第3話Ep2.ミライアウェイ
(……帰りたい)
数分前のやる気はどこへやら、完全に意欲を失ったカイの前で、モモカは「ご名答ぅ~~~~」とニヤついた笑みを浮かべる。そして初めてカイを見て、
「どんな虚像が見えてるのか知らねーけどよぉ、コイツらに憧れるなんてやめた方がいいぜ。てめーのそれはただの先輩フィルターだ、春の新生活に浮かれて熱出て、たかだか一、二年早く生まれて早く入学しただけの人間が立派に見えてるだけだ」
そういうのは早めになくしておけよ、そのうっすいフィルムが剥がれた時にがっかりするぜ。化けの皮が剥がれた時に失望するぜ。最初から相手が皮なんて被ってなくて、化かすつもりも騙すつもりもなかったってわかった時に絶望するぜ。あとかたもなく幻が消え失せて、文字通り幻滅することになるんだぜ?
立て板に水という諺を体現するかのごとくペラペラと喋るモモカに、カイはなんとか「そ、そんなこと……」と言い返した。そんなこと、の後に続く言葉がなんだったのかは自分でもわからない。「そんなことあるわけないじゃないですか」だったかもしれないし、もしかしたら「そんなことわかってますよ」だったかもしれない。
けれど、まあ、結果だけ見れば。
それこそ、そんなことはどっちでもよかった。
反論しかけた時点で失敗だった。
「はあ!? そんなことないってかぁ? おいおいおいおい神宮開、てめーはいったいどこまで馬鹿なんだ。いつまで存在しない幻想を見て掴めもしない理想を押し付けるつもりなんだ、そんなの押し付けられる側も迷惑だぜ。
「そんなことないですよ! なんでそんなこと言うんですか!?」
マシンガンの銃口がこちらを向く。しかし臆せず、カイは今度こそハッキリと言い返した。
確かにカイはビビりでその上女子と話すのに慣れてはいないけれど――憧れの先輩を馬鹿にされて黙っているほどの根性なしでもない。
カイの言葉にモモカは目を見開く。それは予想外に言い返されたからではなく――予想内の返答だったから。
その顔に浮かぶのは驚喜と狂気。引き金を引く理由ができたと嬉しそうに唇を歪めて、
「はは、なんで、って。あーしが言ってるのはただの事実だ。ただ事実を述べるののなにが悪い。嘘だと思うなら答えてみろよ、ジンゴはどうしてここにいない」
「え――。そりゃ、用事があったからじゃ……」
突然具体的な質問をされたカイは虚を突かれた。とりあえず思ったことを言って、それから「つながるくん」の画面を思い出す。
――――――――――
j.m.:
スマン
j.m.:
本当に申し訳ないと思ってはいる
――――――――――
(あれ、用事があるとは一言も言ってない――?)
彼の真意はわからないけれど――、あの言い方は、むしろ。
(この人が来るとわかってて、避けた――?)
「はは、用事か、用事。そーだな、アイツは委員長で部長だもんなぁ、さぞ忙しいだろうさ。キキが生徒会で忙しいのと同じく、ジンゴだって目は回っても首は回らないくらいに忙しいだろうさ。受験勉強もあるしなぁ。まさかまさか、単にあーしを嫌いだとか、そんなくだらない自己中心的な感情論でここにいないわけないよなぁ」
こんなやっかいな女の相手を後輩に任せて逃げ出すなんて、憧れの先輩がそんなことするはずないもんなぁ。
ニタニタとした笑みに合わせてツインテールが揺れる。
どう答えていいかわからずカイが口を噤んでいるうちに、
「――ジンゴさんはモモカさんのことを嫌いなわけではないですよ。苦手なだけで」
サトルはゆっくりと言う。モモカの銃口がそちらを向き、吐き捨てるように言葉を放つ。
「……ああそうだろうさ、アイツに嫌いなヤツなんているわけねぇ。嫌いな人間がいないのと同じく好きな人間もいねぇ、感情を放棄して誰にでもいい顔をする、八方美人の
「……怒らせたいんですか?」
一音一音ハッキリと言うサトルに、モモカは鼻を鳴らして手を広げた。大袈裟に、呆れたようにサトルを見下ろす。
「怒らせたいぃ? はっ、知ってるだろ、あーしは事実を述べるだけだ。あーしの言葉に感情はない、言霊も言弾も、感じているなら全部てめーらの気のせいだ。逆撫でしてるんじゃない、てめーが勝手に逆立ててるんだよ。怒らせてるんじゃねぇ、てめーが勝手に怒ってるんだ。あーしの言葉に怒りを感じるってんなら、それは正しいことを告げられたから、つまり正鵠を射貫かれたからってことになるなァ」
「…………ジンゴさんは苦手なだけかもしれないけど。僕はあなたが嫌いです、モモカさん」
低い声でそう言うサトルの顔は、デフォルトの無表情でもなく、よくやる計算したみたいに完璧な笑顔でもなく。
視線の先を凍らすみたいな。
涼し気どころかマイナスの先、絶対零度の氷のような。
相手を凍らせてそのまま砕いて殺さんばかりの、とても、とても、冷たい目つきで。
真っ直ぐにモモカのことを睨みつけていた。
「――そーだな、あーしもおめーが
モモカの態度は変わらない。凍ることのない水を立て板の上に浴びせかける。
まさに一触即発――というにはもう遅いかもしれないけれど、また新たな火種が爆発する気配を感じてカイとモモカの連れの女子があたふたする中、しかし言葉のマシンガンを携えた女子高生は突然ふっと息を吐いた。
扉を開けた瞬間から真っ直ぐにサトルを睨んでいた視線を外し、どこか遠くに目を向ける。相手を挑発するような早口と声色をやめて、小さな声で。
「……てめーは変わっちまった。怒らせたいかなんて、馬鹿な質問だ。前はそんなこと聞かなかった。聞くまでもなく殴ってた。自分を怒らせたと思った瞬間、怒りを感じた瞬間、殴りかかって黙らせてた。瞬間湯沸かし器なのがてめーのいいところだったよ、サトル」
「…………」
「――なのに、ジンゴが来てからおかしくなった」
「……お互い様ですよ」
サトルの周囲からも凍り付くような冷たい雰囲気が消える。ふたりが口を噤んだことで、教室にはただ沈黙が流れた。
カイが何か言った方がいいだろうかと気を揉み始めた頃、「――で」とようやくサトルが言葉を紡いだ。
「――で、結局何しに来たんですか、モモカさん。まさか僕を怒らせるためだけに、わざわざ昼休みに生活指導室まで来たわけじゃないでしょう、そんな恰好で」
「はっ、あーしが来たのは生活指導室じゃねぇ、お悩み相談部の部室だ。わかってんだろ、それくらい。ただまあ、あーしを校則違反者リストに加えようって気概のある
突然話を振られ、カイは咄嗟に「えっ、まあ、あはは……」と愛想笑いを浮かべてしまった。あのマシンガンを正面から向けられるとわかっていたら誰だって逃げもするだろう。モモカはわざとらしく鼻を鳴らして、けれどそれ以上その話をするつもりはないようだった。
「あーしがわざわざ
「もれなく僕も余裕のない現代人なので。簡潔に簡単に簡素にお願いしますよ。昼休みはあと三十分を切ってます」
「おぉっと本当だ。こりゃあ恰好つける暇も括弧をつける隙もなさそうだ。てめーの言う通り簡潔に話してやるよ。できる限り手短に、な。それじゃあ――」
モモカはふと顔を上げてどこかを見た。どこか――、否、「あなた」を見た。
「次のエピソードもよろしくなァ」
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