ハワード流ノーモーションパンチ

 地獄のトレーニングを行った次の日。


 朝6時の針を指す目覚まし時計に起こされた私は、全身の筋肉痛に耐えながら朝食を用意していた。

 前月の基礎トレーニングを行っていた期間と比べて、睡眠時間を多めに確保する事が出来ていたので、目覚めはスッキリだ。


「イーゼル。今月の食費はこれくらいでどうかね?」

 

「に、20万ヴァルト!?こ、こんなに頂いてもいいの!?」

 

「いいさね。身体を鍛えるには良く食べる事が重要だよ」

 

「わぁ、ありがとうシイラさん!」


 昨日「ハワードジム」の去り際に、シイラさんに封筒に入った札束を頂いたので、その足で24時間営業のスーパーに行って冷蔵庫が一杯になる様に色々な食材を買っていたのだ。

 その為、節約を考えずに食べたい物を好きなだけ食べる事が出来る。

 

 ベーコンと目玉焼きを炒めたら塩を振りかけて食パンで挟み、スライスしたトマトにモッツァレラチーズを一緒に並べてオリーブオイルとイタリアントマトドレッシングを掛ける。

 熱い紅茶をカップに注いで完成だ。

 なんか美味しいハンバーガーとカプレーゼサラダ。

 こんなに豪華な朝食はいつ振りだろうか!

 

 神様ありがとう!

 あ、神って私じゃん。


「いただきます……うまうま!」


 ハンバーガーは豪華に2つも用意したので私は大満足だ。

 

 朝食を食べ終わった私は洗面台の前に立ち歯を磨こうとしたのだが、そこで大きな変化に気が付いた。


「マジか」


 私の顔がボコボコに膨れ上がり青痣だらけになっていた。

 

 仕方が無いので痛みを我慢して顔を洗い、歯を磨いてそのまま学校に登校した。


 デバイスを使えば怪我を瞬時に治したり、仮に死亡しても直ぐに蘇生が出来る為、包帯や湿布を身に付けた怪我人というのは非常に珍しい。

 そんな状態になのに、何故私が怪我を治癒していないのかと言うと。

 

「怪我の治癒力を身体に覚えさせる事もトレーニングの一つさね」


 と言われて自然治癒に任せているからだ。

 

 その為、電車に乗っている時に周りの乗客から、あの娘の怪我は一体どうしたのだろう、という心配の目で見られたのが凄く恥ずかしかったが、なんとか「カワナン高校」に登校する事が出来た。


「あ、おはよう!イーゼルちゃ……どなた?」

 

「私だよ」

 

「え!?どうしたの!?なにがあったの!?」


 教室の赤いソファーに座って昨日行った地獄のトレーニングを振り返っていると、オーラが教室へと入室して私に挨拶をして来た。

 ボコボコになった私の顔を見て驚いている様だ。

 

 さらに、私のボコボコになった顔のせいでクラス中の皆が物珍しそうに視線を集めており、なぜそうなったのかという、事情を知りたがっている空気感が漂っている。

 

 恥ずかしい。


「まぁ、ちょっと色々あったの」

 

「だ、大丈夫なの!?」


 オーラには私が「転移ボクシング」を始めた事は秘密にしている。

 この秘密を明かす時は、プロテストに合格する時だ。

 

 あっと驚かせたいからね!


「大丈夫だよ。ちょっと痛いけど」

 

「……何か犯罪に巻き込まれた、なんて事はないんだよね?」

 

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫、これは私のやりたい事で負った怪我だから」

 

「……もしかして、イーゼルちゃん別人だったりする?」

 

「偽物でもないし別人でもないよ!」

 

「ごめんって。ジョークだよぅ」

 

「全く」

 

「あ、顔の傷治すよ」

 

「ありがとう!外見だけ治す様にしてくれない?」

 

「外見だけ?なんで?」

「ちょっと事情があって……来月話すから」

 

「……なんだか分からないけど分かったよ。権能開始オーソリティー・スタート!」


 オーラが私の手を握り「数を司る権能」で外傷の外見のみを正常値へ戻してくれた。

 オーラの権能は数に関係する事ならなんでも出来る。

 もしこの力を鍛えて引き伸ばしたなら、時間すらも操作できる筈だ。

 その他にも、空間を増減させて大きな建物を縮小したり、惑星の磁力を操る事で天変地異を引き起こしたり。

 チートかな?


「オーラの権能が羨ましいよ……」

 

「イーゼルちゃんの方が凄いじゃん」

 

「そうかなぁ?」


 治療して貰った私はオーラと共に授業を受け、全身筋肉痛に悩まされながらも午前の授業を終えて、お楽しみの昼食タイムだ。

 

 シイラさんのお陰で食費に困る事が無くなった私だが、この瞬間の楽しみだけは消えない。

 トレーニングを始めてから身体がエネルギーを欲しているのだ。

 

 今日食べるのは、鶏カツ定食大盛とフルーツサラダだ。


「わぁ……今日も一杯食べるんだね……」

 

「まぁね!」


 食事を運んだ私はいつも通り、食堂の窓際へと座って鶏カツ定食をお口へ掻き込むのだった。

 

 ああ、美味しすぎる。


「じゃあね!オーラ!」

 

「うん!またね!イーゼルちゃん!」


 学校を終えてオーラと別れた私は「ハワードジム」へと直行し、地獄のトレーニングへの扉を開けるのだった。


「こんにちはー」

 

「お、来たね。イーゼル」

 

「来たのよー」

 

「……もしかして、あんた偽物だったりするかい?」


「別人でもないし偽物でもないよ!」


 シイラさんがオーラと似た様な事を言っている。

 

 ジャージに着替えた私がシイラさんに従いストレッチと縄跳び五百回を終わらせ、ジャブ五千回をサンドバックに打ち終わる。

 すると、サンドバッグの近くにある大きな鏡へシイラさんが近寄り、私に新しいトレーニングの追加を指示してきた。


「イーゼル。打つ前にちょっとこっちへ来な」

 

「え?うん」

 

「今日からパンチを打つ前にフォームチェックをして貰うよ」

 

「フォームチェック?」

 

「今日からあんたには、「ノーモーションパンチ」を覚えて貰うさね」

 

「なにそれ?」

 

「昨日のスパーリングであたしがパンチを避ける原理を教えたろ。覚えてるかい?」

 

「うん。確か、相手がパンチを打つ時にパンチの軌道を予測して身体を動かす。だったよね」


「ああ。どんなボクサーでもパンチを打つ時は肩が動いたり肘が動いたり呼吸のリズムが変化したり、色々な癖が出るさね。それを見てパンチの軌道を予測するのがディフェンスの基本さ。だが、逆に言えば癖を無くせばどんなボクサーでも回避しずらいパンチが生まれる事になる。予備動作の一切を無くして打つパンチ、それが「ノーモーションパンチ」さね」


「なるほど……」


「実は、一カ月の基礎トレーニングを命じたのは「ノーモーションパンチ」を覚える為の下地を作る為さ」

 

「そんなに重要な技術なの?」

 

「これを覚えてるかどうかでボクサーのレベルは天と地の差が出るよ」

 

「そうなんだ……」

 

「早速鏡の前でジャブを打ちな。あたしが矯正するさね」

 

「了解!」


 鑑の前に立った私は早速ジャブを打ち始めた。

 シイラさんに教わった通り、左足を一歩前に出して左手を出し、腕が伸びきる瞬間に拳をグッと握り込む。

 いつも通りのジャブだ。


「もっと脱力しな。身体の力を限界まで抜いて、パンチが当たる瞬間だけ力むんだよ」

 

「こうかな?」

 

「違うさね。あたしを見てな」


 シイラさんがグローブを装着して、サンドバッグの前で「オーソドックス」の構えを取った。

 「ノーモーションパンチ」なる技のお手本を見せてくれるようだ。


「しっ!」

 

「……?」


 パンチが全く見えなかった。

 

 気が付いたらサンドバックが吹き飛ばされていて、衝撃音が少し遅れてジム内に響き渡ったのだ。

 そして、パンチを打つシイラさんを観察して分かった事が2つある。

 

 まず1つ目は、シイラさんはパンチを打つ際に身体のブレが全く無かったこと。

 

 例えるなら、銃だ。

 

 ハンドガンが弾を発射する様に左腕のみを瞬間的に動かし、その他は全く動かさずに静止を保っていた。

 

 二つ目は、床が大きくひび割れている事。

 

 シイラさんがジャブを教えてくれた際、足を踏み出す事によって体重を拳に伝える事によりパンチの威力を増させると言っていた。

 つまり、ジャブの威力を高めようとした結果、足を思いっ切り踏み抜き床を砕いた、という事だと思う。


「まるで銃だ……」


「お、上手い例えをするじゃないかい。それが「ノーモーションパンチ」の本質さね。身体のブレや力みを無にする事でパンチの発動と起動を悟らせない。そうする事によって極端に避けにくいパンチが生まれるって原理さね」


「なるほど……」

 

「さ、真似をしてやってみな。フォームを覚えたらサンドバック打ちだよ」

 

「はい」

 

「いいかい?パンチってのはね、手じゃなくて脚で打つもんさね。左足を思いっ切り踏み出して体重を拳へ伝えるんだよ」

 

「はい!」

 

「そうじゃないさ。足を踏み出す時はすり足で踏み出しな。そんな派手に踏み出したら脚の動きでジャブが来ると悟られちまうよ」

 

「はい!」

 

「そう!その動きさね!よし、そのフォームでサンドバッグ打ちだよ。フォームを崩さずに五千回打ちな!」

 

「分かった!」


 シイラさんにフォームを教えて貰った私はサンドバッグ打ちへと移行したが、この「ノーモーションパンチ」なる技術が中々に難しくて悪戦苦闘してしまった。

 

 重いサンドバッグを揺らそうとジャブに力を入れると、体がブレて「ノーモーション」では無くなり。

 かと言って身体をブラさずに「ノーモーション」で打つとジャブに力が無くなってしまう。

 

 シイラさんの様に、力強く、速く、悟られず。

 そんなパンチを打つのが非常に難しいのだ。


「もっと身体から力を抜きな。じゃないとジャブに力が入らないよ」

 

「はぁ……はぁ……!身体から力を抜くと、「ノーモーション」じゃ無くなっちゃうよ!」

 

「もっと骨盤を使いな。身体の重心を骨盤に置いて軸足を移動させるんだよ。そうすれば自重が前に進んで身体のブレが無くなるさね」

 

「軸足?」

 

「右足だよ。構えを取ってる時の後ろにある足を軸足って言うんだよ」

 

「なるほど……こうかな?」

 

「そう!上手いじゃないかい!」

 

「よっしゃ!」


「……」

(普通はこんなに早く「ノーモーションパンチ」を覚える事は出来ないんだけどねぇ。この小娘、やはり才能があるね)


 なんとか「ノーモーションパンチ」を覚える事が出来たが、静止のフォームを保ってジャブを打ち続けているといつもの倍は疲れる。

 どんなに疲れようとも、左腕以外が静止を保たなければいけない為、そのフォームを崩さない為に神経が凄く削れるし、ジャブを打つ事によって発生する反動を静止を保つ為に身体を動かして逃がす事が出来ない為、いつも以上に筋肉を使う事になる。


 これ、マジでヤバイ。


「よし、五千回だよ!」

 

「はぁっ!はぁっ!はぁっ!はぁっ!」


 ジャブを打ち終えた私はその場に崩れ落ち、筋肉痛で傷んだ左腕を抑えながら地面をゴロゴロと転がり悶絶した。


「身体中が痛いのは今まで使われていなかった筋肉が鍛えられている証拠さね。次は「ストレート」のフォームチェックだよ。立ちな!」

 

「は、はい!」

 

「まずはあたしが手本を見せるよ。良く見てな」


 シイラさんがサンドバッグの前に立つと「オーソドックス」の構えを取り、「ノーモーションストレート」を放った。

 

 ボクサー独特のリズムを刻む事は無く、パンチの気配を全く見せないまま、気が付くとサンドバッグが吹き飛んでおり、そのサンドバッグがコンクリートの壁を突き抜けジムの野外へと飛び出した。


 え、全くパンチが見え無かったんですけど。


「と、まぁこんな感じさね」

 

「全く見えなかったよ?」


「それが「ノーモーションストレート」の極意さね。これはあたしの持論だけどね、ストレートを「ノーモーション」で打つ方法は幾つかあるのさ。通常のストレートは踵を外側に開いて腰の回転力を使ってストレートを打つだろ?」


「うん」


「だが、ノーモーションの場合は腰の回転力を使わずに腕を伸ばすだけで「ストレート」を打つのさ。足腰の動きが予備動作として「ストレート」の軌道を読まれちまうからね」


「なるほど……でも、それだと威力が出ないんじゃないの?」


「その通りさね。だから、相手のリズムを読んだりタイミングを狂わせたりして、騙しながら「ストレート」を打つと不意打ちが狙えるって事さね。そうやって通常のボクサーは「ノーモーションストレート」を使っていくが、こんな打ち方はあたしからすると、ただの言い訳さね」


「言い訳?」


「ああ。それをしないと威力が出ないって事は、「ノーモーションストレート」を打つタイミングが相手の出方次第になるって事だろ。これは果たして「技」かね?否、ただ観客に魅せる為の「曲芸」さ。騙し?タイミング?くだらないね。そんな物使わずとも、ただストレートが速くて見えなければいい。それが「ハワード流ノーモーションストレート」さね」


「……なんというか、力技だね」


「それが出来てこそボクサーの理想って物さ。さ、これくらいのパンチは来月には出来て貰うよ。構えな!」


「はい!」


 鑑の前で「オーソドックス」の構えを取り、私はストレートを打ち始めた。

 シイラさんの指示に従い右脚の踵を外側へ捻り、腰を思いっ切り回転させて右拳を前方へ投げ出す。

 教わった通りのストレートを繰り返し、1発1発のパンチのスピードを徐々に上げていく。


「もっと足の腰の回転を素早く連動させるんだよ」

 

「はい!」

 

「よし!そのフォームでサンドバッグを打ちな!」


 速度と威力の二つを意識しながらストレートを五千発打った私はまたしても倒れ込み、身体中の筋肉痛に悶絶するのだった。

 その痛みに耐えながらミット打ちへと移行し、ロードワークやスパーリングを進めて本日のトレーニングは終了した。


「あいたたた……」


 オーラに外見だけ治療して貰ったが、一連のトレーニングが終わった今となっては顔が腫れ上がり身体中が青痣だらけだ。

 

 ジムにあった救急箱から湿布や塗り薬を取り出して治療していると、シイラさんが意外な事を発したのだ。


「イーゼル。今日は怪我が酷いからデバイスを使って治してもいいよ」

 

「え?いいの?」

 

「ああ。怪我を負いすぎても身体が傷付くだけで自己免疫による回復能力の成長に繋がらないからね。適度に鍛える事が重要さ」

 

「分かった」


 ジャージに装着しているクリップ型のデバイスを使って、虚空へ表示されたホログラムを手で操作し、回復魔法を選択して自身の治療を行った。

 デバイスから光が溢れ出し、私の身体を包み込んで傷が一瞬で治っていく。


「やったー!筋肉痛が治ったぁ!」

 

「そりゃ良かったね。じゃあ今からロードワークに行けそうさね?」


「……え?」


 私はその言葉に絶望の表情を浮かべた。


「ジョークだよ」


「本当にうるさいおばあちゃんだよね」

(シイラさんって冗談も言うんだね)


「言ってる事と思ってる事が逆だよ小娘!」

 

「あ、じゃあ私帰るね!明日も宜しくお願いします!それじゃ!」


 私はこれ以上シイラさんから無茶なトレーニングを命令されない様に、逃げる様にして「ハワードジム」を後にした。

 ここ1カ月近くは毎日筋肉痛に悩まされていたので、デバイスによって筋肉痛から解放された私はテンション爆上げなのだ。

 よし!今日はいつも以上にゲームをやるのよ!


「ったく。騒がしい小娘だねぇ」

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