第8話
夕飯をカップ麺で済ましたあと、狐に連絡があった。
『到着した。数は私を入れて五名だ。私のみ君達がいるマンションに向かう』
やはり田嶋本人も来たようで、ポンコツAIの声に二人は顔を見合せた。ややあって連絡通り、チャイムが響き渡った。
質の悪い小型カメラがドア付近についており、それで外を確認出来る。一応映像を見てからヱマが出迎えた。
「はじめまして、琉生さん」
長い白髪と狼の耳に一瞬迷ったが、彼女はあくまでも初対面という体で会釈をした。元長官だと言ったところで大差はないだろうし、プライベートで仲が良かった訳ではないから意味がない。
「南美、無事で何よりだ」
まず彼を見るなりそう言った。ヱマがいる為仮面を被った状態で対応する。
「貴方もまだ動けるようで良かったです」
田嶋は彼に裏表があるのを知っている。特に注目もせず話を進めた。
「BLACK BLACKに動きはない。それが余計に不気味だ」
既に五月雨から連絡があったようで、殆ど動きを見せていないらしい。裏サイトや歌舞伎町等での少年らは相変わらずだが、恐らくそこは下っ端中の下っ端……BLACK BLACKの表と言ってもいい部分だ。
問題なのはそれ以上の連中だ。BLACK BLACKをただの半グレ集団から更に悪化させた連中が、爆破とほぼ同時に大人しくなっている。
「確実に二人の身元は割れている。そして南美があの殺害事件、傷害事件の被害者だというのも分かっているはずだ」
バーチャル依存症の依頼も、殺人ウイルスを作るような奴らなら特定出来ると田嶋は言った。
「事件の容疑者である青年はまだ見つかってすらいない。そのうえで南美がBLACK BLACKの周囲に居れば……少なくとも探っているというのは分かるだろう」
クラブでの男達が南美を撮影していたのなら、社長に銃口を向けた姿も勿論見られている。顔が映っていたかどうかは分からないが、多少なりとも事件を追って必死になる刑事の表情がそこにあったはずだ。
「もし青年がまだ組織のなかにいるのなら、南美を狙ってくるかも知れない。だからこそ大人しくしているのかも知れない。君に探られないように……」
逃げ延びたというのに殺しかけた男にまだ追いかけられていると思えば、単純に消してしまおうと思うはずだ。
「それに君の言う通り青年が自前の薬物のようなものでトチ狂っていたのなら、バレないように消してしまおうと組織自体が考えなくもない。少しでも漏れればウイルスで殺すような連中だ」
薬物という単語に反応したのはヱマだった。黙って聞いていたが、背筋を伸ばして口を挟んだ。
「ヤクってなんだ。自前って……五年前の奴らにそんな技術ねえぞ」
当時はまだ既存のウイルスや電子ドラッグを扱っていただけで、今のように自作する事は出来なかったはずだ。田嶋はヱマがやけに詳しい事に違和感を覚えながらも、彼を一瞥して答えた。
「南美の証言によると、その青年は眼が赤く光っており、首から頬にかけて黒い血管が幾つも浮き上がっていたそうだ。身体能力は猿というのもあって高かったがそれでも異常な程で、薬物と呼んでいるが実際はもっと違うヤバい代物だと考えている」
彼女の説明にヱマは眉根を寄せた。
「“タオウー”……特徴が一致してる……」
田嶋と南美は彼女の発言に驚きの表情を浮かべた。
「檮杌の中国語での名前だ。四凶の一つ、とにかく暴れるのが好きな悪神。そいつの名前をそのまま使ったのがタオウー……俺が現役時代に追ってた薬物みてえなヤバいやつだ……」
それに田嶋が掌を見せた。
「待て。公安で追っていたのか? BLACK BLACKを?」
少し口を挟んだ。ヱマは話を進める為、軽く説明した。正確にはその薬物の方を追っていた。
「タオウーは俺と次官とその他数名で密かに探っていたもんだ。中国語だし四凶が元だから最初は中国系かと思ったが違った。素性の知れない、性別も分からない奴が作ってたもんだって判明した」
然しヱマ自ら奴を追いかけた先で、公にもなっていない事件が発生。結局逃げられてしまい数年後に彼女は公安から消えた。
「そう、だったのか……それで急に居なくなったのか」
だから今の長官に嫌われているのだ。全ての責任や仕事を放り投げてしまったから……ヱマは一つ息を吐いた。
「BLACK BLACKにタオウーがあるのか、それとも奴自身がいるのか……どちらにせよその青年を捕まえる必要があるな。上手く行けば組織を潰せるかも知れねえし、そうなれば警察も解放される」
青年が南美を狙っているのならそのうちここは特定される。幾ら五月雨が見張っていても抜け道は必ずあるからだ。
とは言え下手に動く事は出来ない。田嶋達も近場に泊まる事になり、息を潜めた。
「買い出しか、まあそんぐらいなら大丈夫だろ」
二日程経過し、流石にカップ麺の類が底をついてきた。元々ヱマの一人分しかなかったし、近所にある個人店に向かう事になった。勿論田嶋には伝えてある。
「拳銃は持ってんのか?」
並んで商品を見ながら問いかけた。南美は無言でジャケットを軽く引っ張った。拳銃は田嶋から借りた大和仕様の物で、マガジンも二つ程所持していた。
「流石」
にっと牙を見せて棚からスナック菓子の袋を取った。その時、からんころんと来店の電子音を奏でながら男が二人現れた。ガムを噛んでいる店員が気だるげに出迎える。
「南美、お前これ好きなんじゃねえの?」
有名なチョコ菓子を指した。
「よく見てますねえ。安いですし買っときますか」
指を滑らせ、一箱取った。刹那。
がっと後ろから羽交い締めにされ、南美が振り向いた時にはヱマのこめかみに銃口が突きつけられていた。屈強な男が二人、流石の彼女でも苦しそうな表情を浮かべた。
もう片方の男が余裕を持って南美に拳銃を突きつける。
「手、挙げろ」
真っ黒な服装を睨みつけ、ゆっくりと両手を挙げた。ホルスターとグリップが見える。男が銃を突きつけたまま手を伸ばしてきた。
両方抜き取られる。南美は歯を食いしばった。視界を切り替えようとすれば殴られるか脚を撃たれるだろう、それに彼女が人質に取られた今下手な動きは出来ない。
「お前、南美だろ。元捜査一課の。どこまで知ってる」
その口ぶりにやはり青年絡みだと確信した。なるべく刺激しないよう、そして時間を稼げるように言葉を選んで演技をした。
意図を汲み取ったヱマは首を締め付ける太い腕から手を離した。ここからどうやって打開するかを計算する。
「要領を得ねえな。ハッキリ喋れ」
「いや、流石にパニックにもなりますよ。それに五年前の事……」
「嘘言うな。クラブでのお前、かなり手慣れてただろーが」
苛立ちを感じ始めた男が眉を釣り上げ、銃口を南美の額につけた。
「ハッキリ喋れ。じゃねえとぶち抜くぞ」
真正面から彼を見る。どう考えても南美に釘付けだ。
「ああすんません。喋りますわあ」
演技の最中に視界を切り替える。緊張状態なのが分かる。そろそろヱマが仕掛ける頃だろう、ギリギリまで言葉を伸ばして語り出した。
瞬間、ヱマが肘を叩き込み、力が緩んだのを感じると無理矢理腕を剥がした。そして声を出させないように口元を右手で防ぎ、左手だけで拳銃を奪い取った。
ハンマーを倒し右手を離しながら銃身を口内に突っ込んだ。トリガーを引くと脳漿を散らせた。
発砲音に男が反射的に振り向いた。緊張状態という事はそれだけ身体が動きやすいという事だ。振り向いた瞬間に股間を思い切り蹴り上げた。
声にならない絶叫をあげて崩れ落ちる。震える手で銃口を向けようとするが痛みが勝った。南美はその銃を奪い取り、抜き取られた拳銃をさっさと取り戻した。
「私を狙っとる奴がおるよな。今は……二十三歳か。猿の種族で茶髪の男。確か目元に赤い模様があったはずや」
とんとんっと自身の目元を指した。ヱマは怯える店員に対して会計を頼んだ。
「警官殺して私も殺そうとした奴。知っとるやろ」
奪い取った拳銃を軽く見てから極めて自然に銃口を向けた。男は痛みと恐怖に顔を歪めながらかぶりを振った。
「お、俺らは多分お前の言ってる奴に、ネット上で指示出されただけだ。名前も知らねえ、顔だって勿論知らねえけど……そいつがお前を殺そうとしてんのは確かだ」
僅かに後ろに退く。南美はふうんと小さく呟いた。
「他に知りたい事があるんだったら教える、だから」
ぱあんっと乾いた音が鳴り響き、すぐに拳銃からマガジンを落とした。敢えて指紋は拭き取らずに銃身を捨てる。がたんっと跳ねて転がった。
「琉生さん、帰って田嶋に連絡しましょう」
「ん? おお、思ったよりもすぐに来やがったしな」
ヱマは既に拳銃を捨てており、両手にパンパンのビニール袋をさげていた。南美が片方を持ち二人は部屋に戻った。
『怪我はないのか』
「ええ、琉生さんがいたお陰で」
狐のぬいぐるみ越しに田嶋と通話しつつ紙巻タバコを咥えた。ヱマがライターを放り投げ、受け取った。
『どうするか……もう私の権限でここを一時占領した方がいいような気もしてきたな』
くるりとライターを回し、火種を先端に近づけた。赤く灯る。
「そんなんやったら本格的にやられますよ。もう私を囮にしたらええでしょう。簡単に済みます」
飾りではない有害物質の含んだ煙を吐き出す。田嶋はいやと否定した。
『君は一般人だ。我々が動かねば、』
「堅苦しいなあキョウカ。本人がやれっつってんだからそれでいいだろ」
エナジードリンクを片手にソファの背に腰を軽くかけた。田嶋はそれでも認めたくない様子で溜息を吐いた。
『危険だ』
然し南美も退く気はない。一つ吸い込んだあと冷たく言い放った。
「いつも通りにしとるが、私は今すぐにでもあのクソ野郎をとっ捕まえたいんだよ。例えお前が否定してもやる。沖田の仇取れんのは私だけや」
低く、有無を言わさぬ声だった。ヱマはこれが南美の本性なのだと理解し、缶の端に口をつけた。
結局田嶋は折れ、南美を囲むように隊員を配置すると言った。
『私も退けない。君を死なせたくないからな、絶対に』
「……好きにしろ」
灰の溜まったタバコを灰皿に押し付け、無理矢理火を消した。
「琉生さん、私からの依頼です」
懐から出したのは先月分の給料が書かれた明細書とコードだった。早速外部デバイスで読み取る。電子マネーの残金がぽんっと増えた。
「背中は任せろ」
悪ガキのような笑みを浮かべ、部屋を出た。
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