ビー玉

花恋亡

逃げサル

 ビー玉が好き。

コロコロとまん丸で、床に落とすと無機質な音を立てて転がる。

なのに陽の光を受けたそれは、音の冷たさとは反比例してキラキラと光を曲げて転がる。

1番のお気に入りは水色で気泡がはいっているやつ。

親指と人差し指でつまんで覗き込む、そうするといつもの風景がなんだか特別になったみたい。

庭の花草はさしずめ海藻。フワフワと舞う蝶は空気の玉を求めて浮遊する。何でもない家々だって南の島のコテージみたい。しばしば走る車はファンタジーの乗り物で、村人AやBは冒険者の案内役。電柱や街灯は古代のアーティファクト。

体がちいちゃくなって、私もこの世界で遊べたら良いのに。


私が中学校に行かなくなって初めての夏が来た。

何もしてなかったのに時間の流れるのは早いこと。

「お疲れさまです。時間さん。今日も勤勉で素晴らしい」

私は窓から景色を見やる。出勤前の母とお向かいさんで私の同級生りこちゃんが朝の爽やかな挨拶を交わしていた。いや、そんなことはない。嫌味だ。母の笑顔は身内だから感じ取れる程に微かだが、ややぎこちない。私でなきゃ見逃しちゃうね。おふざけはともかく、母も父もいつだってそうだ。私が学校に行ってないのを後ろめたく思っているから、私のことを聞かれたり、同級生に会ったりするとバツが悪そうな顔をする。私はその顔が大嫌い。責められている気分になるのだ。

 車が無くてはどこにも行けないような田舎。車は1人1台が当たり前。車で1時間くらいの場所にあるショッピングモールがテーマパークと同じ扱い。小・中学生は徒歩と自転車で驚くほどの距離を移動する。健脚最強。私の住んでる場所はそんなところ。

それなのに噂は驚くほど早く広まる。それはそれはおばあちゃんの散歩より早い。もう5倍くらい早い。私のことも例に漏れずあっという間に広まったようだ。こんちくしょうめ。

私の祖母きよえのことは好き。いつもニコニコしているし私のことに干渉してこない。蒸かしたさつまいもをいつだってくれる。ほんといつだって。さつまいも蒸しの修羅と化してしまったのかもしれない。そんなきよえも寄る年波さんこんにちは、めちゃめちゃ足が遅い。支えにもなり収納にもなり時には腰掛けにもなる名前の知らないコロコロするあれ、あれをコロコロしたって田舎の3G通信の受信より遅い。

 母が時折する長電話は大抵私の話し。相手は知らないけど。なんで内容が分かるかって?そりゃなんとなく雰囲気で分かりますがな。鈍感力が有れば良かったのに。

はじまりの街でまんじりとして動かず、冒険にも行かず、かと言ってレベル上げもしていない初期装備の私には鈍感力なんてレアアイテム装備出来ないのですよ。課金すれば手に入るかしら?いやレベルが低すぎてそもそも装着が無理か。

そして電話を終えると決まって溜め息を吐く。すまんな母よこんな娘で。

 母とりこちゃんのやり取りが終わり、母はパートへ、りこちゃんは学校へ、私は自宅警備に向かう。まずは洗濯機さんに異常が無いかの確認の為に洗剤と柔軟剤をぶち込みスイッチを入れる。すると今日も元気にゴウウンゴウウンと洗濯物の重量を計るために動きだした。おお、お前は今日も元気だな。良かった良かった。しかしまだ安心は出来ない。40分後にまた会いましょう。

その間に掃除機くんの相手をしてあげなくてはいけない。掃除機くんの相手をサボった次の日は、何処からともなくやって来たホコリの妖精がほわりほわりと戯れている。ほんと何処からやって来るのよ君達は。なんなら次の日ではなく半日後には「やぁ〜」って言いながら遊びに来る始末。ホコリふぉーえばー。今日も掃除機くんの腕が鳴るぜ。

洗濯物と掃除機がけを済ましたら遅めの朝食の時間。朝は大抵トーストと目玉焼き、サラダが有ったり無かったり。インスタントのスープはお好みで。食欲なんて大して無いのだけど用意してもらってるのに食べないなんて罰当たりは流石にしない。水分不足の口でトーストをモサモサと咀嚼し麦茶で流し込み朝食終了。

家族が残していった食器と合わせて洗い物をする。分かってる。こうやって家のことをするのは、何かをして許されてる気になりたいだけなのだ。言われて始めた訳では無い。後ろめたさから自然とやっていた。

なんてぶつくさ考えていると「ピンポーン」とインターフォンが鳴った。

「ドクンッ」と心臓が踊る。

どうしようか、居留守を使おうか、ヤバイヤバイ変な汗が出る。テレビの音で誰か居るのはバレている。追加の呼び出し音。

大丈夫「今、親は居ません」って言うだけ。その位なら出来る、大丈夫。自分に言い聞かせて、玄関を開ける。

「あっすみませーん、今この辺りを回っておりましてー」

セールマンとおぼしき男が、軟水をもっとなるくしたような纏わりつく声色で話す。

「…ぃッいぃいまいッぃいいッ……ゔぅ…」

結局何も言えず、半泣きの私に男は「また伺います」と言って去っていった。ああやっぱり駄目だった。何にも大丈夫じゃなかった。

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