第5話

 堺井組の組員数名がBLACK BLACK内部の情報を探り、大和総裁と精鋭隊員数名が二人の周囲を探った。そしてお互いにその事は知らず、大和総裁である田嶋が独断でヱマを調査していた事は、誰にも明かされなかった。

 十二月二十日。堺井組からヱマの元に一つのファイルが送られ、大和から南美の元に幾つかの画像、音声データが送られた。ヱマはいつものぼっちカフェを利用し、南美は事務所内でデータを閲覧した。

 真依ハルの殺害計画はBLACK BLACK内の幹部コミュニティで行われていたらしく、理由はやはりバレてしまったから。ハルがバレたと勘づいたのは、一重に例の患者の意識が現実に戻ってきたからだ。

 ハルは患者を使ってメタバース内の女性ユーザーを捕まえていた。麻薬の売り子や詐欺の掛け子のような立ち位置に彼を置いていたらしい、女性ユーザーに電子ドラッグを売りつけたりメタバース内での売春をやらせたりしていた。

 そしてその事はBLACK BLACKの幹部らも知っていたし、大体の事は周知されていた。患者が依存症で、尚且つ担当医が彼を実験台のようにしている事も知られていた。

 然し医者が予想に反した動きをした為、二人が患者の意識を戻す事に成功。芋づる式にハルの存在が分かってしまった。

 元々ハルはSNS上でBLACK BLACKのメンバーだという噂があった。売上がいいので黙認されていただけで、今の幹部やボスの方針からすれば厄介なメンバーだった。そのせいか、組員が実際に見たコミュニティ内の会話は短く、元から決まっているかのように淡々としていた。

 そして殺害を実行。然し“現実に殺しをやった者はいない。”ハルの死因は脳の神経が焼ききれたせいだが、もっと明確に言うとメタバース内にある自前のウイルスを使った殺害であり、神経どころか脳みそが丸ごと焼けてしまう。

 義体の一部が焼けたようになっていたのはそのせいであり、熱暴走で爆発したり発火したりするのと大差はない。報道で薬物によるものと言われたのはこの殺害方法が今のところBLACK BLACKにしか出来ない芸当だからだ。

 海の中にいたのはこのウイルスを使うと水辺を欲しがる為であり、たまたま浜の近くにいたせいで自発的に落ちた。だから目立った外傷もないし勿論指紋の類だってない。

 大和の調査でも分かったが、BLACK BLACKはWhite Whyの二人を認知している。幸いHPに南美の名前のみを載せていた為すぐに特定される事はなかった。だが歌舞伎町にはBLACK BLACKのメンバーが多い、軽く目星をつけられていたのは確かだ。

 大人しくしておけば離れていくような感じではあるが、ネットの掲示板でレスバトルをしているような連中がいる以上、完全に離れる事はないだろうと田嶋も堺井も言った。

『私から五月雨総裁に話をする。君も引くつもりはないだろうし』

 通話の先で田嶋は懇願するように言った。政府も警察も頼りにならないから、一般人である彼らに張り付いてしまった方が近づける可能性は高い。然しそれ以前に、彼女は南美の事が好きだった。

「分かっとる。けど、琉生さんを疑うのはやめてくれんか」

 溜息混じりの声に言葉が詰まった。ややあって諦めたように肩を落とす。

『すまん。やはり君にはバレるか』

 田嶋が自分を好いている事は知っている。知っているうえで冷たく言った。

「確かに何か隠しとるようやけど、少なくともBLACK BLACKの人間じゃない。だから琉生さんを気にせんのなら、好きに私らを使ってくれていい」

 彼女と出会ってから半年以上が経つ。完全に信用している訳ではないが、それでもBLACK BLACKの関係者ではない。田嶋は『分かった。すまない』と小さく言って通話を切った。

 然し一週間も経たないあいだに、また変死体が発見された。

「堺井組系の組員?」

 丁度昼を食べている時で、一日がかりの依頼だからヱマも同席していた。液晶テレビには事件現場のドローン映像が流れ、被害者の顔写真も公開された。

「BLACK BLACKにヤクザがおるとは。なんの為でしょうかね」

 南美は勿論知らないので他人事のように呟いた。だがヱマは箸をとめ、ややあって「うんこ行ってくるわ」と立ち上がった。

「琉生さん流石に食事中にうんこは、」

 振り向きながら指摘したが、一瞬見えた彼女の横顔は酷く真剣で見覚えのある雰囲気を纏っていた。何度も張り合った事のある、刑事にとっては目の上のたんこぶと言いたい上の連中……公安組織の人間達だ。それとやけに似ていた。

「……」

 一部をドレッドにした頭を撫でながら、ヱマは部屋を出て行った。

「ヘマやらかしたのはそっちだろうが」

 雑居ビル内にあるトイレは寂れており、基本利用者は二人しかいない。小型ドローンもロボットも使う必要が無いからだ。無駄に広いトイレの中で、ヱマの声は反響した。

『無茶ゆわんでくれ。こっちやって最大限気いつけてやっとった。それでもバレて消されたんや』

 堺井の声は不機嫌で、今にも怒鳴りそうな雰囲気を通話に乗せていた。それは彼女もそうだった。ぎりっと鋭い歯を鳴らして声を絞り出す。

「誰のお陰で今のアンタらがあると思ってんだ。生き残りてえなら真面目にやれ」

 然し相手は冷酷な態度のまま、彼女を突き放した。

『公安からの命令じゃ。ワシらはこれ以上協力せん。情に流されて消えたおのれに、今の公安は味方してくれんぞ』

 彼女は言うべき言葉を見失った。堺井は淡々と続けた。

『それに今のお前は元公安長官や。現役ちゃう。勘違いも大概にさらせ。ワシらが言うこと聞くんは今の長官様や』

 これ以上は無意味だと判断したのか、堺井は一方的に通話を切ってしまった。終了を合図する電子音に、ヱマは大きく息を吐き出した。

 殺された組員は例のウイルスによって脳が焼ききれていた。ただ一つ違うのは、ハルと違って外傷がある事だ。明らかに取っ組み合いをした痕跡があった。

 この情報は堺井が文章で送ったものであり、公安の指示を無視したものだった。ヱマは暫くトイレの個室で項垂れていた。

 ややあって部屋に戻ると南美は午後の準備を始めていた。とある企業の社長を護衛しろという依頼であり、許可証を持っている彼は自動拳銃の最終調整を行っていた。

「……大和を使わねえ企業の社長とか、ろくでもねえよ」

 息を吐きながらソファに座り込む。落ちるような座り方に彼の大きなピアスが揺れた。

「しゃーないですよ。犯罪以外断らないって条件で受けてますから。お陰でここ数ヶ月で依頼件数は増えてます」

 がたんっと重たい音が鳴る。彼の持っている自動拳銃は二丁共黒く塗りつぶされており、最新のAI搭載型モデルだった。下手したら新車より高いかも知れない。

「それより琉生さん、貴方動けるでしょ。もう一丁小型の拳銃があるので、渡しておきます」

 不意に手を掴まれ、掌の上に置かれた。それは片手で十分扱える程度の大きさで、弾倉は回転式だった。あまり飛距離はないが至近距離で発砲する分には問題ない、弾は六発だ。

「いやでも、」

 ヱマは現役時代から体術、特に足技が得意だった。故にあまり銃を使った事がない。勿論退職した後、彼のように許可証を取った事は一度もない。

 南美はパーツを組み直した拳銃を右手に立ち上がった。その白い双眸を見上げる。

「元公安長官、次官及び元大和総裁、長官、元五月雨総裁、長官は退職後も一丁のみ使用、所持が認められている。貴方なら、知っとりますよね」

 彼の眼は現役の刑事と同じだった。ヱマは少し口を開いたあと、諦めたように溜息を吐いて背もたれに身を預けた。

「なんで分かった」

 彼女は目標の為に元公安長官だというのを隠していた。失敗する危険性が高いからだ。長官時代は偽名を使っていたので、IDの桁数を不審に思っても役職を当てられる事はないだろうと思っていた。

 手慣れた様子で弾倉を開く。素人の触り方ではない。

「……大和総裁と個人的に繋がっとるんです。前の件で私らの周囲を調べてもらったんですが、そん時に彼女が独断で貴方を調べた」

 田嶋と通話した後日、彼は送られてきたデータに隠しがある事に気がついた。パスワードは田嶋の車のナンバーであり、開いた先にヱマに関する情報が書かれてあった。南美はそこで元公安長官だというのを知った。

「大和総裁……ああ、あの狼か。なんか気になるなと思ってたら」

「流石に長官となると気づきますか」

「そりゃな」

 ふっと向けられた笑みに彼女は拳銃を置いた。まだ時間はある。

「けどまだ若いのに、なんで辞めてフリーターなんてやっとるんです?」

 少し気を許せるようになったのか、事務所内の空気が柔らかくなった。ヱマは頬杖をついて適当に答えた。

「重苦しい空気というか、かたっくるしくて嫌になったんだよ。俺には向いてねーって思って」

「ふうん……まあそんな感じはしますねえ」

 話しながら少し離れる。拳銃をしまう為のショルダーホルスターを引っ張り出した。

「南美、お前はなんで辞めた。BLACK BLACKのガキ一人に傷つけられて萎えたのか」

 ソファの背もたれに腕を置いて振り向いた。いつものベストを着た上でショルダーホルスターを取り付ける。警察官特有の真面目な癖がよく出ていた。

「萎えた……まあある意味そうですね。萎えたんかも知れません」

 苦笑混じりの声に眉をあげる。特徴的な短い眉毛に一つ瞬きをして「ま、なんでもいいけどよ」と視線を逸らした。

 南美が現役時代に使っていたレッグホルスターを投げて渡した。使い古され革が柔らかく変色している。

「サイズ的に合わんかも知れませんが、貴方の服装じゃあしまう場所がありませんからね」

 ハンガーからジャケットを外す。ヱマは牙を見せて笑った。

「で、車で向かうのか?」

 ソファに片足をかけながら左側に装着した。太ももにホルスターが来るタイプだ。大きい拳銃だと重さに引っ張られるが、このぐらいのリボルバーなら問題はない。

「ええ。午前中とは別の場所です。他の社長と密会らしいですよ」

 今のご時世、White Whyのような何でも屋は珍しくない。少しグレーな立場にいる人間や政府の組織を毛嫌いしている人間は、何でも屋に護衛や運び屋紛いの仕事を依頼する。

 まだ南美は元刑事という経歴があるから崖の縁までしか行けないが、何もない若者や元裏社会の人間は犯罪の片棒を担いでいたりする。南美に依頼するだけ、あの医者も今回の社長もマシな方だ。

 社長自身が抱えている黒服は二人。南美とヱマで計四名の護衛だ。秘書こと社長夫人も護衛対象なので、それぞれ二人ずつ別れるのがベストだ。

「夫人、今回依頼を受けました。White Whyの南美と申します」

 関西の訛りを最大限抑えて頭をさげた。社長夫人はなぜか関西人を毛嫌いしており、南美は面倒が起きないよう声音を素に近づけた。

「こちらのお嬢さんは?」

 ふっと眼が向けられる。ヱマは隠す必要がなくなったからか、長官時代の技で丁寧な挨拶を交わした。

「銃を持っておられるって事は、琉生さんも元刑事さん?」

 チャラそうな見た目に反して堅苦しい挨拶をしたからだろう、夫人はヱマに興味を示したようだ。南美はざっと周囲を見て車の車種を別の視界で確認した。

「いえ、元公安の者です」

 彼女自身も経験から感じ取ったのだろう、社長より夫人の方が面倒くさい存在だと。荒っぽいいつもの性格が素なので、どこかぎこちない微苦笑を浮かべては肩を落とした。

 車は二台あり、どちらも大手企業の自動運転車。最新型のクラシックタイプだ。速度制限がかかっているが、緊急時には解除して手動運転に切り替えられる。ただ旧車と違ってアシスト機能が強い為、南美の運転技術では難しいだろう。

 次に黒服の二人は両方元格闘家だ。表に名がないところを見ると地下格闘の方で活躍していたのだろう。IDの桁数が短いうえに、個人情報の一部にノイズがかかっていた。

「そろそろね。先に車に乗っておきましょう」

 夫人は目元にシワを作って歩き出した。二人は夫人と同じ車に乗る。小走りで前に出て後部座席のドアを開けた。

「ありがとう。でも貴方、田舎臭いわよ」

 ふっと冷たい眼がよこされる。南美は眉をあげて「すみません」と言いドアを閉めた。何をそんなに嫌う必要があるのだろう、溜息を吐きながら前部座席に座った。

 自動運転で前方の車に追従する設定にしてある。社長の乗った車が動き出すとこちらもゆっくりと発進した。

 目的地は銀座にある高級クラブ。この手の社長や政治家が主に利用する場所で、基本一般人はお断りの店だ。そもそも招待制だし、ビルの屋上付近にあるからまず見つかる事はないが……。

『南美、今から行くクラブは俺が長官の頃にマークしてたところだ。警戒しとけ』

 予め電脳内で個人チャットを開いており、そこにヱマからのメッセージが表示された。

『マーク? 公安がって事は結構ヤバいとこやったんですか』

『当時はな。けど俺がそのまま辞めちまったから今はどうなってるのか分かんねえ。大人しくなってるのかも知んねえし、そのままの可能性だってある』

『なるほど……目をつけてたってだけで、明確に何かやらかした訳じゃないんですね』

『ああ。ただ公安がそれをするって事は相当だぞ。クラブ自体もだが社長と夫人も警戒しといた方がいいかもな』

 お互い横目で一瞥すると一旦チャットをミュートに切り替えた。電脳内のやり取りに集中するとどうしても反応が遅れてしまうからだ。裏でやり取りしていた、というだけでも十分信用度は落ちる。

 銀座にあるクラブまでは問題なく移動出来た。先に南美とヱマが降り、ドアを開けて夫人に手を差し出した。

「……女の子の手がいいわ」

 彼を冷たく見たあと後ろにいるヱマに微笑んだ。南美は胸中で盛大に舌打ちをかまし、彼女と入れ替わった。

「どうぞこちらへ」

 数年ぶりに行儀のいい仮面を被ったヱマが手を出すと、夫人はニコニコと機嫌よく車から降りた。恐らく元公安の女性というだけで気に入ったのだろう。

『俺は多分そんなに動けねえ。周囲の警戒やクリアリングは頼んだからな』

 チャット内のメッセージに視線を送って返す。小さく肯いて南美は一歩先を行く事になった。

 クラブが入っているビルには厳重なセキュリティが敷かれていた。監視カメラによるID認証、顔認証。感圧版による人数の確認。社長と夫人によるカードキーでの解錠。そしてフロントアンドロイドによる生態認証と危険物等の確認が行われる。

『すみません。拳銃の所持を確認致しました。認証済みであるかどうかを確認致します』

 南美はジャケットのボタンを外し、両脇にある自動拳銃を取り出した。ヱマは軽く膝を折ってリボルバーを抜いた。それぞれアンドロイドの前に見せる。

『確認中、確認中。問題ありません。元警視庁捜査一課南美巡査長、元公安調査庁琉生長官両名の確認が取れました。問題ありません』

 アンドロイドの無機質な声に社長も夫人も、黒服の二人も驚いて振り向いた。元刑事、元公安というのは言っていたが巡査長と長官だった事は一切語っていない。何も言わずホルスターに仕舞う二人を見つめた。

「琉生さんがまさか長官だったなんて、どうしてそのような格好をなさっているの?」

 上階にあがるエレベーター内で夫人がヱマに訊いた。然し夫である社長が窘める。

「なんでもかんでも聞き出そうとするんじゃない」

 それに夫人は笑みを漏らして「ごめんなさい」と言ったが眼は笑っていなかった。なんとも言えない居心地の悪い空気が暫く漂った。

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