科学的な正しいパンチの打ち方

 ――私が基礎トレーニングを初めて、一ヶ月の時が過ぎた。


 実の所、基礎トレーニングを始めた最初の三日で挫折しそうになっていた。

 そういう時は、王様のカッコイイ動画を見てモチベーションを高めてから、トレーニングに望む様にしていた。


 不思議と力が出る。


 今日は「ハワードジム」に顔を出す日だ。

 学校が終わった私は「カワナン高校」から最寄りの転移装置で駅前にテレポートし、航空列車に揺られていた。

 しばらくすると隣惑星「L-209」へと到着した。

 転移装置で「ハワードジム」近くへ到着すると、自然に澄んだ美味しい空気が流れてきた。


「すうーはぁー。相変わらず美味しい空気!」


 太陽が沈みかけ、美しい夕日が山々の間から輝き自然の偉大さを現している。

 都会でこの様な景色は楽しめないので、私のテンションは爆上がりだ。

 しばらく田んぼ道を歩いていくと、寂れた小屋が見えてきた。

 横戸の扉へ触れると鍵が掛かっていなかったので、そのまま開いて元気よく入室した。


「来たよ!おばあちゃん!……うわぁ!」


 扉を開けてジムの中を見た私はその代わり様に驚いた。

 先月来た時には壁からトレーニング器具まで何もかもがオンボロだったのに、綺麗なピカピカのジムに様変わりしていた。

 木造建築の壁からコンクリート打ちで美しく塗装された壁に変わっていて、その他の色々な部分もピカピカの新品に変わっている。


「待ってたよ、小娘」


 私がジム内を色々見て回っていると、おばあちゃんが階段から降りてやってきた。


「久しぶり、おばあちゃん!ジム凄い綺麗になったね」

 

「ああ。全部新しくして、床も壁も張り替えたからねぇ」

 

「外見は変えないの?」

 

「外なんかどうでもいいさね。それよりあんた、基礎トレーニングはしっかりやって来たのかい?」

 

「勿論!」

 

「どれどれ……」


 私が堂々とはいの返事を送ると、おばあちゃんが私の身体を触って来た。足や腹筋など、私が本当にトレーニングをしたのか確かめているのだろう。


 ちゃんとやったのよ、おばあちゃん。


「……どうやらサボらなかった様だね。対したもんさ」

 

「え?」

 

「たったの一カ月で挫折する奴は意外と多いからねぇ。あのダラダラの身体から良くやったもんだよ」

 

「なんとか頑張ったよ」

 

「もしサボっていたなら殴り飛ばした所さね」

 

「え!?」

 

「……よし!じゃあ早速、本格的なトレーニングを始めるよ。今日はパンチの打ち方を教えてやるからね。ストレッチして待っときな。あたしは着替えてくるからね」

 

「分かった!」


 2階から降りてきたおばあちゃんはヨボヨボの姿から美人さんの姿に変わっていた。

 デバイスで年齢操作を行った様だ。


「今日から本格的に「ハワード流」のボクシングを叩き込んで行くよ。あんたに、正しいパンチの打ち方を教えるさね」

 

「はい!」


 おばあちゃんに誘導される様に、吊るされているサンドバッグの前に立つと、おばあちゃんが棚に置いてある青いグローブと化学繊維のテープを渡して来た。


「ほらよ。これを付けな」

 

「グローブと……このテープは?」

 

「バンテージだよ。あんた、もしかしてバンテージも知らないのかい?」

 

「知らない」

 

「はぁ……とんでもない小娘だね。ボクサーはグローブの下にバンテージを巻いて拳を保護するのさ。手を出しな」

 

「うん」


 両手を出すと、おばあちゃんがバンテージを巻いてくれた。

 その上から青いグローブを装着して、パンチを教わる準備を整えたのだ。


「わぁ。グローブって意外と重いんだね」

 

「それは12オンスのグローブ。試合で使う物と全く同じ物さね」

 

「へー……これが……」

 

「さぁ!私の真似をして構えてみな!イーゼル!」


 初めて付けるボクシンググローブに関心していると、突然おばあちゃんが私を名前呼びにしてきた。

 

 今から本格的な練習に入るから気合を入れろ、という事だろうか。

 真意は分からないけど、私はおばあちゃんに応える様に気合を入れて返事をした。


「はい!シイラさん!」

 

「あんた、利き手は?」

 

「両利きです!」

 

「っ!?」


 私の答えにシイラさんが若干困惑した表情を見せたが、すぐにトレーニングを再開した。


「そうかい。まずは左足を前に出し、右拳を顎の前へ、左拳を顎のラインへに置いて、腰を落とす。肩幅より少し広い程度まで足幅を広げて顎を引く。これがボクシングの「オーソドックス」さね」

 

「な、なるほど……」

 

「拳に力は入れちゃダメだよ。パンチの速度が落ちるからね」

 

「え?そうなの?」

 

「ああ。素人は力を入れっぱにしてパンチを振り回すが、あれは間違いさ。パンチは十分脱力した方が威力も速度も増すのさ」

 

「ふむふむ」


 どうやら、1ヶ月前にシイラさんとスパーリングをした際、私が拳を思いっ切り振り回したのは間違いだったらしい。


「その構えから左足を一歩踏み出しな」

 

「こう?」

 

「そう。そこから左手を前に出す。腕が伸びきる瞬間に拳をグッと固めな。そしたら左手をすぐに戻す。これが「ジャブ」というパンチだよ」

 

「ジャブ……」

 

「イーゼル、少し離れてな」

 

「うん」


 そう言うと、シイラさんがサンドバッグの前で「オーソドックス」の構えを取り始めた。

 その様子は軽やかで、素人目でも分かる凄みを醸し出している。

 本音を言うと、ジムへ来る前まで私はシイラさんをただのおばあちゃんだと侮っていた。

 でも今となって分かった。

 シイラさん、只者じゃない。


「しっ!」

 

「っ!?」


 シイラさんが私に教えてくれたジャブというパンチをサンドバッグに放つと、物凄い破裂音がジムの室内中に響き渡った。

 耳を塞いでいないと鼓膜が破れそうな大きい音だ。

 そのジャブの威力は凄まじく、サンドバッグが天井までグルっと回り、一回転をしてシイラさんがそれを受け止めた。


「これが「ジャブ」さね。イーゼルには1ヶ月でこれくらいは出来る様になって貰うよ」

 

「こんな凄いパンチを……1カ月で……!?」

 

「当たり前だよ。これくらい出来なきゃ相手をぶっ倒すなんて夢のまた夢さ」

 

「し、シイラさんって、マジで凄い人なんだね」

 

「ジムの会長やってんだよ?これくらい出来て当然さね。さ、サンドバッグの前で構えな」

 

「わ、分かったよ」


 私は言われるがままにサンドバッグの前に立つと、ある事に気が付いた。

 あの「ジャブ」がどれ程強かったのかを証明する様にサンドバッグの真ん中付近が大きく凹んでいるのだ。


「まずは「ジャブ」を繰り返して身体に馴染ませな。そうさね……五千さね」

 

「五千?」

 

「五千回サンドバッグにジャブを打ちな。そしたら次のパンチを教えるよ」

 

「……ゴクリ」

 

「どうした、早くやりな。回数は数えてやるよ」

 

「わ、分かりました!」


 私はシイラさんの圧に逆らう気が出ず、そのままトレーニングを了承した。

 でも、ここから逃げたら1カ月の努力が崩れ去ってしまう様で恐ろしい。

 だから、今からの時間に真摯に向き合う事へ覚悟を決めたのだ。


「よし!ふっ……!?」

 

「そのサンドバッグは特注で重く作られてんだよ。そんなヘナチョコパンチじゃビクともしないさね。分かったらそれを動かすつもりでジャブを打ちな」

 

「了解!」

 

「もっと脇を締めな!打つ時はコンパクトに!サンドバッグに当たる瞬間だけ拳を固めるんだよ!」

 

「しっ!」

 

「そんなんじゃダメだい!もっと腕を引くスピードを速めるんだよ!」

 

「はい!」


 私はシイラさんの言われ通りに身体の使い方を修正していき、あっという間に百回はサンドバッグにジャブを打ちこんだ。


「はぁっ……!はぁっ……!」


 腕がとんでもなく重い!初めの方は軽やかにパンチを打てたけど、今は腕に鉛が詰まった様にとてつもなく重く、左腕に激痛が走っている。


「どうしたね。速度が落ちてるよ!」

 

「くっ……はぁっ……!」

 

「もし腕が動かないなら、権能で回復しても良いさね」

 

「え!?いいの!?」

 

「当り前さ。「転移ボクシング」は自身の身体能力をぶつける格闘技だよ。あんたの権能は身体能力の一つさね。どんどん使って鍛えまくりな!」

 

「分かった!権能開始オーソリティ―・スタート!大気生成、酸素抽出!」


 まさか権能を使用して良いとは思わなかったけど、冷静に考えてみれば使用するのも当然だ。

 千差万別の身体能力がぶつかり合い、試合事に勝敗の予測が誰にも付かずに新しい景色を魅せるからこそ、「転移ボクシング」は大きな人気を誇るスポーツなのだ。

 

 私は左腕に巡っている血管を意識し、「鉄と空を司る権能」を使って大気を生成した後に酸素のみを抽出。それを血流へと送り込んだ。

 私の左腕が重くなっているのは筋肉を酷使したせいで疲労が起きているからだ。

 筋肉疲労は血液の循環が悪化する事で引き起こされる。

 ならば酸素を供給すれば回復するのだ。


「良し!腕が軽くなった!」

 

「そのまま五千回まで繰り返しな!」

 

「はい!」


 シイラさんの指示に従いサンドバッグへパンチを放つ事千回目。

 私の権能は豆粒サイズの鉄塊を生成する程度の力しか持っていない為、酸素を生み出す力が切れかけてしまっていた。


「もっと足を強く踏み出すんだよ。地面を砕くイメージでね」

 

「はぁっ!はぁっ!はい!」


「いいかい?そのまま聞きな。ボクシングの全てのパンチは科学的に解析された合理性の元に打たれる、いわば科学と暴力の融合さね。足を踏み出すのには体重を拳へ伝えてパンチの威力を増させるという意味がある。その足さばきをしっかり覚えて、常に合理性を意識しながらパンチを打つんだよ!」


「はい!」

 

「そんなんじゃダメだよ!もっと速く!コンパクトに!」


 シイラさんに身体使いを矯正されて約40分後。

 ようやっと四千五百回のジャブを放つ事が出来た私だったが、筋肉疲労のせいで腕の速度が極端に落ち、パンチを打つというよりもただ腕を動かしているだけの状態になってしまっていた。


「はぁっ!はぁっ!」

 

「よし!五千だよ!」


「……っ!」

(お、終わった!)


 五千回の「ジャブ」を打ち終えた私だったが、左腕が拘束具で縛られてる様に全く動かない。

 さらに、左腕がガクガクと勝手に震え出していた。


「よしよし。最後までやり切っただけでも大したもんさね。次のパンチを教えるよ」

 

「はっ、はい!」


 すると、おばあちゃんが隣に置いてあるもう一つのサンドバッグに立ち、「オーソドックス」の構えを取った。


「さ、私の真似をしな。まずは腰を思いっ切り左回転させる」

 

「こ、こう?」

 

「違うよ。右足を右回転させて、その連動を腰に伝えて左回転させな。その回転力を右腕に伝えて拳を伸ばす。これが「ストレート」さね」

 

「ストレート……あ、天使の人が使っていたパンチだ!」

 

「その通りさね。イーゼル。少し離れてな」

 

「あ、うん」


 「ジャブ」と同様、シイラさんがストレートと呼ばれたパンチのお手本を見てせくれる様だ。


「しっ!」

 

「っ!?」


 シイラさんがサンドバッグにストレートを放った瞬間、シム内が大きく振動し、私がジャブを五千回打ってもビクともしなかったサンドバッグが弾け飛び、その背面にあるコンクリートの壁が粉々に砕け散り大きな穴を開けた。


「……うっそ……こんな事あるの……?」


 大きな穴からは外の景色が覗いており、涼しい風がジム内へ入ってきて汗だくになった身体を冷やしたのだ。


「ありゃりゃ。ちょっとやり過ぎちゃったかね」

 

「え……?すっご!」

 

「これを1カ月以内には出来る様になって貰うよ」

 

「……私が……これを?出来るの?」

 

「出来るさ。その為のトレーニングメニューをしっかりあたしが考えるさね」


 ここまでの力量を習得するのにどの様な厳しいトレーニングを行えば良いのだろうか。

 私はコンクリート壁の破壊跡を見て固唾を飲み戦慄するのだった。


「驚いてる暇は無いよ。今の「ストレート」を五千回やんな」

 

「わ、分かりました!」


 おばあちゃんがそう言うと、デバイスに組み込まれた「修復魔法」を使用してサンドバッグとコンクリート壁を修繕した。

 あっという間に元通りだ。


「さ、始めな!」

 

「はい!ふっ!」

 

「そうじゃないよ。もっと腰を回転させるんだよ」

 

「はぁっ!」

 

「そう!相手をぶっ倒す気持ちでやるんだよ。腕をもっと速く引きな!」

 

「はい!」


 何度かストレートを繰り返していくと、シイラさんがストップを掛けて私の身体を触りながら矯正を行って来た。


「いいかい?「ストレート」ってのはね。身体の連動を使うのさ」

 

「連動?」

 

「ああ。まず右脚を大きく捻り、その捻りを腰に伝える。こうやって動かすと身体全体が大きく回転するだろう?」

 

「うん」

 

「この回転力を使って拳を投げる様にパンチを打つのさ。やってみ」

 

「こう……かな?」

 

「そう。それを五千回やって身体に馴染ませな!」

 

「はい!」


 それからストレートを繰り返して百回目、私の身体全てから悲鳴が上がり、息を切らして肺が酸素を求めていた。


「はぁっ!はぁっ!」

(これ!マジでキツイ!ジャブは左腕を動かすだけだったけど、ストレートは全身を使うからマラソンみたいに疲れる!)


 権能を使って酸素を生成し続けてはいるが、私の力はとっくにガス欠を起こしている。

 生み出せる量は微々たる物だが、無いよりはマシだ。


「イーゼル!速度が落ちてるよ!一発一発しっかり打ちな!」

 

「はい!」


 それから約2時間後。

 私は疲労で「ストレート」のフォームを崩しながらもなんとか五千回を打つ事が出来た。

 打ち始めは良かったけど、100回を超えたあたりからは疲労で思考が歪み始め、1カ月前に基礎トレーニングを始めた際の最初の3日間を思い出し、とにかく気合のみでストレートを打っていた。

 初めてジムに来て合計1万回のパンチを打つ事になるとは思わなかったけど、自分が成長出来ている感覚があり結構楽しい。


「五千丁度だね。よし、休憩だよ」

 

「っ!はぁ……はぁ……!」

 

「ほら。水分補給してタオルで汗を拭きな」

 

「あ、ありがとう」


 シイラさんがボトルに入った冷やした水と白いタオルをくれたので、近くに置いてあったベンチに座り冷えた水をガブガブと飲むのであった。

 ボトルを置いてタオルで汗を拭こうとすると、両手が勝手に痙攣している事に気が付いた。

 両腕を動かす度に上腕二頭筋辺りから痛みが走り、手に上手く力が入らずボトルを持つ事すらままならない。


(ああ、水が美味しい・・・でも手が勝手に震えるし力が入らないから飲みにくい)

 

「よし、次はミット打ちだよ。リングへ上がんな!」

 

「あ、はい!」


 シイラさんに休憩の終わりを告げられた私は、再びグローブを装着して疲労に満ちた身体を気合で動かしリングへと上がるのだった。

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