White Why
白銀隼斗
第1話 (表紙絵あり)
表紙
https://kakuyomu.jp/users/nekomaru16/news/16818023212113482130
数年前からおろされたままのシャッター。そこに重ねられて描かれたスプレーアート。電子ポスターはちらつきながら動き続けていた。
東京都新宿区、歌舞伎町。人通りの多い繁華街のなかを、二人の男女が走っていた。
「南美! マジでこっち方面に逃げたんだよなあ!?」
大声を出して先頭を走るのは、青い二本の角と腹を出した恰好が特徴的な鬼、琉生ヱマ。スカジャンを翻してひらひらと人を避けていく。百八十五センチと、女の鬼でも大柄な彼女は相方を置いてどんどんと先へ走って行った。
「ちょ、琉生さん、まっ……」
後から追いかけるのは、長く尖った耳と顔面の傷が特徴的なエルフ、南美。纏めた髪に簪をさしており優雅な見た目だが、かっちりとしたスーツと革靴で必死に走った。百八十センチでガタイもいいが、持久力はそこまでないらしい。やっとヱマのもとに辿り着いた時には、大きく息を吐き出して膝に手をついた。
息を切らす彼を尻目に、ヱマはにっと口角をあげた。鋭い牙の羅列がよく見える。
「追い詰めたぜ……」
彼らが追っていたのは一匹の猫だった。首輪がつけられており、昔ながらのキーホルダーがきらりと揺れた。
ヱマがじりじりとにじり寄っていく。猫は耳を寝かせて威嚇の姿勢を取りながら、ゆっくりと後退していった。相手は猫だからビルの隙間やちょっとした段差に行かれたら終わる、もうこれ以上時間をかけたくない彼女は両手を広げて跳びかかった。
然し猫は間一髪で避け、鬼の角をすり抜けて頭を踏みつけていった。そのまま走ると、南美の懐に飛び込んだ。慌てて両手を出して受け止める。
「は?」
ヤンキー座りのままヱマは振り向いた。猫はなぜか南美の腕のなかで眼を細め、ごろごろと音を鳴らしていた。
「だから待ってってゆうたんですよ」
大きな手で猫を撫でる。シルバーの指輪が柔らかい毛のなかに埋もれた。
「それに琉生さん怖いから。猫ちゃんこわがっとるんですよ」
まるで悪者扱いをしているかのような言い方の南美に対し、ヱマは立ち上がりながら指をさした。
「顔面傷だらけのお前に言われたかねえ!」
よく通る声に彼と同じ尖った耳の先が僅かに揺れた。
『登録名、南美。性別、男性。種族、エルフ。年齢、三十三歳。職業、自営業。登録を完了しますか?』
埃っぽい事務所のような部屋にAIはじめちゃんの声が響いた。業務用のはじめ二十は声のトーンが低く、女性アナウンサーのような響きをしていた。
「マジでここ、俺らの事務所にすんの?」
日の光に照らされた埃を水色の双眸で追う。室内に残されているソファや電子機器の類は古く、そもそもこの雑居ビル自体が寂れた雰囲気を纏っていた。カバーをかけられた机の端に腰を預けた。きっとあとでスカジャンの裾を南美に掃われる事だろう。
「ええ。東京で安いのはここぐらいしかないんで。私はええとこやと思うんですけどねえ」
登録を終えた彼がズボンのポケットに手をかけながら見まわした。ビルの管理を担う小型ドローンが動き、ヱマの前で停止した。今度は彼女の事を登録する。
「マスクしながら言う事じゃねえっての」
表示されたホログラム式の画面をタッチし、基本情報を入力した。ややあってはじめちゃんの声が響く。
『登録名、琉生ヱマ。性別、女性。種族、鬼。年齢、二十六歳。職業、フリーター。登録を完了しますか?』
画面が切り替わり、イエスとノーの分かりやすい選択肢が現れた。迷わずイエスを選択する。はじめちゃんは軽く沈黙をおいたあとに、『登録、完了しました』と言って移動した。
「フリーター? 一応私の方で雇えますけど……」
ふっと白い双眸をヱマに向けた。腕組をしてこちらに向いた鬼の眼つきは鋭く、一切信用されていないのが判った。
「探偵とかいうギリギリで成り立ってる何でも屋に雇われるのと、フリーターのままバイトの一つとしてやるのと、どっちがまともだよ」
それに南美は視線を逸らした。
「前者の方がアホやね」
「だろ」
沈黙が一つ流れたあと、はじめちゃんの声が響いた。
『認可がおりましたので、今から改装に移ります。退出を願います』
小さく静かなモーター音を鳴らして移動すると、ヱマの背中を押した。機体から三本指のアームが出ており、ぐいぐいと扉の方に背中を押す。
「痛い痛い! 力強すぎだろバカ!」
大柄な鬼でも抵抗出来ない程の力で外の廊下に押し出した。そして南美に対しては小型のディスプレイに映る表情を変え、丁寧に外を指した。
素直に廊下へ出ると、小型ドローンはアームを使って扉を閉めた。じいっと横から睨まれつつ頬を掻く。
「対応、違いすぎねえ?」
不貞腐れた声に南美は微苦笑を浮かべた。
「私の名義で借りとるから、でしょうかね」
それにヱマは「金かよ」と呟き、スカジャンのポケットに手を突っ込みながら歩きだした。
時刻は十一時を過ぎた頃、早めに昼飯を済ます事になり、彼が所有している車をとりに行った。近くの地下駐車場に停めてあり、二人の足音が反響した。
「……あれ?」
とある車の前で南美が“キー”を取り出すと、ヱマが眼を細めながら指をさした。背を丸くする彼女に対して肯く。
「ビンボーなんで昔の同僚に譲ってもらったもんを未だに乗っとるんですよ」
手中にあるキーを軽く投げる。それはひと世代前の形であり、パワースイッチが主流となっている現代では知らない世代も多い。革製のキーホルダーと共に手中に落ちた。
南美の車はプリンス・スカイライン・スポーツの白であり、所謂旧車と呼ばれるものだ。自動運転機能は当時にもあった路地や小道以外の道、高速道路のみで、それ以外は対応していない。また搭載されているAIも初期型に近く、基本ナビでしか活躍しない。
「まあ、俺は嫌いじゃねえけど。それにこれオープンカーだろ?」
「ええ。天気ええですし、開けて行きますか」
ロック解除のボタンを押すと、開錠の音と共にヘッドライトが点滅した。今の車なら近づいた時点で自動的に開錠されるから、キーを見れば一発で旧車を乗っていると判る。
運転席、助手席にそれぞれ乗り込み、エンジンを吹かしてから地下駐車場を出た。一先ず大通りを行く事になり、自動運転に切り替える。ここも旧式だ。
風が流れ、ピアスと髪が揺れる。
「どこ行きます?」
「ファミレスかどっか」
適当な返事にナビを操作し、近場にあるチェーン店に向かった。自動運転の範囲内だったので、特に苦労もせずスムーズに進んだ。これが自分だけ人力だと、周りのペースに合わせられずにひやひやする事が多い。だから余計に旧車は安いのだ。
十二時前でもそれなりの数はいた。少しばかり待ったあと、角の方にある席に通された。まずはお冷で喉を潤す。
「俺、めちゃくちゃ金ないから安いのでいい」
「私も今月は微妙やから、手軽なの……」
とにかく値段が安くて量も程々にありそうな料理を選び、それぞれタブレットで注文した。また沈黙が流れる。南美は窓の外をぼうっと見つめ、ヱマは足を組んだり広げたりもぞもぞと動いていた。そのうち彼女の方から声がかかった。
「なあ、名前どーするよ」
ただ外を見ていたわけではなかったようで、南美は何度か瞬きをしてから「はい?」と返事をした。それは電脳内のインターネットに接続していた証拠であり、ヱマは特に気にする様子もなく同じ事を繰り返した。
「名前、ですかあ」
「今は南美探偵事務所だろ。でもそれじゃ、古臭くて誰も依頼なんて寄越してくれねえよ」
「そうは言われてもなあ、なんか名前の候補とかあります?」
ヱマは一つおいてから真面目な顔で答えた。
「ない」
反射的に悪態を吐きそうになった南美は咳払いをし、微苦笑を浮かべて「一緒に考えますか」と提案した。それから料理が運ばれて来るまでのあいだ頭を悩ませ、料理が来たら考えるのをやめて食べる事に集中した。
お互いに満足して息を吐いてから、ヱマが一つ名前を挙げた。
「ミヱヶ島電鉄」
表記を電脳内で書いてネットを介して送り付けた。南美はほおと呟いたあとに名前を挙げた。
「White Why」
それに対してヱマの口から一瞬「ダ」という音が出た。慌てて座り直して肯く。
「いいと思う。カッコイイ」
内心ではかなり馬鹿だと思った。眼前の男は想像以上に馬鹿だと思った。だから“中途半端なまま辞めた”のだとソファに背を預けた。
然し南美も顔の裏では溜息を吐いていた。最近の若者の流行りはダサい外国語やファッションだから、それに合わせて考えたのだ。正直なところ、これを看板に仕事をするぐらいなら、なんとか電鉄とか言う方が幾分もマシだ。
ただその流行に関してはヱマも知っているので、流行りに乗るのが一番だと南美の案に一票を投じた。これで名をあげれば、何れは目標に辿り着くだろうと彼女は考えていた。
「ほんじゃあ、White Whyで?」
「おう」
お互い内心では一切納得していなかった。どこかぎこちなさそうなやり取りのあと、南美の方から手を出した。黒く長い爪を一瞥し、手を這わせた。
「これからよろしくお願いしますね」
「……よろしく」
軽い握手を交わし、二人は本格的に探偵業という名の何でも屋を始めた。
「あ、金たんね」
電子マネーにチャージされていた残金が意外と少なく、ヱマはちらりと高い襟の奥から見つめてきた。殆ど睨みに近いそれに大きく肩を落とし、貼り付けたような笑みを浮かべて幾らか驕る事になった。
事務所ははじめちゃんに任せた通り、綺麗に仕上がっていた。備品が所々古臭いが、それが雰囲気を醸し出している。ヱマも素直に驚きざっと見渡した。
『ウエブ広告はどうしますか』
小型ドローンが二人の前まで移動する。眼元だけを映したディスプレイが日の光を反射していた。
「それってタダ?」
南美が問うとはじめちゃんはうーんと微妙な返事をした。タダではない、という事だ。
「金ねーよ俺ら」
然し広告を流さなければ現代では誰の眼にもとまらない。それはヱマとしても避けたいところだ。二人が反応を見せずにいると、はじめちゃんが一つ提案をした。
『私から出しましょうか』
この雑居ビルは人間の管理人、オーナーがおらず、AIやロボットが管理を任されている無人建造物の一つだ。管理費や自分達の修理代等はネット上でAI事業をする事で得ている。ここの総括管理人である小型ドローンは事業に成功しており、それなりの余裕があった。
『巧く広告を作りましょう。但し暫くのあいだ、売り上げの二割程は家賃と別で徴収します』
淡々とした声に二人は顔を見合わせ、南美がまあと肩を落とした。
「それが一番やろうね」
納得した様子に小型ドローンは眼だけを映したディスプレイの表示を変えた。にっこりとした笑みで肯く。
『では、南美探偵事務所のままでいいですか?』
二人同時に否定する。はじめちゃんは『では、新しい名前はなんですか?』と問いかけると、それぞれどこかぎこちなさそうに声を揃えた。
「White Why」
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