イーゼルvsシイラ

 スパーリングが始まり数秒間の時間が経過した。


 私は何ををどうすれば良いのか考えが纏まらずに「オーソドックス」の構えを取ったままその場で立ち尽くしていた。


(……いや、迷っている場合じゃない。そもそも私は手数が少ないんだから今出来る事をやらなきゃ!でないと練習の意味が無いし、例え私のパンチが当たってもあのシイラさんなら問題無いだろう。よし!まずは……)


「ふっ!」


 私とシイラさんの距離は大分離れていたが、その距離を活かす様にシイラさんの顔面に目掛けて「TPテレポーション・左ジャブ」を行った。

 

 私はまだシイラさんに転移魔法の基礎的な事しか習っていないが、ジム内の空間を座標で計算すれば自分の拳のみを任意の場所に転移させる事なんて簡単な事なのだ。

 

 教えを背く様でシイラさんには悪いけど、パンチを当てる為に数式を使わせて貰うよ。


「手癖の悪い小娘だね……」

 

「っ!?」


 シイラさんの顔面に目掛けて放った「TPテレポーション・左ジャブ」をダッキングで避けられ、気が付くと横目にシイラさんが転移していた。

 

 すかさず右へ振り向き「ワンツー」を行うが、それもウィービングで避けられてしまった。


「ぶっ!?」


 私の顔面に青い何かが迫った瞬間、強い衝撃に襲われた。

 

 視界がうっすら白く染まり思考が歪むと同時に痛みが襲ってくるが、シイラさんにパンチを打たれた事実だけはハッキリと分かった。

 

 再び「ワンツー」を打つためにシイラさんを視界に捉えるが、パンチを打つ前に転移され、シイラさんを探す為に振り向くとリング中央で悠然と「オーソドックス」の構えを取るシイラさんが居た。


「くっ!絶対に一発は当ててやる!」


 シイラさんとの距離が比較的近かったので、自分の脚で距離を詰め「ワンツー」を行ったが、再びダッキングやウィービングで全てを避けられてしまった。

 

 「ワンツ―」だけではなく、「ジャブ」や「ストレート」を織り交ぜて変則的に攻撃を行ったが、その全てを完璧に避けられてしまった。


(なんで!なんで!?「ジャブ」を打とうとすると、まるで心を読まれている様に私がパンチを打つ直前に避けられてしまう!どうすればいいの……!)


 パンチをしばらく打ち続けているとシイラさんをロープ際へ追い込む事が出来たので、ここが当てるチャンスだと思い「左ストレート」を打ったが、ダッキングで避けられると同時に瞬間的な脚捌きで後ろへ回られ、いつの間にか私がロープを背に掛けていた。


 速すぎてその動きを視界に捉える事すら難しい。


「うっ!」


 その時、シイラさんの青いグローブが私の顔面に急接近して来たので、それを防ぐように自分のグローブで顔面を覆ったが、壁に表示されているモニターからピーッ!という電子音が鳴り響き、一ランド終了の合図を告げたのだ。


「一ラウンド終了さね。一分休憩だよ」

 

「は……はい……」


 覆ったグローブを解くとシイラさんのパンチが目前まで背負っており、私が殴られる直前だった事に気が付いた。

 

 そのパンチを引いてくれたシイラさんはリング端に置いてあったボトルを持って来てくれて、私は水分補給を行うのだった。


「どうさね。初めて戦ってみた感想は」

 

「なんていうか、プロボクサーってあんな動きをするんだなって驚いたよ。パンチも全く当たらないし、何より打つ直前に心を読んでるが如く避けられたのが驚いたっていうか。というかシイラさん、やっぱり只者じゃないよね?」

 

「いや、それはイーゼルの勘違いさね」

 

「?」

 

「あの程度の技術はボクシングをやってる奴なら誰でも出来るんだよ。あたしが凄いんじゃなくて、あんたの目が先入観でそう捉えてるだけに過ぎないさね」

 

「そうなのかな?」

 

「そうさ。パンチを避けた技術は次のラウンドで教えてやるよ。そろそろグローブ付けな」

 

「あ、はい!」


 いつの間にか一分間が経過して、壁に表示されているモニターから電子音が鳴り響き二ラウンド目開始の合図が成された。

 

 すると、シイラさんが口を開いて心を読んでいるかの様にパンチを避ける技術を教えてくれるのだった。


「イーゼル。パンチってのはね、見て避けるんじゃなくて、軌道を予測して避けるのさ」

 

「軌道?」

 

「ああ。例えば、あたしが「ジャブ」を打つとするだろ?そうするとあたしの肩とグローブが若干動く事が分かる筈さね」

 

「うん」

 

「その動きを見てどんなパンチが来るのか予測を立てて身体を動かすのさ」

 

「あ、だから私がパンチを打つ直前に避けられて、心が読まれていると錯覚したのか!」

 

「そういうことさ。こればっかりは知識だけじゃどうにもならないさね。あんたには毎日スパーリングで色々なパンチを受けまくって、目と感覚を慣らして貰うよ」


 私が毎日ボコボコになる未来が確定した。

  

「……ゴクリ。りょ、了解!」

 

「そんじゃいくよ!ボール避けの時に使ったダッキングとウィービングを思い出しな!」

 

「はい!ぐっ!」


 シイラさんが立て続けに私の顔面をパンチで連打して来るので、ボール避けの時の容量を思い出しとにかくウィービングを行った。

 

 「ジャブ」と「ストレート」だけではなく、私が習った事のないパンチが多数飛んできて、それらを顔面に被弾してしまう。

 シイラさんは手加減してくれている様だけど、相当に痛い。

 

 けれど、私は人生で初めてこんなにパンチを貰ったけど、今は痛いというより自分の成長を喜ぶ楽しいという感情の方が勝っていた。


「ここだ!」


 その感情に身を任せて私はシイラさんの後ろへ転移を行い、「ワンツー」を放った。

 

 しかし、シイラさんはそれらのパンチをウィービングで避けながら身体を振り向かせ、再び私へパンチの連撃を浴びせに来た。


「っ!」

(もう!どうすればいいの!?何が何だか分かんないよ!)


 そのまま私はシイラさんのサンドバッグになり、30秒ほどは殴られ続けただろうか。

 

 グローブを顔面に覆ってシイラさんのパンチを防御し続けているが、なんとなく感覚が掴めた気がする。


 パンチその物を目で捉える事は難しいが、シイラさんの肩がピクリと動いた瞬間、青いグローブが巨大化して私の顔面へ直撃する。


(つまり、この肩の動きに合わせてダッキングすれば避けられるんじゃないか?)


「っ!?」


 シイラさんの肩の動きに合わせてダッキングを行った瞬間、シイラさんのパンチが空を切った。

 

 私は見事にシイラさんの「左ジャブ」を避ける事が出来たのだ。

 

 そのままボール避けの要領を思い出しウィービングを行って元の体制に戻り、「ワンツー」を打つ。

 

 しかし、「ワンツー」はシイラさんのダッキングで避けられてしまった。


(まさかこの短時間で……手加減してるとは言えあたしのパンチを避けるとはね。楽しませてくれるじゃないかい!)


「うっ!」


 シイラさんがバックステップで私の「ワンツー」を避けたと思た瞬間、強烈な「左ストレート」が私のみぞおちへ襲い掛かった。

 その衝撃はとても大きく、私の胃袋辺りが激痛に襲われている。

 

 あまりの痛さに若干の吐き気を催した私はその場に足を崩して倒れ込んでしまった。


「っ!」

(痛い!気持ち悪い!痛い痛い痛い!)


「ワン!ツー!」

 

「はぁ!はぁ!はぁ!」

 

「どうした!立ちな!10秒以内に立たないと本番では負けちまうよ!」

 

「くぅ!」


 私が痛みで蹲っている間にも刻一刻とシイラさんのカウントダウンが進んでいく。

 

 確か、みぞおちには横隔膜という筋肉があり、この筋肉を上下させる事によって腹式呼吸が出来る。

 私が先ほどから無意識的に過呼吸気味の呼吸を繰り返して吐き気を催しているのは横隔膜がダメージによって使えなくなり呼吸困難になっているからだ。

 

 まぁ単純に痛みのせいもあると思うけど。

 

 この症状を改善させる為には権能を使って酸素を生成し、身体中の血流を活性化させて身体機能の回復を図るしかない。


 あと、痛みは気合でなんとかするしかない。


権能開始オーソリティー・スタート!酸素生成!」

 

「……よく立ったね!」

 

「はぁっ!はぁっ!」

 

「怯んでる暇は無いよ!本番ならダメージが蓄積した相手なんてトドメが刺しやすい格好の的さね!」

 

「くう!」


 なんとか立ち上がりスパーリングを再開したは良い物の、グローブの上からシイラさんの連撃が襲い掛かり私はサンドバック状態へと戻ってしまった。

 

 みぞおちから発生する激痛のせいで身体を真面に動かせない私はそのまま何も出来ずに殴られ続け、2ラウンド目を終了させてしまった。

 

 モニターから鳴る電子音と同時にその場で倒れ込んだ私は、1分間の休憩にて身体の回復に努めると同時に。


 私はシイラさんに対しての復讐心が芽生えていた。


「……いった!」

 

「良く立ったじゃないか!初めてのスパーリングにしては見事な物さね!」

 

「あ、ありがとう」


 座ったままシイラさんに渡されたボトルを手に取り水分補給を行うと同時に、私はシイラさんへ殴られたお返しをする為の秘策を思い付いたのだ。

 

 褒められた事は素直に嬉しいし、気合で立ち上がれた事にも自分の成長を感じれて楽しかったけど。


 それはそれ、これはこれ。


 このおばあちゃんぶっ倒してやる。


「さて、3ラウンド目だね。まだやれるかい?」

 

「……やります!」

 

「よし、来な!」


 モニターから電子音が鳴り三ラウンド目開始の幕が上がった。

 

 「オーソドックス」の構えを取りパンチを打つ準備を整えたが、何も考えずに「ワンツー」を行った所でシイラさんには当てる事が出来ないだろう。

 

 だからこそ、考えを練る必要がある。

 私の小さな権能で何をすれば良いのかを。


権能開始オーソリティー・スタート。雨を生成!」


 私の力は小さな鉄塊を生成する程度の小さな権能。

 

 けれど、私の短い人生で培った知識を集大成すればやれる事は見えて来る筈だ。

 まずは権能を使って雨を生成し、リングの床へ水面を広げて行く。


「イーゼル……何をする気だい?」


 リングから水が零れだし、バチャバチャと流れ落ちる水音がジム内に広がっていく。

 

 さらに、それらの雨水をマイナス5度程まで冷却して触れているだけでも痛覚が刺激される様にする。


「よし、舞台は整った!」


 その言葉を発すると同時に私はシイラさんの付近へと転移を行い、「ワンツー」を行う。

 

 けれど、当然の如くウィービングで避けられてしまい、更には顔に何かをパンチを貰ってしまった。


「ぐっ!」


 そのままグローブで顔を覆いシイラさんの連撃を防御しながらリングのロープ際へと追いやられてしまい、再びサンドバッグ状態だ。


 でも、これで良い。反撃の準備は整った。


「うぅ!」

 

「どうしたねイーゼル!水遊びして終わりかい!」


 ガード越しでもシイラさんのパンチが伝わってきて、腕の痛みが段々と増してくるが、ここは気合で耐えなければ行けない。


「……っ!」

(雨雲を生成!徐々にリング内を水蒸気で埋め尽くし、ジム空間内の温度を下げて空気を冷却していく!)


 私の権能ではそんなに大きな雨雲を生成する事が出来ないので、徐々に徐々にゆっくりと生成していくしかない。

 

 目標は1メートル先の至近距離でも視界が塞がり、人影を視認する事が難しくなる程度まで。

 

 この目標を達成するのには凡そ1分程度といった所だろうか。

 

 とにかくシイラさんのパンチを耐えるんだ!


(この小娘。何を企んでるんだい?何も出来ずに必死にガードをしてる様にしか見えないけど、目は死んでないね)


 それから一分後。


 シイラさんのパンチをひたすらに耐えた私は雨雲を生成し続けて、視界が真っ青に埋まる程の大量の雲を生成する事が出来た。

 

 ガード越しに遠目を見ると、リング内所かジム内全てが雨雲で埋め尽くされている事が分かる。


「ぐぅっ!」

 

「どうしたんだいイーゼル!ガードしてるだけかい!」


 やはり、シイラさんはジム内が雨雲で覆いつくされた事に気が付いていない様だ。

 

 それもその筈。シイラさんの視界内にだけ雲が映らない様に権能を調節して、ロープを背負った私を扇形で囲う様にして雨雲を生成したのだから。


「くっ……!シ、シイラさん……"水蒸気爆発"って知ってる?」

 

「っ!?」


 私の言葉にビクッと反応したシイラさんが、一瞬パンチを打つ手を止めた。


権能開始オーソリティー・スタート!鉄塊を生成して雷で溶解、それを拳に纏わせ冷却された水面に打ち付ける!」


 私が生成した鉄塊を雨雲より発生させた雷にて溶解させ、それをグローブへと纏わせてリング床に予め流しておいた冷水へと打ち付ける。

 

 すると、溶解した鉄塊が急速に冷却される事により大量の水蒸気が発生し、シイラさんの視界内まで覆い隠してジム内を完璧に雨雲で密閉させる事が出来る。

 

 その状態で拳からもう一度雷を発生させると、ジム内に溜まった雨雲の温度が急速に上昇して蒸発する。

 

 水が熱せられて水蒸気となった場合、その体積は約1700倍に膨らむ為、密閉されたジムという空間内で雨雲が連鎖的に水蒸気と化し大爆発を生む!


――冠するは《爆拳》!


 その瞬間、耳を貫く爆発音が鳴り響き「ハワードジム」は内側から大爆発を引き起こした。

 

 幸い寂れた木造建築の見た目に反して建物は頑丈な様で、室内のトレーニング器具が少々吹き飛んだ程度で爆発は収まったが、コンクリート壁の亀裂が"水蒸気爆発"の威力がとんでもない事を証拠付けていたのだ。


「……やってくれたね!小娘!」

 

「へへへ。まずは一発!」


 神の権能は「8次元に介入して局所的な可能性を再現する」事が出来る。

 

 物理的な現象はあくまで再現なので、私の力が私の身を傷つける事はない。

 

 なので、爆心地に居た私は当然無傷なのだが、シイラさんは服がボロボロになった程度で身体に目立った外傷が全く見られなかった。

 

 多分だけど、全くダメージが無いのだろう。


 嘘でしょ?爆心地に居たんだよ?


「シイラさん……まさか効いてないの?」

 

「こんなちんけな爆発があたしに効くわけないだろうバカタレが!」

 

「化け物なの?」

 

「この程度は普通なんだよ!それにね、このスパーリング、あんたの負けさね!」


「……え?」


「転移ボクシングは原則パンチ以外の攻撃は禁止なんだよ。もし今の爆発がパンチによる物なら良かったけどね、あんたは周囲の環境を拵えて爆発を起こした。明確なルール違反なんだよ!このバカ娘が!」


「がはっ……!」

(そんな、某ソシャゲキャラみたいに私を呼ばなくても!)


 私のみぞおちへ再びシイラさんの強打が襲い掛かり、そのまま12ラウンドが終わるまで私はボコボコにされたのだ。

 

 スパーリングが終わる頃には気絶をしてリングに倒れ込み、シイラさんに冷水を掛けられて目を覚ますのだった。


「何か言う事はあるかい?」

 

「……ごめんなさい」


 ルール違反をしたのだ。私が全面的に悪い。


「分かればいいさね。最初に説明して無かったあたしにも非があるしね。ったく、あんたは何回ジムを壊せば気が済むんだい」


「……」

 

「とはいえ、権能の使い方は非常に良かったよ。あれをパンチに活かす方向で考えてみな」

 

「はい」


 身体を起こした私は今まで経験したことのない激痛が全身に響き、その痛みを引き摺りながらシャワー室へ向かい汗を流すのだった。

 

 ジャージから学生服に着替える最中にも痛みが響き、恐らくだけど、プロテスト合格までの地獄のトレーニング中はこの痛みと戦う事になるであろう覚悟をしたのだ。


「いたたたっ」

 

「ちょっと見してみな」

 

「あ、うん」


 シャワーを浴びた終えるとシイラさんがデバイスから黄色い箱の救急セットを取り出して私を手当してくれた。

 

 私の顔や身体には青アザが残っており、その部分へ塗り薬や湿布を塗布してくれたのだ。


「これで良し。明日には腫れるだろうから、ジムに来るまでは自主的なトレーニングはせずに安静にしときな。分かったね?」

 

「うん」

 

「ところでイーゼル。なぜあんな無茶をしたんだい?」

 

「シイラさんに殴られたらなんとなくイラッときて、お返しに一撃当てたいなって」

 

「大した小娘だよ。初めてのスパーリングであんな事するのはあんたくらいなもんさね」

 

「そうなの?」

 

「そうさね」


 手当が終わった私はシイラさんにお礼を言って「ハワードジム」を後にした。

 

 そのまま真っ直ぐ自宅へ帰り、地獄のトレーニングを無事に終えた自分を褒めて少しだけゲームをして就寝するのだった。

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