初めてのロードワーク

 ジム内にある一際目立つリングへ上がった私は、シイラさんに「コンビネーション」なる物を教えて貰っていた。


「いいかいイーゼル。あたしが構えるミットへ「左ジャブ」と「右ストレート」を交互に打ちな。それが「ワンツー」だよ」

 

「ワンツー……?」

 

「パンチを繋げて打つ事をコンビネーションって呼ぶのさ。今からイーゼルには「ワンツー」を繰り返して貰うよ」

 

「分かりました」

 

「よし、打って来な!」

 

「はい!」


 シイラさんが片手に装着した赤いミットを自らの顔面の前に構える。

 私はそのミットへ飽きるほど繰り返した「左ジャブ」と「右ストレート」を打ち込んだ。

 すると、ミットからはパンパン!という気持ちの良い音が鳴り、これがなんとも心地良い。

 

 この練習は楽しく出来るかもしれないな。


「もっと速く!コンパクトに打つんだよ!力み過ぎないで当たる瞬間だけグッと力を入れな!」

 

「はい!」

 

「そうだよ!良くなったじゃないか」


 シイラさんが移動しながら様々な場所へミットを置き換えていく。

 顔、お腹、肩、「ワンツー」を打つと私の側面へ回り込み、再びミットを構える。

 私はそれを追う様にしてコンビネーションを打ち込んでいく。


「あたしが移動するのを予測して回り込みな。そんな遅いパンチじゃ倒す所か当てる事も出来ないよ!」

 

「くっ……!」

 

「脚を使うんだよ!目で追うんじゃなくて脚捌きで追いな!」

 

「ふっ!」

 

「良くなったね。その感覚を繰り返しな!」

 

「はい!」


 私が「ワンツー」を行う度に誤った所をシイラさんが修正してくれる。

 そんなミット打ちを繰り返し、気が付くと30分が経過していた。


「よし!ここら辺かね。大分動きが良くなったじゃないか」

 

「はぁっ……!はぁっ……!あ、ありがとう……ございます!」

 

「なんだい。もうへばったのかい?」

 

「す、少し、休憩させて貰っても良いですか……?」

 

「しょうがないねぇ。10分だけだよ」

 

「は……はい!」


シイラさんに休憩の了承を貰ったので、そのままフラフラとベンチへ倒れこんだ。

 人生初のミット打ちを行ったが、身体を動かしながらパンチを打つというのは意外にも滅茶苦茶疲れるのだ。

 ランニングと違って頭を使いながらパンチを打っていくので、神経をすり減らしながら身体を動かさなければ行けない。

 さらには権能を使い、常に血流内へ酸素を生成し続ける事にも気を使わなければならないので、もうね、あれ、うん。疲れるのよ。


「はぁっ……!はぁっ……!」

 

「休憩が終わったらロードワークに行くよ」

 

「ロード……ワークって?」

 

「ランニングの事さね」

 

「マジ……?」


 厳しい事は覚悟していたけど、まさかこれ程とは思わなかった。

 同時に、私は私自身を惨めに思うのだった。

 世界で活躍する「転移ボクサー」達はもっと厳しいトレーニングを行っているのだろう。

 何かを成すとは何か辛い事を乗り越えるという事だ。

 これしきの辛さで音を上げていては1カ月前の、変わらうともせずに言い訳ばかり探して前に進めていなかった私と変わらない。


 よし、覚悟を決めよう。


「すぅー……はぁ……。よし!シイラさん、行けます!」

 

「おや?休憩はもう良いのかい?」

 

「はい!」

 

「……いい目だね。よし!じゃあロードワークに行くよ!あたしも一緒に走ってやるから、遅れるんじゃないよ?」

 

「はい!」


 タオルで汗を拭いた私は、シイラさんと共に「ハワードジム」を飛び出した。

 夕日が落ちてすっかり暗くなった田んぼ道を外灯頼りにひたすら走っていく。


「シイラさん、どれくらい走るんですか?」

 

「まあ最初だし。10キロくらいかね」


 10キロという言葉を聞いて少し安心した。

 1カ月間の基礎トレーニングで毎日五キロ走っていたし、ランニングには大分慣れた。

 

 10キロなら気合を入れればなんとか走れる筈だと甘い考えをしたのも束の間、シイラさんが突然全力ダッシュを行い私との距離を大きく離したのだ。


「何してんだい!あたしに付いて来な!」

 

「はい!」


 そのまま全力ダッシュを行い、永遠とも思える地獄の時間が続いていく。

 しばらくするとシイラさんが減速したが、時間にしたら約1分弱程度だと思う。

 けど、たったの1分でも全力で走り込めば死ぬほど疲れる。

 すると、シイラさんが突然止まり、見た事の無いパンチの「コンビネーション」を繰り出し始めた。


「ロードワークにはね、体力を作る他に、脚力を付けてパンチ力を上げるって意味合いもあるんだよ。ダッシュの間に「コンビネーション」を挟んでパンチで使う筋肉を鍛えるんだよ」

 

「はぁっ……!はぁっ……!な、なるほど!」

 

「よし!走るよ!」

 

「はい!」


 「コンビネーション」を打ち終えると再び走り出し、しばらくすると全力ダッシュ。

 再び「コンビネーション」を打つ。

 

 シイラさんの話によると、各ジムごとによってロードワークのやり方は異なるらしいが、この繰り返しが「ハワードジム」のやり方らしい。

 

 そんな繰り返しを約1キロ行った時点で、私のスタミナは底を尽きた。


「はぁっ……!はぁっ……!」

 

「イーゼル!ペースが落ちてるよ!」

 

「くっ……!ああぁぁ!」

 

「よし!その調子さね!」


 とにかく権能で酸素を生成し続け、なんとか気合でシイラさんに追い付いて行く。

 そんな一緒に走っているシイラさんだが、汗一つ流さずに気持ちよさそうに走っている。

 

 このおばあちゃん何者?


「ワンツーを繰り返しな!身体に馴染ませるんだよ!」

 

「はい!」


 息を切らしながらも必死にシイラさんへ付いて行き約三時間後。

 

 田んぼ道を超え、大きな河原道を走り続け、いつのまにかジムの前に戻って来た私は10キロのロードワークを完走する事が出来た。

 

 とはいえ、2キロを超えた辺りからは動きの俊敏さが無くなり、真面に「ワンツー」を打つ事が出来なくなる程、体力が底をついていた。


「はぁっ!はぁっ!はぁっ!」

(死ぬ!マジでこれ死ぬ!)


「この程度で倒れてちゃまだまださね。まぁ完走出来ただけ初めてにしては上出来だよ」

 

「はぁっ!はぁっ!シ、シイラさんは、疲れてないの……?」

 

「あたしはまだ走れるよ。余裕さね」

 

「すっご……」


 しばらく過呼吸気味の呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻した私はボトルに入った水をがぶ飲みした。


「んぐ!んぐ!」

 

「さて、今日のトレーニングはここら辺かね。ジム内にシャワーがあるから使っていいよ」

 

「分かった。ありがとうございました!」

 

「おう。さて、あたしもシャワーを浴びるかね」


 私とシイラさんは共にジム内にあるシャワー室へと向かい、汗だくになった身体をシャワーで流したのだ。

 それにしてもシイラさんはとてもスタイルが良く、鍛え抜かれて引き締まった筋肉に、スラリとした体躯に整った顔立ち。

 テレビに出ている女優顔負けのプロポーションだ。


「そういえば、このジムって私以外はいないの?」

 

「ああ。練習生はイーゼル1人だけさ」

 

「新しく人を入れたりはしないの?」

 

「はん!生意気な小娘が増えちゃ疲れてしょうがないよ。イーゼル一人で充分さね」

 

「そ、そう……」


 私は「ハワードジム」へ顔を出す度に会長であるシイラさんとマンツーマンでトレーニングを行う事が確定した様だ。

 とはいえ、私はこの現実を幸福な物として捉えていた。

 ここへ来る前は色々なジムを調べたけど、会員数がやたらと多かったり建物が豪華だったりと、どのジムもとにかく規模がデカい。

 そんなジムにもしも私が入っていたとしたら、言い方は悪いけど、力量が低い変なトレーナーに当たったりしていたら、トレーニングを途中で挫折していたかもしれない。

 ジムの、それも明らかに実力のある会長さんとマンツーマンで転移ボクシングを教えて貰える環境なんてここ以外にあるのだろうか。

 それに人が少ない環境は私の性に合っている。

 トレーニングは厳しいけど、私は「ハワードジム」へ来た選択を改めて嬉しく思ったのだ。


 シャワーを浴び終えた私が帰宅の準備をしていると、シイラさんが話し掛けてきた。


「イーゼル。明日から毎日通いな」

 

「え?でもアルバイトとかあるし、毎日は来れないかも……」


 生活費を稼がないと、食費が無くなっちゃうよ。


「あんた、「転移ボクシング」とアルバイト。どっちが大事なんだい」

 

「そりゃ「転移ボクシング」だよ」

 

「だったらジムに通えばいいさね」

 

「でも、稼がないと生活費が払えないし……」

 

「なんだいそんな事かい。金ならあたしが出してやるさね」

 

「……え!?いや、でも……」


 シイラさんがとんでもない提案をして来たが、私はどう答えれば良い物かと迷ってしまった。

 仮にアルバイトを辞めたとしたら、高校生活3年間を通して「転移ボクシング」に打ち込む事が出来る。

 それは最善であり最高の結果だが、果たして親はそれを許してくれるだろうか。

 何より、決められた道から大きく逸れる事が私の中で恐怖心を産んでいた。


「あんた、変わりたいんじゃ無かったのかい?」

 

「っ!?」


 だがそんな迷いもシイラさんの一言が吹き飛ばしてくれた。

 私は変わりたいのだ。

 変わる為には今進む道から大きく逸れて別の道を歩むしか方法は無い。

 進むべき方向は決まっている、叶えるべき将来も見えている。

 後は私のちっぽけな意思を変えれるかどうか。

 

 ジム会長とマンツーマンで転移ボクシングが出来て、生活費も払って貰えて、こんなチャンスは二度と訪れないかもしれない。

 いや、訪れないだろう。

 私のこの光を掴み損ねるわけにはいかない。


「お世話になります!シイラさん!」


 覚悟を決めた私は、シイラさんに綺麗なお辞儀をした。


「そうこなきゃね。明日からビシバシ行くよ!」

 

「はい!」


 帰宅早々、私はアルバイト先に辞職する一報を入れ、明日から「ハワードジム」へ毎日通う準備を整えたのだ。

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