いきなり練習試合!?
ジャージに着替えた私はリング内でストレッチをしていると、2階へ続く扉がガチャリと開き、おばあちゃんが姿を見せた……と思ったのだが?
「じゃあ早速始めるよ」
「あ、おばあちゃ……どなた?」
そこには、白髪長髪の美しい狼人が立っていた。
スポーティーな服の上からも分かる引き締まった筋肉に、スラっと伸びた手足と抜群のスタイル。
おばあちゃんの助手か何か?
「あたしだよ」
「……?ああ!年齢操作?」
「当たり前だよ。ヨボヨボの姿じゃ動き回れないからね」
「い、いや!変わり過ぎじゃない!?おばあちゃんそんなに美人だったの!?」
この世界の住人は成人になると、デバイスに搭載されている魔術を使って「年齢操作」を行う事が出来る。
若さを楽しみ続けるか、老いを楽しみ続けるか、どの様な外見で人生を過ごすのか。
その全てが個人の自由に委ねられているのだ。
その年齢操作で若返ったおばあちゃんは、雑誌の表紙を飾っても違和感が無い程の美人さんだ。
「あたしの事はどうでもいいさね。それより、あんたは覚悟出来てんだろうね?」
「う、うん!」
おばあちゃんがリング内へ上がると、その身長の大きさに驚く事になった。
確実に170cm以上はある大きな身長。ちょっと羨ましいかも。
すると、おばあちゃんより疑問が湧いて出た。
「早速だが小娘。あんたは何が出来んだい?」
「え?」
「種族と出来る事を教えな。あんた、そこの扉を壊す時に妙な力を使っただろ?」
おばあちゃんが親指でジェスチャーする先には、私が壊した横戸の扉が見える。
「あんたの力によってトレーニングメニューが変わるからね。教えな」
私の種族は……
「私は「神」で「鉄と空を司る権能」を持ってるよ」
――そう、私の種族は「神」だ。
「なんだい。あんた「神」だったのかい?」
「うん。そうだけど……」
「ふむ……確か、種族「神」には明確な定義が存在して、「8次元の領域へ介入し局所的な可能性を再現する」力を、身体能力として保有する。その身体能力を「権能」と呼ぶ。だったね?」
種族「神」の肉体は8次元へ介入する事が出来る。
8次元は"ありえたかもしれない可能性"が保存され、それを観測し現実へと収束させる事が「権能」の本質だ。
「そうだよ」
「で、あんたのその「権能」は何が出来るんだい?」
「えーっと、鉄と空に関係する事象や概念、物理的な現象を再現する事が出来るよ」
「なるほどねぇ……」
しばらく考え込む素振りを見せたおばあちゃんは、手元のデバイスを使って、ジムの天井にある照明の電源を入れた。
パァっとジム内が白い光に照らされて明るくなっていく。
「あんたの事は良く分かった!さぁ、掛かって来な!」
「え、と、グローブとか、着けなくても良いの?」
その疑問におばあちゃんがニヤリと笑い、高らかに宣言する。
「はん!小娘が生意気言うんじゃないよ。このあたしにガキのパンチが当たるわけ無いさ。グローブなんていらないよ!さっさと掛かって来な!」
「……よし!行くよ!おばあちゃん!」
いきなりスパーリングなんて驚いたけど、私は「転移ボクシング」を楽しむと決めたんだ。
この程度の事でビビって止まるわけには行かない。
私は雄叫びと共に気合を入れ、思いっ切りおばあちゃんへ拳を振るった。
「はぁっ!」
しかし、その拳がおばあちゃんの顔面を捉える事は無く空振りをした。
拳をわき腹に構え、そのまま顔面へ一直線にパンチを行ったが、おばあちゃんはその拳を紙一重の距離で避けたのだ。
「ふっ!はぁっ!」
パンチのやり方を知らないので私は拳をただ振り回す事しか出来ない。
だから全力でおばあちゃん目掛けて振り回すけど、それらのパンチ全てを紙一重の距離で避けられてしまう。
(なるほどねぇ。これが小娘のパンチかい。筋肉の動きからしてアウトボクシング向けだね)
そんな私をおばあちゃんは涼しげな様子で冷静に観察している。
「はぁっ……!はぁっ……!」
(全く当たらない!)
「そこまででいいよ」
「っ!?」
何という事だろう。私が思いっ切り振るったパンチを片手で止められてしまった。物凄い握力で握られ、全く手が動かない。
「あんたの事は大体分かったよ。いいモノ持ってるじゃないかい」
「はぁ……はぁ……いいモノ?」
「ああ。厳しいトレーニングを積めば強力なボクサーになれる筈さ」
「そうなの?」
「そうとも。リングを下りな。これでスパーリングは終わりだよ」
「う、うん!分かった!」
なんだか良く分からないけど、私はおばあちゃんを満足させる事が出来たらしい。
そして、このスパーリングを通して一つ分かった事がある。短い時間だったけど、パンチを振るってると物凄く疲れるという事だ。私の額からは大量の汗が流れ出て、ジャージの中も汗でビショビショだ。
リングを降りるおばあちゃんの元へ着いて行くと、再度警告を出されたのだ。
「あんたの事はよく分かったからね。まずは一ヶ月のトレーニングを熟して、そしたらまたジムへおいで」
「えっと、腕立て伏せ、上体起こし、スクワットを50回づつ。それからランニング5キロ。だったよね?」
大変そうなトレーニングだけど、「転移ボクシング」を始める為ならやってやる!
私は退屈な事が嫌いだけど、努力は退屈では無い。
寧ろ、自分が成長出来る過程を楽しめるので大好きだ。
「ダラダラの身体にパンチを仕込むわけには行かないさね」
「まずは基盤を整えるっていう事か。分かったよ」
「しっかりやるんだよ!サボったりしたら許さないからね!」
「う、うん!」
「あんたが筋トレをしている間、あたしもこのジムをメンテナンスしなきゃいけないからね。どの道しばらくトレーニングは無理さね」
「ああ……どの器具も埃が被ってるもんね」
「かれこれ百年以上は手付かずだったからね。買い替えなきゃいけん物が沢山だよ」
ジム内を改めて観察してみると、色々なトレーニング器具に錆び付きや劣化が見られる。
私の「鉄と空を司る権能」は周囲にある鉄の状態を感覚で正確に測ることが出来るのだ。
もしこの状態でトレーニング器具を使うとすぐに壊れて使い物にならなくなるだろう。
というか、使う以前に動かないと思う。
「あ、そうだ。おばあちゃんの名前は?」
「そういや名乗って無かったね。あたしは「シイラ・ハワード」。この「ハワードジム」の会長さ。まぁ好きな風に呼びな」
「分かったよ。おばあちゃん」
「さ!早くお行き!あたしは今から忙しくなるからね。筋トレサボんじゃないよ?」
「うん!また一カ月後に。話を聞いてくれてありがとう、おばあちゃん!またね!」
ジムへの入会手続きを済ませ、おばあちゃんに背中を押された私は「ハワードジム」を後にするのだった。
最初に断られた時はどうしようかと困惑したけど、王様の言葉を信じて良かったな。
涼しい風に豊かな木々の香り、流れる水音に美味しい空気。
やるべき事が終わり、安心に満ちた私は穏やかな環境を気楽な気分で歩き、わざと大回りでゆっくり散歩をしながら帰宅するのだった。
「……「転移ボクシング」を始める理由が楽しそうだから、ねぇ。その為に扉をぶっ壊してまで来るとは驚きだよ全く。この世界にあんな小娘がまだいるなら、あたしも本気を出そうかねぇ」
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