第3話 (挿絵あり)

 医療センターについて受付に話を通しても、すぐに事は進まなかった。流石に喉が渇いて自販機で缶コーヒーを買った。ごとんっという音に膝を折る。

「嫌だ! 帰りたい! 現実は嫌だ!」

 遠くから泣き叫ぶ女の声が聞こえてきた。南美はかしゅっと音をたてながら振り向く。ここは医療センターという名前だが、半分以上は精神、神経科が占めている。バーチャル依存症や電脳感染症等を主に扱っている病院だ。ああいう患者は一般の病院でも時々いる、ここでは日常茶飯事なのだろう。

「現実が嫌な気持ちは、分からんでもないですね」

 待合室に戻ると不意に呟いた。ヱマはあまり待つのが得意ではないのか、落ち着きのない様子で脚を組み直した。

「だからってメタバースやインターネットに逃げたって変わんねえだろ。逆にそっちの方が嫌な現実を見せつけられる気がするな」

 とんっと壁に頭を預ける。南美は確かにと笑ってまた暫く待ちぼうけを喰らった。

「いや、申し訳ない。申し訳ない」

 小走りでやって来たのは背の低い小太りの男だった。二人が立ち上がると余計に差が激しく、医者は若干驚きながら微苦笑を浮かべた。えびす顔で、見た感じは印象がいい。

 どうやら入院患者が発作を起こしてしまったようで、それの対応に追われていたとの事。南美は得意の仮面を被って「大丈夫ですよー」と笑った。

「それで、本題なんですけどねえ……」

 関係者以外立ち入り禁止な通路を歩きながら、先を行く医者は困った声音で続けた。

「メタバースの方に依存している患者さんなんですけど、我々が潜ってもすぐに見破ってしまって手に負えないのですよ」

 大きな自動ドアをくぐる。その先にはエレベーターがあり、入院病棟へ繋がっていた。裏のルートがあるのは依存症患者の殆どが医者を敵視している為だ。三人は三つのうちの一つに乗り込んだ。ヱマは終始どうでも良さそうな態度で腕を組み、壁に身を預けていた。

挿絵

https://kakuyomu.jp/users/nekomaru16/news/16818023212113926689

「もしかして、それで我々に依頼をしはったんです?」

 南美が腰を曲げて尋ねると医者は身を退きながらも肯いた。背も高く筋肉質で、尚且つ顔面に傷のある男など怖くないわけがない。傍から見ているヱマは心のなかで、刑事時代の脅しの癖がついているんだと指摘した。

「かなり公的なものや人物に怯えているというか……五月雨はプロですから気付かれないとは思うのですが、もし彼らさえも見破ってしまったら……」

 ぎゅっと太った両手を握り締める。その様子に裏があって依頼してきたわけではないと、少し疑いの眼を緩めた。

「ですが、ホームページにもかいとる通り私は元警察官ですよ? 現職でないとは言え」

 それに対し、医者は声をワントーンあげてかぶりを振った。

「実は元なら平気なんですよ。私の知り合いに元大和の隊員がいまして、試しにメタバース内で患者さんと会わせてみたんです。そしたら何事もなく、彼が元大和だと言っても平気でした」

 南美はなるほどと肯き、「それなら大丈夫ですかねえ」と半分納得した。然しその時平気だっただけという可能性もあるし、元警察官だと話は違って来るかも知れない。大和は現実の特殊部隊だが警察官は場合によってはネット関係、メタバース関係にも探りを入れてくる。患者が自身のメタバース空間を脅かす存在が嫌いならば、元であっても警察官は難しいかも知れない。

「もし私で無理なようやったら、うちのバイトの琉生さんを使ってください」

 すっと話を向けられた彼女は、いやっと一瞬否定しようとした。然しそれをすれば南美にバレてしまう、すぐに視線を逸らして無愛想な態度をとった。

 患者は十七歳の少年。依存症として診断したのは一年前で、ここ数ヶ月で悪化してしまったので入院生活を送っている。

 意識は完全にメタバースへ移動しており、脳死状態と変わりがない。点滴や人工呼吸器による身体の維持だけで筋肉は殆ど落ちていた。実際に病室に入って見てみると言葉を失う程に酷く見えた。

「これでもメタバースから意識を閉めだすのは簡単な事というか、インターネットと違って方法が明確になっているのですよ。ネットは意識がありますから単純な話ではなくて、現状脳との接続を切るしか方法がないのです」

 医者は俯きながら説明した。メタバースは大概が意識移動を行っているので、メタバース内から閉めだしてしまえば勝手に現実へ戻って来てくれる。然しそれをする為には誰かが潜入して患者の意識に接触し、隙を見て強制ログアウトの印を押さねばならない。

「メタバースに入っても声が聞こえるよう、私も意識移動はしませんがメタバースに入ります。恐らく風船のような見た目のアバターになるかと……」

 両の指の腹を重ね合わせながら患者を見た。医療機器に埋もれた彼は起きる気配がなく、生気も感じない。南美とヱマはその場から逃げるようにして医者のあとについて行った。

 部屋にはメタバースエンジニアが数名待機しており、軽く挨拶を交わした。今回二人は意識移動をするので、それの安全確保とサポートを行う為に人数を増やしたらしい。五月雨なら自分達でするのでメタバースエンジニアは一人で十分だ。

「では、よろしいですね」

 椅子に座った南美とヱマはそれぞれ肯き、ふっと眼を閉じた。電脳内にある広場からメタバースへ移動、そこから注意事項と規約事項をざっと読んで同意し、意識をそちらへ移した。勿論現実の身体は力を失って人形のようになる。深い眠りに入った二人を見て、彼も後を追った。

「慣れねえな、意識移動」

 溜息混じりに言い、エンジニアから支給されたアバターに着替えた。ホームの入口付近に着替えた二人が出現する。

 アバターは兎のぬいぐるみだった。着ぐるみではないので、自分の手足がぼてっとしたフォルムになっている。ただ脳の混乱を避ける為指の数は五本だ。それぞれ腕や顔を触って見ていると、風船のような形のアバターが出現した。

「患者さんは可愛いものの方が安心するんです。動きづらいとは思いますが、よろしくお願いします」

 オープンチャットではなくプライベートチャットに切り替えているので、二人の耳には医者の声がしっかりと聞こえていた。

「私はいいんですけど、琉生さん、あんま喋らんとってくださいね」

「お前もその言葉遣い変だからな」

 互いに聞こえている声はアバターに合わせて変えられており、高く可愛らしい声でヱマは文句を垂れた。

「バイトでもした事ねえよ、こんなの……」

 頭の上にある耳を触る。ヱマの方は両方とも途中で折れていた。

 基本南美が喋る事になり、医者は患者が絶対に行かない医療、企業関連のブースエリアに向かった。プライベートチャットから抜けない限り声は聞こえる。

『恐らく彼はアニメ、漫画のブースエリアにいるでしょう。ピアスをつけた刺青の男で、必ず最低でも二人の女性アバターを連れています』

 分かりましたと返してメタバース内のマップを開いた。

「ピアスをつけた刺青の男ねえ。ネットでイキがるタイプだな」

 兎のぬいぐるみだというのにやけに堂々とした立ち方だ。ヱマには一歩退いておいてもらう方がいいかも知れないと、南美はマップで位置を確認すると顔をあげた。

「恐らくこっちでちやほやされて、依存してしもうたんでしょう。十代にありがちな事ですねえ」

 アニメ、漫画のブースエリアは人気度が高く、目立つ位置に入口があった。人通りが激しく、メタバースの意識移動に慣れていないと軽く朦朧とする。ヱマを先に行かせ、人混みに紛れた。

「刺青の男で女を連れてる……あ、いたぞ。アイツだろ」

 とんとんっと腕を叩かれ視線をやった。そこには体格のいい男の背があり、両隣に女がいた。タンクトップを着てあからさまにタトゥーを見せびらかしている。メタバース内では単なるアバターのデザインでしかないのに、周囲を威嚇しようとしているのが丸わかりだった。

「なあ、マジでこの見た目で行けると思うか? 両方女アバターにした方が良かったんじゃねえの」

 幾ら声が可愛くともヱマの低い発声方法は変えられない。あまりにミスマッチな姿を一瞥し、医者に連絡をとった。

『ああ、なるほど。確かにそうですね。ですが暫く待ってみてください。そしたら女性アバターが離れて、患者さんだけブースエリアの奥に行くはずです。そこをついて行って話しかければ大丈夫ですよ』

 その言葉に二人は顔を見合わせた。アバターのデザインなのかそれとも設定なのか、現実と違って身長が逆転していた。やけに小さなヱマは南美を先に行かせる事にし、患者が女と離れて動きだすと背中について行った。

 ブースエリアに必ずある静かな休憩スペース、彼はそこに入って行った。兎の二人も後に続く。ソファに座っているのが見えた。

 先程と違って小さく感じた。背中が曲がっており、きゅっと手足を縮めている。依存症は長期になると脳神経にダメージが入ったり、精神的に不安定になりやすい、きっとその辺りが作用しているのだろう。患者の様子はある意味、気味が悪かった。

「こんにちは。龍夜さん」

 南美が声色を変えて話しかけた。警官時代の技術だ、青少年の相手もそれなりにやって来た。

「えっ、と」

 顔をあげた彼の双眸は怯えていた。幾ら意識移動を行っていても、アバターにここまで細かい感情は反映されない。ただ依存症の場合は意識がアバターと深く結びついており、細かな部分まで再現される。だから依存症は見つかりやすい。

「ごめんなさい。僕はわらび餅って言います。さっきブースエリアで龍夜さんを見て、カッコイイなと思って話しかけたんです」

 少々女っぽい雰囲気で笑い声混じりに言った。少しでもその気があればこういうガキは食いつく。案の定顔がはっとして、背筋が伸びた。

「す、すんません。休憩スペースなんで気い抜いちゃってて」

 声は勿論変えているが発声方法、癖、喋り方は変わらない。お蔭でかなり違和感のある出で立ちだった。

「で、後ろの人は?」

「ああ、彼女は僕の友達のもっちゃんです。喋るの得意じゃなくて、チャットはミュートにしてるんですよ」

 仁王立ちで腕組をしかけながら、ヱマは南美が咄嗟に放った設定に合わせた。如何にも引っ込み思案な女の子という体で軽く頭をさげる。南美に隠れるようにして立っていても違和感はない。

「あっ、なるほど。えーっと、わらびもちちゃんは女の子?」

 早速ちゃん呼びか、南美は心の中で低く呟いた。勘違いしきって後に退けなくなった口だろう、「まあ、そう、ですね」と照れながら言った。幸いにもこのアバターは表情をあまり出さない、いや恐らくエンジニアがそう設定したのだろう。だからぬいぐるみのようなデザインになった。

「友達って、リアルの友達?」

 それに南美は振り向いた。ヱマはプライベートチャットで答えた。勿論彼にしか聞こえない。

『依存者はリアルを嫌ってやがる。無難にネッ友にしとけ』

 患者に向き直るとネットの友達だと答えた。とにかく刺激をしない事だ。相手が隙を見せなければ意味がない。

 青少年の相手も多くしてきた、その経験が退職した今になって役立つとは思っていなかった。どこか内気で陰のある少女を簡単に演じると、患者はどんどんと心を開いていった。

「ああ、リアルか……分かる。俺もリアルが嫌でこっちに来たんだよ」

 自身の事を話し始めた。ヱマと南美は顔を見合せて肯き、話を合わせていった。もっと隙を見せるように、もっと油断するように。

「でも、お前らには分からねえだろ」

 ふっと自虐的かつ排他的な眼が向けられた。少し驚いたので反応が遅れる、南美が危機感を覚えて言葉を言おうとした時、患者が勢いよく立ち上がった。

「お前らのアバター、学会に使われてるやつを改造したもんだろ! 医者か、五月雨か?! 誰だお前ら!」

 声を荒げながら取り出したのは一丁の拳銃だった。本来ならば五月雨以外持つ事を許されないが、メタバース内にはバグを利用して銃を所持している者もいる。彼はその一人だ。

 グリッチノイズの入った銃身の先は二人に向いていた。ヱマと南美は咄嗟に両手を挙げる。そのやけに手慣れた動きに、患者は感情を爆発させた。

「警察官か……? 警察だろ! クソッタレ!」

 吐き捨てるように暴言を繰り返す。警察組織に対する不満や愚痴が垂れ流され、まだ確定もしていないのに二人に対してあれこれ捲し立てた。

『学会は医師免許を取得している者しか入れません。そして彼の言っているアバターは恐らく精神科のもの……一番セキュリティの高いエリアですから、彼が知っているのはおかしな事です』

 流石に騒ぎを聞きつけて医者が口を挟んできた。南美が問う。

『バグ銃持っとる奴ですよ、ハッキングなんかの痕跡はないんですか』

『ありません。彼のメタバース内、ネット内での行動は全部私のところに届きますし、そもそも学会がハッキングされたら自動的にデータが削除されます。なのでおかしいのですよ……』

 然しそこを突き止めようにも彼は興奮してしまっている。アバターが乱れ、周囲の空間にまでノイズが発生していた。それだけ意識がメタバースと強く結びついているのだろう。

『一先ず彼を大人しくさせます』

 強制ログアウトの権限はヱマも持っているが、今回彼女は“動く気がない。”南美は勿論何も知らないので、彼一人で成功出来るようエンジニアに向けて提案した。

『一旦メタバースからログアウトします。その後、患者の背後に出現出来るようにしてもらえませんか?』

 アバターの初期位置を変更するのはユーザー側では不可能だ。エンジニアは十秒程あればと答え、南美はヱマに「患者を監視しとってください」と言った。発砲されないとは言いきれないが、それが一番安全だとも付け加えた。

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