第3話Ep9.モモカフレンド/サトルクエスチョン
四月二十二日、金曜日。
昼休み、午後十二時四十分。一般棟廊下。
友人に手を引かれて歩いていた
「おい、どうしたレオラ。昼休み終わっちまうぜ」
その言葉と同時に昼休み終了の予鈴が鳴る。レオラは「まだ五分あるよ」と微笑み、手を引いていた友人――
モモカは背は低いものの、態度と存在感は人一倍だ。中でも勝気な瞳はいつも他者を圧倒する光を浮かべ、大抵の人はそれに耐えきれず下を向く。
けれど――今回だけは、モモカの方が先に顔を逸らした。
レオラはそんな彼女を見て大きく息を吸う。そして――深々と頭を下げた。
「モカちゃん、ごめんなさい! コナちゃんがいなくなったの――本当は全部私がやったの!」
「なん、で――」
謝られたというのに、モモカはたじろぐように半歩下がった。化粧をしていなければその顔が青ざめたのがわかったはずだ。
けれど頭を下げたままのレオラはそれに気付かず、そのままの勢いで話を進める。
「本当は水曜日の昼休みにコナちゃんにジュースこぼしちゃって……。拭いたんだけど、モカちゃんが戻ってきた時にすぐ謝るべきだったよね、本当にごめんなさい! それで、その時はきれいになったと思ったんだけど、その後まだ汚れてるのに気が付いて……。その時にも言えばよかったんだけど、最初にこぼしたのを言いそびれたからなんだか言いづらくて……。それでこっそり持ち帰って洗うことにしたの。モカちゃんがコナちゃんを大事にしてくれてたの知ってたのに、こんなことして……。モカちゃんが怒っても当然だよね、本当にごめんなさい!!」
何と言われるだろう。どれだけ怒るだろう。
早口で長文の罵詈雑言で撃たれるのをレオラは覚悟した。
(けどっ、ちゃんと話さなかった私が悪いんだし……! いまは何と言われてもいい、けど――。この後もモカちゃん、友達でいてくれるかな……)
頭を下げたまま目を瞑ってそう思い――、けれどモモカは何も言わなかった。レオラは恐る恐る顔を上げて彼女を見た。
「モカちゃん――?」
(どうしよう、言葉も出てこないくらい怒ってる――!?)
「……んだけ」
「え?」
聞き返すレオラに、
「んだけかよ」
と、モモカは小さな声でそう言った。
下を向いた彼女の顔は前髪に隠れてよく見えない。レオラはよくわからないまま頷いた。
「そう、いまので全部。ごめんなさい、ジュースこぼしてそれを隠すとか最低だよね。自分でもそう思うし、言い訳をするつもりはないよ。モカちゃんは怒って当然だし、それで気が済むならどんなに私を罵っても構わないから――」
下を向くモモカを直視できないままに紡いだ言葉は、
「よかったあぁぁ~~~~!!!!」
飛びついてきた彼女に抱きしめられて流れを止めた。
レオラは思わず長いまつげに縁取られたモモカの瞳と目を合わせた。カラコンでヘーゼルナッツ色になったそれは――なんだかうるんでいるようにも見えた。
「え? え?? モカちゃん??」
状況がよくわからないまま、とりあえず彼女の小さな背中に手を回す。レオラを包んでいた力もギュッと強くなる。
「よかった、よかったぁ……。あーし、もしかしたらレオラがいじめられたんじゃないかとか……誰かにあーしの持ち物取ってこいって脅されたんじゃないかとか……。ほら、あーしこんなんだから、いろんなヤツから嫌われてるし……。それか、もしかしたら……」
モモカはレオラの肩にギュッと頭を押し付けた。か細い声で、
「もう、あーしに愛想尽かしたんじゃ、ないかって……」
「…………ああ」
レオラはようやくこの友人が何を恐れていたのかわかってきた。小さく笑って彼女の頭を優しく撫でる。
「あはは。モカちゃん、頭いいのにばかだねぇ。私がモカちゃんのこと嫌いになるわけないよ。覚えてる? 中学で同じクラスになって、私が変な名前っていじめられた時にさ、モカちゃんだけはそんなことないって言って他の子に怒ってくれたじゃん? モカちゃんむかしはずっとおとなしかったのにさ、それでも立ち上がってくれた。それで、その後もずっと一緒にいてくれた。嫌いになるわけないじゃん!」
「ほ、ほんと……?」
モモカが顔を上げる。カラフルなヘアピンがささった前髪はまだ不安げに揺れていて――レオラはそれを吹き飛ばすみたいに笑顔を作った。
「本当だよ! そりゃあモカちゃん口悪いし、高校デビューですっかり変わっちゃったけど……それでも私と一緒にいてくれたじゃん。それにさ、モカちゃんがコナちゃんのこと大事にしてくれてるのも知ってるよ。高校の合格祝いで私があげたやつ。おそろいで、私は汚れるの怖くて家に置いてるけど……モカちゃんは鞄の一番目立つところに付けてくれてる。もしかしたら今まで言ってなかったかもだけど、それ、すっごく嬉しかったんだぁ。……それで余計に、汚しちゃったの気まずくて言い出せなかったんだけど……。ともかく!」
モモカの肩を掴んで彼女の目を真っ直ぐに見る。
「私はモカちゃんのこと嫌いになったりしない。私たち、ずっと友達だよ!!」
♢ ♦ ♢
四月二十二日、金曜日。
昼休み、午後十二時四十分。校内渡り廊下。
「レオラ先輩が言いだせたのなら、今ごろふたりは仲直りしてるんですかね……」
渡り廊下を歩きながらサトルはそう呟いた。隣を歩く後輩が「だといいですね!」と明るく返してくる。
「でもサトル先輩、今回もすごかったですね! もしクルキタ先輩とモモモク先輩が仲直りできたなら、コナちゃん失踪事件の真相だけじゃなく、モモモク先輩の本当の悩みまで解決したってことじゃないですか! 一回でふたつ解決したってことですよ! やっぱ憧れるなぁ~!」
モモカさんはわかった上で聞いてきたんだから別に解決も何もないですよ。そう答える自分の声がなんだかひどく遠く感じる。
原因はわかりきっている。
「憧れ」。
カイがその言葉を向けるたび、自分はそんなに立派な人間ではないとずるずると気分が落ちていく。
後輩は変わらず自分を褒め続けていたけれど、とうとうサトルはいたたまれなくなって口を開いた。
「……カイくん。憧れが理解から最も遠い感情だとしたら、その反対はなんだと思います?」
「えっ……?」
突然の問いにカイは口を噤んだ。いきなり聞かれて驚いたのもあったけど、それ以上に、その質問は咄嗟に答えるには難しかったから。
だから黙って答えを考えようとして――けれどサトルはカイの答えを知りたいわけではなかった。
立ち止まった後輩を置いて二、三歩進み、振り返る。
「――答えは『同族嫌悪』ですよ」
長めの前髪で、大きな丸眼鏡で、表情を隠しながら言葉を紡ぐ。
「憧れはどう頑張っても自分がなれない人に対して抱くものでしょう。ならばその反対は『同族嫌悪』――もっとわかりやすく、『自己嫌悪』と言ってもいい。よく知っていて、わかっているからこそ嫌いになる……。僕はモモカさんと同族です。きみが思うほど、立派な人間じゃありませんよ」
それでは。
そう言って立ち去る先輩の背中を、カイは何も言えずに見つめていた。
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