第2話 (挿絵あり)
朝七時頃、一昔前の液晶テレビにニュース番組が映されていた。アナウンサーを務めるのは人間に近づけて作られたロボット、所謂アンドロイドというやつだ。南美は電子タバコを手にぼうっと眺めていた。ヱマが参戦したところで、朝のこの時間帯はいつも通りだ。
口の端から煙が抜けてゆく。幾ら進化したところでアナログの要素を求めてしまう、電子タバコからわざわざ吐き出される煙はそれの代表格でもあった。
結んでいない紫色の長髪を耳にかけ、タバコを咥えたままテーブルにあるリモコンに手を伸ばした。だがふっと一つの組織名が聞こえた時、彼の動きが止まった。顔をあげるとアンドロイドが真面目な顔で読み上げていた。
内容は十代の少年少女が暴行事件を起こし、逮捕されたというものだった。一人の無関係な中年男性を恐喝した後に殴る蹴るの暴行を加えたらしい、言わばおやじ狩りのようなものだ。
だが問題なのは、彼ら加害者の少年グループ五名が全員、“BLACK BLACK”のメンバーを名乗ったところだ。一年か二年程前からじわじわと話題になりだした非行集団であり、主に十代、二十代が所属している。
最初はいたずらやネット上での荒らし行為等、あまり目立つ事がなかった。然しネットだけでなくメタバース内でも輪が広まりはじめ、所謂本物に近い連中も混ざるようになった。そこからの暴走は凄まじいものだった。
裏サイトでは電子ドラッグの売買、売春、リベンジポルノ等が横行しており、犯罪行為の生配信もあれば、通りすがりの一般人にゴミを投げつける動画がアップされる事もある。そして何より、BLACK BLACKは五年程前、ネット上で迷惑集団として問題視されていた頃、殺人事件と傷害事件を同時に起こした。
事件に関与していた当時十七歳の少年と十五歳の少女は逮捕されているが、殺人を行った張本人は逮捕されるどころか捜査が困難になった。警察は意地でも見つけようと分かっている特徴を何度も流し、情報を集めようとした。然し被害者の一人が警察手帳を手放した後でも、有力な情報は一切届いていない。
新宿区警官殺害事件。夜の歌舞伎町で発生したその事件は、元々逮捕されていない少年か青年かを捕まえる為に、刑事二人が私服姿で乗り込んだものだった。一人は当時二十七歳の沖田という男で、殺人事件の被害者だ。そしてもう一人は当時二十八歳の南美。傷害事件の被害者だ。
二人はバディだった。猪突猛進な沖田と、冷静沈着な南美、対照的だが息の合ったコンビネーションで幾つもの事件を解決に導いてきた。今回もそれを期待されて歌舞伎町に送り出されたのだ。
最初は好調だった。警察官だと気付かれずに近づく事が出来た。然し対象の少年、いや青年が僅かな警察官の癖を見破ったのだ。それは南美の目線の動きと瞬きの頻度だった。
刑事警察は視神経の義体化を義務付けている。捜査一課の二人は勿論眼の中身が特殊だった。
一定の目線の動きと瞬きの長さで視界を切り替える事ができ、南美はその時丁度、逮捕された少年少女と逮捕されなかった青年の三人を別の視界で見ていた。電脳のIDは勿論の事、そこに紐づけられている個人情報や現在の感情、緊張状態かどうかを見ていたのだ。
青年が身破った瞬間、南美の眼には一気に緊張状態を示す赤い表示が点滅した。この緊張状態とは相手が何をするか分からないという、警察官に対するアラートのようなものだった。感づかれたと共に南美が先手をとって青年の腕を掴んだ。
そのまま背負い投げに移行しようとしたが、少女の方がナイフを取り出し、彼に対して躊躇いなく振るった。間一髪で避けたものの腹の辺りを掠り、ワイシャツが裂けた。
防刃ベストが顔を出す。南美がさがると少年もナイフを取り出した。どちらも緊張状態だ。
青年は彼らの後ろでこちらを睨みつけており、二人はどうするか悩んだ。正直子供相手なら幾らナイフを持っていても勝つ事は出来る、然し体格のいい男が本気を出せばどうなるかは一目瞭然だった。
それでも悠長な事は言っていられない、沖田と南美は覚悟を決めると、出来る限り手加減をした。それぞれがナイフを持って突っ込んできたところを避けて、背中を蹴った。すかさず地面に伏せさせナイフを奪い取った。
手錠を素早くかけて南美が応援を寄越す。そのあいだに沖田が間髪入れずに青年に向かった。だが青年は素早く避けて逃げ出してしまった。
身軽に路地裏を抜けて、勢いを殺さずに外階段をあがって行った。二人は負けず劣らずの速さで追いかけるが、青年の種族は猿だ、エルフとデーモンではそもそもの身軽さが違った。
ビルの屋上に行くと、青年の独壇場だった。ひょいひょいと逃げ回り、煽るような仕草を見せた。パーカーのフードであまり顔は見えなかったが、確かに笑っていた。
それに沖田が本気を出してコートを脱ぎ捨て、スーツのジャケットも脱ぎ捨てた。一気に追い上げてくる刑事に青年は煽るのをやめた。
南美は当時からあまり持久力がなかった。そもそもエルフは筋肉も体力もつけるのが難しい種族で、アクティブに動き回れるだけの筋力をつけられただけでも立派なものだ。それでも必死に後を追っていると、広い屋上で青年と沖田が睨み合っていた。
青年の後ろには飛び移れる距離の建物がなく、沖田の方にしかない。袋小路に嵌ったのだ、自分から。
沖田は指を鳴らし、拳を構えた。とんとんっと前後に跳ぶのが彼の癖だ。南美は同じ屋上に飛び降り、腰から拳銃を抜いた。ロックを解除する。
歌舞伎町の屋上に冬の夜風が吹いた。南美のコートの裾が舞い上がった瞬間、すとんっという小さな音が鳴った。
それはナイフだった。ナイフと言っても特殊な形状のもので、投げる事を想定した作りになっていた。
沖田の首にそいつが刺さっていた。南美が眼を丸くして銃身をさげると共に、大量の血が刃を押しのけて出てきた。
膝から倒れてゆくのを見て、名前を叫びながら駆け寄ろうとした。然し殺意を感じ取って青年に視線をやった時、ナイフの切先がこちらに向かって来ていた。慌てて頭をさげて回避する。
片手だけで銃口を向け、トリガーを引いた。威嚇射撃として何発も撃ちながら沖田に駆け寄る。左腕に彼を抱きかかえ、今度は狙いを青年の身体に定めた。
血が染みる。沖田は血まみれの手で南美の襟元を掴んだ。何かを言おうと口を開くが声が出ない。正面からナイフが刺さっているのだから、出ないのは当たり前だ。デーモンだからすぐに死ねないだけで他の種族ならとっくに死んでいる。
ぐっと引っ張られる感覚を味わいながら、南美は歯を食いしばった。そしてトリガーにかけた指に力を入れた。
発砲した瞬間、青年はぐにゃりと身体を曲げて回避した。弾丸を避けた事に驚き、青年がそこから動き出した事に反応が遅れた。
すぐそこまで来ている。南美は沖田から離れた。どうせ助からないのだと自分に言い聞かせ、ぎりぎりのところで横に動いた。然し左の頬に痛みが走る。ナイフが掠ったのだ。
今度は右から刃が振られる。執拗に顔を狙って来るのはベストを着ているからだろう。太股に刺すという手もあるが、青年はそれをしなかった。なぜか首や顔に固執してナイフを振って来る。
然もその速度は尋常ではなく、とうとう馬乗りになられた。その瞬間銃口を身体に押し付けたが、すっと切先が振り下ろされた為、思い切り上半身を横に逸らせた。
今度は右の頬に深めの傷が出来上がる。舌打ちをかまし、拳銃を使ってそのままの体勢でこめかみを殴った。青年が力を緩めた瞬間に脚で蹴り上げ、ごろごろと転がって離れてから膝をついた。
歪な位置に出来た二つの傷から血が流れ、汗のように顎先から落ちていった。南美は眉根を寄せ立ち上がろうとした。瞬間ノーモーションでナイフが飛んできた。
然し少し遅く、避けるだけの余裕があった。顔を逸らせてすぐに体勢を立て直そうと腰を上げようとした。
気付いた時には青年が眼前にいた。今度は動き出した事も解らなかった。南美は眼を丸くして見上げた。
ナイフの切先が鼻の上に当てられ、ゆっくりと左に向かっていく。そのあいだに見えた青年の眼は赤く輝いていた。そして首から頬にかけて、黒い血管のようなものが浮き上がっていた。電子ドラッグではない、見たことのない狂気がそこに渦巻いていた。
挿絵
https://kakuyomu.jp/users/nekomaru16/news/16818023212113702401
顔面が血まみれになっても眼が離せない程に異常で、この世のものではなかった。あのバトル漫画かと言いたくなるような投げナイフも、有り得ない程の移動も、この顔を見れば全て納得してしまう程におぞましいものだった。
然し警察仕様のドローンが数機、サイレンを鳴らしながら現れた。瞬間青年は振り向き、血のついたナイフを握り締めたまま走りだした。方向は飛び移る建物がない東側、二機のドローンが頭のランプを回しながら追いかけた。
青年は躊躇いもなく飛び降りた。ドローンが後に続いて降りて行った。然し行方が分からなくなったのか、すぐに屋上へ戻って来た。
沖田は死亡した。顔面に包帯を巻いた南美は、彼の棺桶の前で拳を握り締めた。
半年後に南美は辞職、然し諦めきれずに元刑事の探偵として事務所を立ち上げた。勿論もう警察官ではないので情報は古いものが多いし、明かされていない部分も多い。五年以上が経った今でも犯人の輪郭すらまともに分かっていない。
俯いた彼の頭上で白煙が揺らぐ。然しがちゃりと扉が開くと流れが変わった。
「うーっす」
無駄に大きな声で現れたのはヱマだ。今まで一人で静かだった空間は壊される、南美は一つ溜息を吐いてから顔をあげた。
「おはようございます、琉生さん」
コーヒーでもどうかと声をかけたが彼女は遮った。何か用があって来たようで、電脳内にメッセージが飛んできた。
「早速依頼。早朝からはじめの方に来てたんだとよ」
くあっと大きく欠伸を漏らして身体を伸ばした。南美はテレビを消してメッセージの内容を確認した。
「依存症治療の依頼? なんでうちに」
ヱマは彼の質問に対してさあと首を傾げた。黄色いヘアピンをつけた前髪が揺れる。
「はじめから送られたのをそのまま転送しただけだから、俺もその辺は知らねえ。多分はじめも知らねえと思うよ」
どこか他人事のような、どこか興味のなさそうな態度に視線を落とした。一先ず時間に間に合うよう、電子タバコの電源を切りながら立ち上がった。
依頼主は秋葉原付近にある医療センターの精神科医。内容は簡単に言えば、バーチャル依存症の治療に伴う補助、サポート。然しまだ名声のない何でも屋に依頼するのはおかしな話だ。対象がメタバースなら、それこそそれに特化した特殊部隊である五月雨に依頼すればいい。わざわざ無名の二人に頼む内容ではない。
「どこも不景気だから、五月雨なんていうデカイ組織は使えないんじゃねえの」
南美の愛車で現場である医療センターまで向かいながら、どうして我々に依頼して来たのかを考えた。適当な答えを出すヱマにうーんと煮え切らない息を吐いた。
「都内の医療センターに限って、そんな事はないと思うんやけどねえ。然もバーチャル依存症は社会問題の一つでもあるから、国からある程度支給されるはずなんですよ」
五月雨の隊員を二、三人雇うぐらいなら、国が全面的にサポートしてくれるはずだ。きちんとそういう政策をとっているのだから、幾ら政府でも真面目にやる……。何かしら病院側に、医者側に裏がなければ筋が通らない。とんとんっとハンドルを指で叩いた。
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