言わザル

 私の住んでいる地区は中学校から、2つの小学校が統合する。私の通っていた小学校は1学年に17人しか居なかった。方やもう1つの小学校は30人前後が4クラス。それが統合されて5クラスになる。統合と言うよりもはや吸収だ。中学校の場所なんて阿呆ほど遠くなる。これで自転車通学が禁止とか冗談がキツイですよ。綺麗に均等割付された私の同胞たちは同じクラスに3人しか居ない。人見知りをこじらせた齢12のうら若き少女には、もはや拷問と言っても過言では無い。もう1つの小学校に全てが優遇されている。数の暴力と言う理不尽をこの歳で教わるのだ。

 入学初日から私の憂鬱はキャンプの火力よろしく強火でグツグツ煮込まれ、更にそれを濾過してゼラチンを投入、冷蔵庫で一晩寝かされ、凝りに凝り固まったそれを両肩に乗せているのだから苦虫を噛み潰したどころの騒ぎではない。「さらば安寧。こんにちは疎外感、アウェイ戦の開幕じゃ」

やんややんや顔見知りたちの陽気な声が私の憂鬱に拍車をかけ、親でも殺されたんか?と言われんばかりの顔の私が、入学記念写真に記録された。

それでもまだ初日は良かった。カリキュラムを一通りこなしたら帰れたから。

 問題は2日目だった。阿呆ほど歩いて登校し、朝からクタクタになりながら始まったホームルーム。しごく当たり前なのだが、お決まりの如く始まった自己紹介。先生が改まっての自己紹介をし、出席番号順に各々に名前やら趣味やら得意科目やらを話していく。中には笑いを取る猛者まで居た。あんたのジョブは間違いなく勇者か賢者だよ。否が応でも近づく順番。私の緊張は親のクレジットカードでガチャを回したのがバレた時の比ではなかった。口からは養分になりそこねた栄養たちがクラウチングスタートで構えており、かいたことのない量の汗が脇からメントスコーラさながら吹き出している。思考は次第に回らなくなり、視界は光がパチパチと弾けてボンヤリしていた。そんな中で来た私の順番。椅子から立ち上がり、唾を1つ呑んだ。

「……ゎッわわわゎわッわッわたッわたッ」

しーん。少しの静寂。

「ふふっどもってる」笑い声が聞こえた。

あれ?あれあれ?

どうしようっ次の言葉は何だっけ?

ってか喋るのってどうやったっけ?

えっ分からない、どうすれば喋れるんだっけ?

えっえっ?

次の言葉を言おうにも、どうしても音になら無い。喋り方を忘れてしまった私は、周りの視線と静寂に責め立てられる。涙が溢れて来た。それでも何か話さなくては、話さなきゃっ、そしてやっと出て来た言葉。

「…ぁー…」

これ以外の音が出なかった。

周りは笑っている。

見かねた先生が代わりに私の名前を読み上げ次の番へとなった。

これ以降、私のあだ名は「ぁー」になった。もちろん面と向かって言われた事は無い。そう、面と向かっては。

これをきっかけに何を話そうにもどもってしまい、ヤバイまたどもってしまったと焦れば焦るほど喋れなくなる。そして最終的に口から出るのは「ぁー」や「ぅー」といった声にならない声だった。

つい先月まではどこにでも居るちょっとクールなおしゃまガールだった私の墜落。その落差っぷりと言ったら目も当てられない程だった。

同胞たちと思っていたメンツもおっかなびっくり言葉を探し、次第に近づかなくなった。今ここにコミニュケーション不全の孤高のソルジャーがかくして誕生したのだ。ここからはじまる彼女の物語が、現代活劇冒険浪漫譚であることを願うばかりだが、現実は得てして酷く冷たいものだった。

心配した母に連れられて病院にも通っている。

そもそもどもる、ということを良く知らなかった。正確には吃音きつおんと言うらしい。極度の緊張やストレスからの症状でしょう。と私でも思い付く理由を吐く医者に、それはそれは耳聞こえの良いことが書かれている薬を処方されている。しかし、何がどう変わる訳でもなく。私が学校に行かなくなるのに時間は掛からなかった。Hallo Small World.

そして、外に出ること自体が怖くなってしまって現在に至る。「家族とは普通に話せるのに何でだろうねぇ?」と母も父も言うが、そんなこと私だって思うわよ。いや私こそ理由が知りたいわ。などと憤慨してもなんの解決にもならないので賢明な私は小首を傾げる。

 久しぶりのどもりとそれから来るパニックを半泣きでやり過ごす。いや、もう完全に泣いている。ひーふーひーふー言ってるもん。頭がクリアになるにはそれなりに時間が必要なのだ。時間で言ったら十数分だろうが、その何倍もの体感時間をやり過ごす。

そしてふと冷静になる。

なんか飲みたい。

口がカラカラだ。

気分は、えーと、炭酸。

それも強すぎず弱すぎず。

…エナジードリンクだ。

そう思ったらもうエナジードリンク以外はむしろ飲みたくない。我が家の冷蔵庫に有るはずも無いことは分かり切っていた。いやあ、でももうエナジードリンクじゃなきゃあかんねん。困ったな。入手方法は心得ていた、徒歩25分程の場所に潰れた駄菓子屋が有る。その前に鎮座する自動販売機。そこに他の商品のほぼ倍の値段設定がされた黒光りする彼が居る。彼を見つけた時はどれだけ心が高揚したことか。ついこの前まで小学生だった私にはなかなか手の届かない存在だった。正しく高嶺の花。そんな彼に今どうしようもなく会いたい。

外に出たくないなあ。

いやでも自分にご褒美って必要じゃない?

きっと誰にも合わないだろうし。

ポジティブの無駄遣いは得意なのだ。無駄撃ちを重ね必要な時には残弾数が0個になっているのは、私の愛すべきお茶目なところなのだ。

小銭入れをポケットに押し込む。

意は決した。

いざゆかん。彼の元へ。

いま、会いにゆきます。

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