地獄のトレーニング

「あんたの事は良く分かったよ。ちょっと待っとき」

 

「え?うん」


「……」

(全く。しばらく転移魔法の練習をするつもりだったけど、予定が崩れちまったねぇ)


 そう言ったシイラさんは二階へ続く扉をガチャリと開き、奥へと消えてしまった。

 

 何かあったのだろうかと不思議に思いながら数分後。

 大きな筒紙を持ったシイラさんが現れ、それを広げてジムの壁に張った。


「シイラさん。これは?」

 

「あんたのトレーニングメニューさね。これから毎日この紙に書いてある事を繰り返して貰うよ」

 

「え~と……ストレッチ、縄跳び五百回、ジャブ五千回、ストレート五千回、ミット打ち、ロードワーク、ボール避け、スパーリング?多くない?」

 

「イーゼルなら出来ると踏んで組み上げたトレーニングメニューさ。早速今日からやって貰うよ!」

 

「……なんだか分かんないけど、了解!」


 プロテストなる言葉を聞いてから私の覚悟はとっくに決まっていたので元気よく返事をした。

 

 それからすぐ、シイラさんがストレッチの指示を出し始めて地獄のトレーニングが始まったのだ。

 まずは縄跳び五百回だが、縄跳びなんて飛ぶのは小学生以来だ。

 シイラさんがデバイスで回数を数えてくれているが、私は五十回を超えた辺りから足が棒になってしまっていた。

 

 そこからはいつも通り、気合だ。

 

 気合で飛び続ける事約十分後、なんとか五百回を飛ぶ事が出来た。

 次に昨日も行ったジャブ五千回とストレート五千回。

 このトレーニングは既に慣れている事もあり、全身から筋肉痛による激痛が伴いながらも気合でトレーニングを終える事が出来た。

 とはいえ、サンドバッグが全く動かなかったし、成果としては一歩前進と言った所だろう。


「イーゼル!そんなパンチじゃ相手は倒れないよ!」

  

「はい!」

 

「赤!」

 

「ふっ!」

 

「青!」

 

「しっ!」


 ミット打ちに関しては、ひたすらシイラさんの構える赤いミットへ「ワンツー」を打ち続け、カラーシールの色を指定されたらその地点へ転移して再びワンツーを打つ。

 そんなトレーニングを一時間ほど続け、その後に水分補給をしてロードワークへと移行した。

 

 昨日と同様10キロ走る為にジムの外へと飛び出し、シイラさん共に全力疾走とコンビネーションを繰り返していく。

 先日も見た河原まで走り続けていると、シイラさんが一旦ストップを掛けた。


「今日からここで特殊なトレーニングをするよ」

 

「はぁ……!はぁ……!特殊……?」

 

「これを引きながら坂道を走って貰うよ」


 シイラさんがデバイスを取り出すと、目の前に大型トラックに使われる様な巨大なタイヤが現れた。

 ドスン!って重たい音と共に地面へ落下する。


「タ、タイヤ?」

 

「あそこに河原に来るための坂道があるだろ」

 

「うん」

 

「そこをタイヤを引きながら全力疾走で登る。足腰を鍛える為さね」


 そう言うとシイラさんがデバイスから縄を取り出し、私とタイヤが繋がる様に縛ってしまった。


「マジか……」

 

「さぁ!登んな!」

 

「はい!ぐうぅっ……あぁ!」


 え、走れないんですけど。


 歩くだけでも大変そうな急な登り坂をなんとか走ろうとするが、巨大なタイヤが非常に重く、走るどころか歩く事も出来ない。

 

 というか、振り返ってタイヤを良く見てみると43キロと記載されている。おかしくない?


「どうしたね!早く上がんな!」

 

「くうぅ……!あ、上がんないです!」

 

「気合で行きな!」

 

「くぅぅあぁ!」


 全身に力を入れて足腰を踏ん張るが、タイヤを少しだけ引き摺る事が出来た。

 そこから更にタイヤを引いて坂道を上がろうとするが、縄で縛られているお腹がタイヤの重さで痛くなってきてしまった。


「シ、シイラさん!お腹が痛い!」

 

「それが敵のパンチだと思いな!その程度で怯んでちゃ試合なんて出来ないよ!」

 

「は、はいぃ!」


 約10分程掛けてなんとか坂道を上がりきった私は、途端に全身の力が抜けてしまいそのままタイヤと共に坂を転がり落ちてしまった。


「あああぁぁぁぁっ!」


 ゴロゴロゴロと身体が草原を転がり落ちていく。


「いたた……」

 

「なにしてんだい。そら、さっさと上がんな。あと50回は登って貰うよ」

 

「ま、マジですか……ふぅっ!」


 タイヤを必死に引くこと約一時間半後。

 なんとか坂を五十回登れた私は足腰と腹筋の痛みでその場に蹲るのだった。


「っ!」

(痛い!本当に痛い!こんなにキツイの!?)


「大丈夫かい?」

 

「……と、とにかく酸素を生成して……ぐぅ!だ、大丈夫だよ!」

 

「よし。じゃあロードワークは続行さね。走ってジムまで戻るよ」

 

「はい!」


 シイラさんがデバイスにタイヤを縄を収納すると、そのままロードワークが続行した。

 

 全身の激痛を引き摺りながら歩みを進めていくと、急速に痛みが増していく。

 権能で血液に酸素を生成して身体の自己回復能力を上昇させているお陰で倒れる事はないが、この痛みと戦いながらシイラさんに付いて行くのは相当キツイ。

 

 その状態で全力ダッシュ!私は今日死ぬのかな?


 ジムに到着する頃にはしっかりと走る事も出来なくなっており、シイラさんにヘロヘロとゆっくり走りながら付いて行く事しか出来ておらず、私はジムの扉の前で倒れて過呼吸気味の呼吸を繰り返す羽目になった。


「はぁっ……!はぁっ……!はぁっ……!」

 

「ほら。吸いな」

 

「うぶっ!」

 

「深呼吸だよ!」


 倒れた私に対してシイラさんがジム内から携帯酸素缶を持って来て吸入器を私の口へと押し当てた。

 

 シューッという酸素が排出させる音と共に深呼吸を行うと、肺の痛みが和らぎ呼吸が大分楽になった。

 

 全ての酸素を吸い終わるとシイラさんが冷えた水を持って来てくれたので、ボトルを吸う様にがぶ飲みだ。


「んぐ!んぐ!」

 

「10分休憩だよ。その後はボール避けさね」


 近くのベンチに寝っ転がりしばらく休んでいると、あっという間に休憩時間が終了した。

 ベンチから身体を起こすと全身から筋肉痛が引き起こされる。

 特に痛いのは腹筋だ。

 まぁ四十キロもあるタイヤを引き摺ったらこうなるよね。

 とはいえ、動けない程の痛みではないので準備を整えたシイラさんの元へと向かった。


「今からイーゼルにはディフェンス技術を覚えてもらうよ」

  

「ディフェンス?」

 

「パンチを避ける技術さね。ほら!」

 

「わぁ!」


 突然シイラさんがテニスボールを私の顔目掛けて投げてきた。

 よく見ると青い篭には大量のテニスボールが入っている。

 私は飛んで来たボールを目を瞑りながら咄嗟に頭を下げて避ける事が出来た。


「それさね!」

 

「え?」


 シイラさんが私の脚へ指を指す。

 

「今飛んで来たボールを避けたね?それを「ダッキング」って言うのさ」

 

「ダッキング……?」

 

「ああ。頭を下げる行為がアヒルの動きに似てる事からダッキングと呼ばれているさね。あんた、タイヤで足腰を鍛えたろ?」

 

「うん」

 

「ダッキングのコツは頭を下げるんじゃなくて、足を使って頭をずらす事にあるさね。ほらっ!」

 

「わ!」


 投げられたボールを咄嗟に頭を下げて避けた。

 

「違うよ!頭を下げるんじゃなくて、足を使って頭をずらすんだよ。あんた、そのまましゃがんでみ」

 

「こ、こう?」

 

「そう!その動きさ!しゃがめば頭を使わずに足を使って頭が下げるだろう?」

 

「あ、なるほど……」


 しゃがむ行為が頭を下げる事に繋がる、という事か。

 確かにアヒルみたい。

 

「あたしがお手本を見せてあげるよ。少し変わりな」


 シイラさんと場所を交代した私は、テニスボールの篭の横にしゃがんでボールを投げる準備を整えた。

 

 「ダッキング」なるディフェンス技術の原理はなんとなく理解出来たけど、どの様に身体を動かせば良いのかイマイチ想像が付かない。


「そこからあたしの頭にボールを投げてきな。手本を見せたるよ」

 

「うん!ほい!」


 シイラさんの顔面目掛けてテニスボールを投げた瞬間、ボールが当たるかどうかの紙一重の距離で避けられてしまった。

 

 そして、私はこの動きを見てハッと思い出した事がある。

 

 1ヶ月前に初めてスパーリングをした際に、私が振るったパンチを避けられた時と全く一緒の動きだ。


「1ヶ月前の動きだ……!」


「分かるかい?頭を下げる為に首を下げるんじゃなくて、頭を下げる為に足腰を下げるのさ。首を使って頭を下げると視界が地面に来ちまうだろう?そうすると敵のパンチが見えずに被弾しちまう。足腰を使って頭を下げれば視界を確保したまま「ダッキング」をする事が出来るさね。そうすれば敵のパンチを見逃さずに避ける事が出来るっていう寸法さ」


「へ~!そういう原理で身体を動かすんだ!」

 

「どんどんボールを投げ来な!」

 

「うん!」


 青い篭からテニスボールを取り出しシイラさんへ連続的に投げるが、その全てを綺麗に避けていく。

 何度かボールを避けると、今度はダッキングとは違った動きをしてボールを避け始めた。


「シイラさん。その動きは?」


「これが「ウィービング」さね。「ダッキング」で避けきれない攻撃は「ウィービング」を使って避けたりガードをしたりするのさね」


「なるほど……」

 

「ウィービングはダッキングと同じで、足腰を使って身体を動かすんだよ。コツは視界を前方に保ったまま頭を上げる事を意識する事さ」


 ダッキングと違ってウィービングは身体がUの字に動いている。

 しばらくシイラさんを観察して分かったが、Uの字に動く事によって体制を瞬時に元の位置へ戻し、次のダッキングやウィービングなどをすぐ行える様にする意味がある様だ。


 なるほど……ディフェンスの動きを効率的に行い次の動きに素早く繋げる。

 

 ボクシングが科学的なのはこういう事なんだ!


「次はイーゼルの番だよ。今月までにボールを全部避けれる様になって貰うからね」

 

「はい!」


 篭一杯に入っていた全てのテニスボールを見事に避け切ったシイラさんと交代し、次は私が避ける番だ。


「あて!」

 

「ほら!このボールが敵のパンチだよ!避けれないと試合に負けると思いな!」

 

「はい!」


 シイラさんの動きを思い出しながら次々と飛んでくるボールを避け様とするが、これが凄く難しくて沢山のボールが私の顔面へ被弾してしまう。

 

 痛くは無いが、非常に悔しい。

 

 そんなボールだけど、何度か避けていく内に視界が慣れ始めて、飛んでくるボールがしっかりと視認出来る様になって来た。

 

 頭のみならず、肩や身体にまでボールが飛んでくるが、シイラさんの動きを思い出しウィービングを行い避けていく。

 

 避け終わりに次のボールが目前に迫って来ていたので、ダッキングで避ける。

 

 うん。慣れると楽しいかも。


「……」

(この小娘、もう避け始めやがった。センスは抜群だね……)


 ボール避けのトレーニングを始めてかれこれ30分が経過し、シイラさんが途中からボールを投げるペースを速めたのだが、少しだけ被弾しながらも大部分のボールは避ける事が出来ていた。


「良し。ここまでさね」

 

「はぁ……はぁ……」

 

「中々センスが良いじゃないかい。ロードワークもこんな風に上手く行ってくれれば良いんだけどね」

 

「い、いや!いきなり40キロのタイヤを引くなんて無理があると思うよ!」

 

「でも出来たろ?あたしの目に狂いは無かったわけさね」

 

「そ、そうだけど……」

 

「最後はスパーリングだよ!グローブ付けてリングへ上がんな!」

 

「あ、うん!」


 準備を整えリングへ上がった私は最後のトレーニングに覚悟を決めた。

 身体中が痛くてヘトヘトだけど、乗り切ってやる!


「……なんでシイラさんもグローブ付けてるの?」

 

「そりゃ、今からあんたとあたしが殴り合うからさね」

 

「……は!?い、いや。今まで私、殴られた事すら人生で無いんだけど!?い、いきなりだと覚悟が……」

 

「甘い事言ってんじゃないよ!練習すら出来なきゃどうやって試合すんだい!」

 

「くっ……わ、分かったよ!やってやる!」

 

「手加減してやるから安心しな。まぁ最初だからね、試合ってのはこういう物かって雰囲気を分かって欲しいのさ」


 てっきり新しい技などを練習するのかと思いきや、突然シイラさんとの練習試合を行う事実に私は内心ビビりまくっていた。

 

 今まで殴られて事なんて無い私だけど、もしシイラさんの放つサンドバッグを破裂させたストレートがお腹に直撃したらどうなるのだろうか。


 考えるだけでもゾッとする。


「試合は3分12ラウンド。本番と同じさね。あの画面に表示されているタイマーから音が鳴ったら1ラウンド終了さね。この2日で学んだ事を全力でぶつけて来な!手加減をいらないよ!」

 

「分かりました!」


 互いがリング端のロープへ移動するとジムの壁に表示されているモニターからピーッ!という電子音が鳴り試合開始の合図を上げた。


 私の人生至上初めてとなる本格的なスパーリングの開始だ。

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