何もできませんでした。復興ボランティアにも行けませんでした。せいぜい義援金を送っただけでした。本当にごめんなさい……」


 と謝罪している。お金に対する罪悪感が極限まで達し、お金を渡す際にも苦しまされるとは困ったものだ。お金は穢らわしくない! この男にとって、義援金を送ることは社会貢献ではなかったのか?


 私は居ても立っても居られず彼に説教する。


「お金は愛の結晶だ。おまえは故郷に十分すぎるほどの愛を送ったのだから胸を張りなさい!」


 人間たちよ、私たちお金のことをもっと信用してほしい。この男の義援金はお金の誰が担当したのかわからないが、きっと故郷を想う彼の思いを、ひとつ漏らさず故郷に届けてくれたはずだ。彼は誰かを想って送金し、確実に何か貢献したのである。


 義援金には愛がある。かつてオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖に沈没したとき、乗組員たちに寄せられた初めての義捐金のときからそうだった。お金の沽券に関わるこの真理を、私は声を大にして言いたい。


「「「壱万円札の言う通りだ。みんなはおまえにとても感謝しているぞ。だからもう泣いてくれるな!」」」


 えっ!? 声が聞こえた方向を見上げたら、魂が空に吹きわたっているような感触を、私の第六感が感じ取った。だが今はもう感じない。空耳だったのかなあ……。


 私はその後、久留米の岩田屋に連行され、子供服売り場で福袋と交換された。ひょっとしたらこの家族と一緒に東京に帰れるんじゃないかと期待していたが、そうは問屋が卸さなかった。


 とはいえ、本来の受取人であるかわいい孫息子のために私が使われて、とりあえずは一安心だ。これで老夫婦も浮かばれるだろう。


 私はお年玉システムについての情報を再び修正し、お年玉の定義を改めた。正しくは、子どもたちを経由して彼らの親たちに手渡され、子どもたちのために使用される袋詰めの現金である。謹んで訂正させていただく。冒頭だけでなく末尾もまたお詫びする事態となって、非常に申し訳なく思う。

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