第壱章 私は壱万円札である 2

 私は娼婦である。源氏名はまだない。


 誤解しないでほしいが、私が自分自身のことを娼婦だと言うのではない。人間たちよ、あなたがたの生み出した孤高の天才が私のことを娼婦と呼んだから、ちょっとおどけてみただけだ。驚かせて悪かったな。おそらくあなたがたのほとんどがその天才の名前を一度は聞いたことがあるだろう。カール・マルクス、代表作『資本論』が有名な人物である。


 彼は若干二十六歳のときに著した『経済学・哲学草稿』で、


【お金はどこにでも登場する娼婦であり、どこにでも登場する人間と国民の仲介役である】


 と述べ、私たちの性質について、


【お金がわたしを私の生活に結びつけ、わたしと社会とを、わたしと自然や人間とを結びつける絆だとしたら、お金はすべての絆の絆ではないのか。それはすべての絆を解いたり結んだりできるのではないか。とすれば、それは一般的な分割手段でもあるのではないか。それは真の結合手段であり、社会の電気化学的な力であるとともに、真の分離貨幣(補助貨幣)でもあるのだ】


 と述べている。あまりにも難解すぎて、当事者の私ですら内容を理解できないが、とにかくすごいらしい。現代の二十六歳の研究者にこんな大胆で情熱的な文章が書けるだろうか? 現代人は今こそマルクスを見習うべきだと思う。


 ところで、お金は娼婦であるという言説そのものは、実はシェイクスピアの『アテネのタイモン』からの引用だ。二十九歳でデビューした遅咲きの劇作家は若かりし頃、お金に困窮して夜逃げを繰り返したという。彼が娼婦というたとえで観客に伝えたかったのは、お金が俺を魅了して俺は破滅させられた、だからみんなも気をつけろよ、ということではないか? 


 と、ここまで私が娼婦について言及してきたのは、たった今までの持ち主の男がそういう店に遊びに行ったからである。異性にモテないその男はそういう店に入場すると、受付で入浴料を支払い、待合室に案内されて、女の子の準備が整うまでの時間を悶々と待った。しばらくして黒服の従業員から呼び出され、ドレス姿の女の子と対面し、女の子とふたりでそういうことをする部屋へと移動した。すっかりたくましくなって雄に目覚めたその男はそういうことをする前に、財布から私を取り出し、女の子に手渡した。そして、女の子とそういうことをした。


 私たちには性別がない。貨幣はフランス語で女性名詞に分類されるが、実際問題として私は女ではない。男でもない。だから私は、なぜ男女があの場の営みの意味がよく分からなかった。よって叙述は、ここまでとしよう。


 私は午前〇時で仕事が終わった女の子とともにタクシーに乗り込んだ。彼女の財布のなかでたくさんの壱万円札たちと出会った。全員が新任で今日やってきたばかりだという。こんなにたくさんの同僚と相席するのは久しぶりだ。現代人はとにかく大金を持ち歩かないからだ。


 しかし、壱万円札の全盛期はそうでなかったと聞く。高度経済成長期にはサラリーマンの給料は現金で支給されていた。その頃の壱万円札は聖徳太子が肖像で、サラリーマンは満面の笑みで給料袋を受け取り、家に持ち帰って神棚や仏壇にお供えしたという。もはや崇拝に近い。これが本当の拝金主義だ。


 ところが、昭和四十四年に壱万円札の華麗なる栄光は一気に失墜する。白バイ警察官を装った泥棒が、東芝府中の社員たちの給料を積んだ現金輸送車を襲撃した三億円強盗事件。犯人は未だに見つからず、二十世紀の未解決事件の一つになっている。この事件をきっかけに、企業や役所はサラリーマンの給料を銀行振込するようになり、サラリーマンは通帳と印鑑もしくはキャッシュカードと暗証番号を持って、現金を小まめに引き出すようになる。私たち壱万円札の覇権は銀行振込に奪われていった。


 ほぼ同時期に、クレジットカードという外来種がアメリカから上陸した。奴らは決済金額を月極めで銀行口座から引き落とす信用払い制度を導入し、かつては私たち壱万円札のお得意さんだった富裕層を囲い込んだ。クレジットカードはお金持ちのステータスになり、私たちが彼らの決済に従事する機会は激減した。高額決済からの立ち退きを命じられた私たちは、しかたなく少額決済へと避難した。クレジットカードや銀行振込は、結託して私たちを市場から締め出したのだ。ああ、恨めしい!


 タクシーが女の子の家にたどり着くと、彼女は私以外の壱万円札をパッと運転手に手渡した。こんな金払いのいい子は久しぶりだ。支払い風景を眺めていて、若いのにしっかりしているなあと微笑ましかった。彼女みたいな若者は生まれてからずっと不景気だから、こういうお金の使い方を親から教えてもらえなかったはず。同世代の若者はタクシーなんてほとんど乗らない。いや、乗れない。若いうちにこんな経験を積む彼女はきっと大物になるだろう。いや、なってほしい。どうかいっぱい私たちを貯めてくれ!


 きっと彼女を人間的に成長させたのは不況の厳しさだと思う。好景気の時代に生まれていたら、甘やかされて育ったかもしれない。彼女は不況に生まれてよかったのだ。私は好景気が嫌いである。人間たちがいい気になって、私たち壱万円札のプライドをズタズタにするからだ。


 日露戦争後に迎えた大正の好況期には、料亭の暗い玄関で芸者が客人に差し出す靴を見つけられずに困っていたとき、成金と呼ばれた馬鹿野郎どもが、私たちの先祖をたいまつ代わりに燃やし、


「どうだ明くなつたろう」


 と、ぬかしやがった。しかもあろうことか、後世の人間たちは当時の光景を描いた風刺画を、歴史の教科書に採択したのだ。私はご先祖様の火あぶりの図がただちに取り下げられるよう、文科省の官僚どもに陳情している。


 時は流れて昭和末期のバブルの頃、東京の六本木では週末になると、帰りのタクシーがつかまらなくて困った人間たちが、壱万円札をむき出しのまま指先でつまみ、これ見よがしに腕を大きく振って運転手に止まれの合図を送った。人間たちよ、恥を知れ。私たちは目印ではない。実は、このときの怒りが私たちの先輩たちをして神様に直訴し、〈失われた二十年〉という天誅を下したのだぞ。もっと謙虚に生きなさいという神様からの愛のムチだ。身をもってそれを感じなさい。もっとぶってと愛を求めなさい! 気持ちいいですと叫んでのたうち回りなさい!


 ……度が過ぎてしまって申し訳ない。私の内なるサディスティックな本能が開花したようだ。冷静さを取り戻すために少し真面目な話をしようか。


 そういえば、私の生い立ちをまだ話していなかったから、その話をしよう。私が生まれたのは令和元年の夏である。その十四年前の平成十七年には壱万円札が約二十五億六千万枚も発行されたが、翌十八年は十三億八千万枚とおよそ半減して、それ以降は十億枚台前半で低迷し、私が生まれた年は最後の十億枚台の年だった。実は人間たちと同じように、私たちもまた少紙幣化の真っ只中にいてずいぶん苦労している。好景気は人間たちが傲慢になって嫌になるが、不景気も私たちの仕事が無くなって嫌になる。私たち壱万円札にとっては未曾有の冬の時代が続いているのだ。


 しかし私は自分の境遇を恨んでいない。なぜならば後輩の壱万円札たちの多くは、より少紙幣化した時代に生まれたので、揺りかごから墓場までの一生をほとんど不景気のなかで過ごしてしまいそうだからだ。彼らを思えば、どんなに辛いことがあっても、彼らよりはマシだと思えて何事にも幸せを見出せる……ふう、だいぶ興奮が収まってきた。


 翌朝、私は女の子の財布に入れられたまま家を出る。彼女は財布をかばんに入れて携帯し、最寄駅へと向かっている。かばんのなかで私の大好きな香水の匂いがして、私はすごく心地のいい気分に浸る。


 実は、私が市場にデビューして一発目の仕事は、東京の外資系ホテルの宿泊費に当てられることだったが、支払われてそこのレジに収納されると、ほんのりいい香りが漂ってきたのをよく覚えている。なんだこれと思ったら、ホテルの従業員が千円札や五千円札に香水を吹きかけていた。紙幣たちは全員が新入りで、丁寧に封筒に包まれておつりとして宿泊客に手渡されていた。なにぶん初仕事なので、おつりには香水を吹きかけるのが習慣なのかと早合点したが、それが大きな間違いであることに次の次の仕事先で気づいた。


 今は昔、高級ホテルのレジで嗅いだのと同じ匂いがかばんのなかで香って、私は一抹の懐かしさを覚える。このままずっとここで過ごしたいなと思った矢先に、駅の自動改札機がピンポーンと鳴って、私の淡い空想はふっと遮られる。


 どうやら電子マネーの残高が不足していたようだ。女の子は自動券売機の前に移動して交通系ICカードを挿入し、チャージ金額一万円をタップすると、数ある同僚のなかから私が選ばれて投入される。


 魂を抜き取られる、電子マネーのチャージに当てられるときはいつもそんな気分がする。貨幣決済法で前払式支払手段と呼ばれる電子マネーは、現金とは複式簿記で表裏一体の関係にあり、たとえば交通系ICカードにチャージされると、鉄道会社の貸借対照表で資産の部に現金が計上され、負債の部に前受運賃が計上される。よって厳密には電子マネーは運賃であってお金ではないが、実質的にお金の役割を果たすのかと思うと、私は妙な喪失感に陥る。


 誤解を恐れずに言うと、電子マネーは半分味方で、半分敵である。私たち紙幣を使ってチャージされるかぎりは共存共栄するので味方だが、クレジットカードから直接課金されれば私たちは決済のパイを奪われるだけなので敵だ。


 しかし元はと言えば私たち紙幣も過去に、電子マネーと同じようなことをして硬貨を追いやった。だからこれは因果応報、ブーメランだ。私たち紙幣が偽造防止技術を向上させ、硬貨の存在を脅かしたように、電子マネーは改ざん防止技術を向上させ、私たち紙幣の存在を脅かしつつある。いつの時代も、グレシャムの法則がいうように、悪貨が良貨を駆逐するのだ。


 それでも私たち壱万円札はまだまだ頑張っているほうだ。日本では現金決済が決済全体の七割弱を維持している。お隣の韓国ではとっくに一割を下回っているのに。アメリカでは半分強まで低下し、壱万円札の盟友である百ドル札がだいぶ苦しんでいる。しかし彼らの場合、本国が世界経済を牛耳っているおかげで、いまなお基軸通貨として海外で活躍している。


 むかし持ち主が海外に渡航するとき、私は成田空港で当地の通貨ではなく、ドルに両替されたことがあった。内戦の傷跡が残る国などでは自国通貨が信用されず、ドルが重宝されるとのこと。私たち壱万円札が国民から愛されているのは、日本が平和であるおかげだ。先人たちが流した血と涙に想いを馳せ、改めて哀悼の意を表したい。


 私は自動券売機から西日本シティ銀行博多駅東支店に転送され、いつもどおりATMを通じて新しい持ち主の手に渡った。今回は福岡に旅行に来た外国人の男から、クレジットカードのキャッシング機能で引き出された。旧来のトラベラーズチェックのような引き出され方は初体験だ。クレジットカードのことを脅威とみなしていたが、実は奴らとのこういう連携もあったのか。けっして友好関係を築けない相手ではない、奴らとの関係を見直してもいいかなと思えた。


 男はパスポートから判断するにインド国籍を有するようだ。INDIA! 私たち紙幣を震撼させたあの事件の記憶が脳裏をよぎる。


 二〇一六年十一月八日、インドで起きたあの事件を私は一日たりとも忘れたことがない。現地時間午後八時、インドのモディ首相が突然テレビ画面に現れ、明日九日から千ルピー札と五百ルピー札を廃止すると国民に宣言したのだ! 日本に置き換えたら、壱万円札と五千円札を今から四時間後に廃止します、と宣言するような衝撃の事件だ。私は友達の友達のルピー札がいきなり死刑宣告を受けたということを、大変な驚きをもって受け止め、自らの終焉をも予感した。もし私たちが同じような目に遭ったらどうなるか。あと四時間の命。私は迫り来る死の恐怖に苛まれ、とても気が気じゃなくなるだろう。


 私は命の限りを想うとき、シルビオ・ゲゼルというドイツの経済学者が提唱した自由貨幣を連想する。一定の間隔で設けられた時限を迎えると、そのたびごとに価値が逓減していく貨幣のことだ。実際にオーストリアのヴェルグルという町で紙幣の形で導入され、毎月初めに印紙を貼らなければお金として使用できなくする方式を採ったので、スタンプ紙幣と呼ばれた。多くの人々はその時限を迎える前に消費したので、町の経済が活性化され、ヴェルグルの奇跡と呼ばれる好景気がもたらされたが、オーストリア中央銀行に訴えられて発券禁止処分が下されると、町は一転して不景気に苦しめられた。


 人間たちよ、あなたがたも前のめりで頑張りすぎると、いつかバタッと倒れてしまうだろう? それと同じだ。現在、ドイツのキームガウアーという地域通貨がフィンテックを駆使して再びゲゼルの理論を応用している。たしかに経済が現在の日本のようにデフレの局面にあるときは、人々の財布の紐を緩めるためには有効かもしれない。

 しかしなあ、自由貨幣は日本人には向いていないと思うぞ。ただでさえ時間に厳しい日本人。電車は定時にやってくる。仕事の納期は守る。時間を守るためだったら何でもやる国民性だ。この上さらに貨幣に時限が設けられたら、より窮屈な生活になるだろう。べつに、導入に反対するわけではないけれど。ボソッ……ま、自由貨幣は私たち紙幣にとって時限爆弾のようなものだ。放っておけばいつか〇円になり、印紙を貼られるたびに生き返ってホッとするなんて、想像するだけで冷や汗が出る……あ、いや、何でもない、独り言だ。


 話を戻そう。紙幣の廃止はなにもインドだけにとどまらない。EUはすでに五百ユーロを廃止しており、世界的にその動きは加速している。北欧のクローネ三兄弟も然りだ。


 世界が紙幣の削減に突き進むのは、紙幣による違法な取引を排除するためだ。マネーロンダリングを日本語訳すると資金洗浄らしい。ふざけるな! 私たちはけっして汚くない。人間たちよ、汚いのはあなたがたの心だ。


 私たち壱万円札が市場から消えるのは時間の問題である。ルピー札やユーロ札の教訓を機に、私はいつ死んでも後悔がないように覚悟を決めた。遅かれ早かれ私もいつかは日本銀行に還って処分されるから、今のうちに覚悟を決めれば、余生を大事にして今を精一杯に生きられるはずだ。


 インド人旅行者は家族を連れて、福岡の観光名所である太宰府天満宮を訪れた。私は大金ながら彼の子どもに持たされている。きっと大金持ちの一家なのだろう。うわぁ、危ない! 私は寸前のところで賽銭箱に落ちなかった。あーおっかねー。こら! 私を賽銭箱に投じるのは菅原道真公もお喜びになる行為だろうが、お父さんに怒られるぞ! 地震雷火事親父だぞ! ほんっとうにもう、子どものいたずらには迷惑千万、壱万円だ。頼むから私を紙飛行機にするなよ。あ、そういえば、道真公は西暦九三〇年に清涼殿に雷を落とし、大地を震わせ、殿閣を焼いた最恐のお館様で、怒らせたらまずかった! 逆にここは自ら進んで賽銭箱に投じられるべきだったな。


 子どもはなお好奇のまなざしでじろじろ私を眺めている。とりわけ私の体の左上部分の四つの0に目が向いている。まあ、そうだよな。もともと一万という単位でお金が流通すること自体が世界的に珍しいのに、千ルピー札と五百ルピー札がなくなったら、なおさら珍しく感じられるだろう。日本でも戦前までは銭という単位があったが、当時の金銭価値まで円をデノミしたら、日本のお金の数量感覚は、現在の世界標準とそろうかもしれない。


 デノミと言えば、ドイツのレンテンマルクが有名だ。第一次世界大戦に敗れて多額の賠償金を課せられたドイツでは、自国通貨マルクがハイパーインフレに陥り、ハピエルマルクという高額紙幣を導入しても事態は収束しなかった。そこで政府は新通貨レンテンマルクを発行して、一対一兆というとてつもないレートでハピエルマルクと交換し、デノミを断行した。レンテンマルクは法定通貨ではなく、しかも、国内の土地に対して設定した地代請求権を本位としながら土地との兌換ができず、単に土地と結びつけられただけの実質的な不換紙幣だった。にもかかわらずインフレを奇跡的に収束させた! あのときのデノミを日本でも再現したいと思ったが、今の日本はデフレだから難しそうだ。


 その後インド人家族は西鉄電車に乗って天神に戻り、家電量販店に立ち寄った。大人たちはどの商品を爆買いするか、価格を見ながら検討している。べつにインド人に限らず広く一般に見られる光景だが、私にはどうも好きになれない。


 高校の現代社会で学習する貨幣論では、お金には三つの機能があることを教えている。交換の手段、価値の尺度、価値の保存の三つだ。ところが私はこの三つの機能のうち、価値の尺度だけが承服できない。大人たちが今まさに行使している最中のそれだ。


 交換の手段は分かる。実際に私はさまざまな商品やサービスに対するお礼として交換されている。価値の保存も分かる。いつだったか私は女の持ち主にヘソクリと呼ばれて、タンスの奥深くに半年くらい眠らされたことがある。ある日、私はしばらくぶりに陽の目を見ると、デパートの紳士服売り場に連行され、ネクタイと交換された。ネクタイはその後、きれいに包装されて愛する伴侶への誕生日プレゼントになったようである。それを知ったときは、半年眠るのも悪くないなあと感慨深く思ったものだ。

 ところがだ。私は価値の尺度だけはどうしても理解できない。私は断じてものさしではない。二十本入り千二百円の単三乾電池が、十二万円の4K有機ELテレビの百分の一の価値しかないなんて思わない! どうして人間たちは何事も価値で比較したがるんだ? 何かいいことでもあるのか?


 人間たちが恐ろしいのは、価値の尺度を物に振りかざすだけではなく、ときに人間自身にも振りかざすことだ。価値の尺度は切れ味のいい包丁だぞ。物を切るぶんにはまだ使い勝手がいいから、例えば、みかんがりんごに比べて高騰しているから今夜のデザートはりんごにしましょう、というのは許せる。本当はみかんもりんごも比較されてブチ切れているとは思うが。


 だが、人間に向けた価値の尺度の包丁は凶器と化すぞ。今時の若いモンはワシらの若い頃に比べてなっとらんとほざき、昔の価値観で若者をさばくご老体。親の価値観を押し付けられて自分はダメな奴だと思い込み、どんどん落ち込んでいくかわいそうな子どもたち。とにかく人間社会には価値観の不正利用が横行している。その最たる例が、人間たちがお金に求める機能の一つ、価値の尺度だ。


 私たち壱万円札は一つの商品に対して何枚あるいは何割使われようとも、例えば、金額が五万円だからお札が五枚使われて喜びは五倍だとか、五千円だから半分だけ使われて喜びが二分の一だとか思わない。ひとえに売り手と買い手の喜ぶ顔を見てうれしいと思うだけだ。電池は電池、テレビはテレビなのだ。ほら、〈天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず〉という名言があるじゃないか。天は電池とテレビのあいだにも上下関係を作らなかった。私の信念を代弁するこの名言を遺してくれたのは、日本人なら誰もが知るあの先生だ……あれっ、名前が出てこない、誰だっけ。うーん、ど忘れしてしまった。


 インド人家族と別れた翌日、私はJR鹿児島本線特急ソニックに乗って所在地を北東に移す。博多駅を出発して、遠賀川のそこそこ長い鉄橋を抜けると折尾駅だった。


「駅弁さあん、駅弁さあん」


 プラットホームで美味しそうなかしわ弁当にこまめられてから、特急にちりんに乗り換えて、黒崎駅に停車、スペースワールド駅を通過、最終的に小倉駅で下車すると、井筒屋から北九州銀行本店を経て、日本銀行北九州支店に搬送される。


 ここで私は奇跡的な再会を果たす。大阪支店に次いで日本で二番目に開設され、のちに日銀総裁・総理大臣・大蔵大臣に就いて二・二六事件で殺害される高橋是清が、初代支店長を務めたのが日銀西部支店。これを前身とする日銀北九州支店。そんな由緒正しきお金の聖地で、私は、宝くじで一等が当たるくらいの確率で、私は、


「FP878423Fくんじゃないか!」


 あの懐かしのBP161452Sさんと再会したのだ!


「あっ! BP161452Sさんじゃないですか! これはこれは、どうもお久しぶりです。多忙なサラリーマンの圧迫された財布のなかで辛抱強く耐えに耐えて、二枚一丸となってレジに脱出して、そのまま一緒に銀行まで行って、そこでお別れして以来ですね。まさかこんなところで再びBP161452Sさんのお目にかかれるなんて、思いもよりませんでした」


「僕もだよ。神様、最期にFP878423Fくんと再会させていただきまして、ありがとうございます」


「えっ、最期? それはいったいどういう意味ですか?」


「まあ、再会したばかりでこんな話をするのもアレだけど……まもなく僕はきみだけでなく、僕自身ともお別れしなければならないようなんだ……」


 ! 私は悟った。


「そう、僕はお役御免になりました。今日で壱万円札を卒業します。人間の言葉に言い換えたら……死ぬってことかな」


 BP161452Sさんは無に還る。先輩がいなくなる代わりに、別の新しい一枚が刷られて世に出回る。日本銀行で産声を上げた私たち壱万円札が日本銀行に還るというのはそういう意味なのだ。


 私たちは仕分けされる。まだ使える壱万円札と使い古された壱万円札に。私はまだ使える壱万円札に仕分けされて、どこかしら市中の民間銀行に戻ることになったが、BP161452Sさんは残念ながら、まだ使える枠から落選したようだ。


 BP161452Sさんは廃棄されて、新しい壱万円札と取り替えられる。いや、もしかしたら新規発行はなく、一枚の壱万円札が姿を消すだけかもしれない。ただでさえデフレが長引いて紙幣がだぶつき、キャッシュレス化する世の中だから。


「僕はトイレットペーパーにでもリサイクルされるのかな。神様、素晴らしい一生を僕にお与えくださり、どうもありがとうございました。四、五年で入れ替わるのが壱万円札の宿命なのに、僕は六年も長生きしました。悔いはありません。六年間を生き切りました」


「ああ、後生ですから嘘だと言ってください。あなたがトイレットペーパーになるなんて嫌だ」


「そんなに悲しまなくたっていいさ。この世は輪廻転生。僕は生まれ変わって、いつかまた市場に帰ってくる。どんな形をして生まれてくるかはわからないけれど。また壱万円札かもしれないし、千円札や五千円札かもしれない。はたまた硬貨かもしれない。ポンドや人民元かもしれない。ひょっとしたら仮想通貨かもしれない。FP878423Fくん、ありがとな。最期の最期に君と再会できてうれしかったよ。もし僕が本当にトイレットペーパーになったら……僕は他ならぬ君にこそ買われたい」


「私が絶対にあなたを買い占めます」


「おう、その意気だよ。オイルショックを彷彿とさせてやれ」


「BP161452Sさん、本当にお疲れ様でした」


「ありがとう。またいつか、別の星で、会いましょう」


 私もそう若くはない。あとどれだけ生きられるかわからないが、この世を去るときはBP161452Sさんのように、若い壱万円札たちに看取られながら、惜しまれつつ去るようでありたい。


 そのためには心を入れ替えなきゃ。日頃から他の壱万円札のことを想い、感謝の気持ちで接する、その積み重ねだ。


 タメ口なんか、口が裂けても訊かないぞ!

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