第3話 旅立ちの前夜
「そのオカリナの力は強すぎる。どんな由来の物なのか、きちんと調べなければ」
ロウタスはそう言って、レンに似た長い黒髪をなびかせながら、深い茶色の瞳を更に暗くした。
リコリスが眠った後、少し話をしようと外へ出た彼は、人目がないかを慎重に確認した後、開口一番そう言ったのだ。
星の輝く夜だった。人気のない丘の上から望む街並みも、既に眠りについていて闇に沈んでいる。風が草木を揺らす音だけが時折り聞こえていた。
暗がりの中でそれでも月明かりを反射させて、レンの胸元に白く光るオカリナを、ロウタスはじっと見つめていた。
「分かっているさ。だから人目に触れさせないようにしてきた。なのに今さら、どうして調べようなんて言うんだ?」
我知らず、レンは胸元のオカリナに手を添えていた。どうしようもなく不安な予感が、そこから湧いてくるようだった。
「今言った通りだよ。強すぎるんだ、この力は。人を眠りに誘って、その人から『忘れたい』と思う記憶を奪う。使い方によってはとても危険なものだ。レン、君にそのつもりがなくても、手に余る力をどんな物かも知らずに持っているのは、危険だよ」
ロウタスの目には恐れと心配と、同時に使命感のようなものが宿っていた。
「ロウタス、暴かなければ何も起きないで済む、ってこともあるんだぞ」
「それは、ひとたび暴かれた時にはどんな危機に陥っても対処できない、って事だよ」
「だがこれは、見た目はただのオカリナだ。どこにでもあるものだ。道端の石に強大な魔力が秘められているかも知れない、なんてことは普通の人間は思わない。それと同じだろう」
「でも、必要な人はそれに気付くだろう? 気付いたその人が、それを私欲のために使おうとする人間だったら? その時一番危険なのは、君だよ」
普段は物静かで大人しい夫だった。レンの決めたことに反論することなどまずなく、多少の面倒事も引き受けて、レンやリコリスが喜べば、それでいいと言うように微笑む男だった。
なのにこの時ばかりは、レンが何と言おうと、引き下がらないと固く決意してる様子だった。そしてそれは、誰よりレンのためだからに他ならなかった。
「なら、一緒に行けばいい。リコにもきちんと話して……」
「駄目だよ、レン。リコはまだ八歳だ。やっと家族ができたのに、当てもない旅に連れ出していい歳じゃない。それに危険だ」
「危険だって分かってるなら、あんただって危険じゃないか! 何かあった時、一人でどうするんだ!?」
レンは必死だった。ここでロウタスを送り出してしまえば、次に会えるのはいつになるか分からない。
レンは元盗賊だった。偶然から両親を亡くして彷徨っていたリコリスを拾わなければ、自分の人生に疑問を持つこともなく、そのまま盗賊として生きていただろう。
だがリコリスと出会った時、レンは自分と同じ闇にこの子を住まわせるのか、と不意にそれまでの生活に疑問を抱いた。
幼い頃に両親と死に別れたのは、レンも同じだった。元々は遥か海の向こうの島国の住人だったレンにとって、この大陸で頼れる者は一人もいない。元の国に戻る方法も分からない。助けを求めても、言葉もろくに通じない。そんなレンが生きていくには、人から食料を奪うという方法しかなかったのだ。
だがリコリスは、幸運にも自力で生きられる歳のレンに出会った。
明るい薄紫の瞳で、薄い色の髪を日に輝かせ、手を差し伸べたレンに抱き着いて来た幼子。その人生を、人から何かを奪う一生にしたくはなかった。
盗賊から足を洗い、真っ当にリコリスを育てようと、レンは奮闘した。しかし元犯罪者であることを隠して、給料の安い慣れない仕事に明け暮れていれば、どうしても無理が出てくる。そんなレンに手を貸してくれたのが、ロウタスだった。
「僕が手伝うから、一緒にその子を育てよう」
レンが一方的にリコリスを育てようと、自分を犠牲にして生活していたのを、家族という形にしてくれたのが、その言葉だった。
だというのに、その本人が頑なに二人と離れていこうとしてる。どうあっても止めたいのに、その術がないレンは、遂に泣き出してしまった。
初めて人前でぼろぼろと泣くレンに、ロウタスは少しの間、驚いたように目を見開いたものの、すぐにふわりとレンの体を包むように抱きしめた。
「ごめんね、レン。君ともリコとも、離れたいわけじゃないんだ。死にに行くつもりもないしね。なるべく街道から外れずに、魔法に関する資料のある街を巡るつもりだよ。それでも危険はあるだろうけれど、大丈夫。ちゃんと帰って来るから」
言いながら、ロウタスは子供をあやすように、ポンポンとレンの頭を撫でた。
「帰って来るって、いつなのよ」
「分からない。でも心配しないで。街を移動したら手紙を送るから」
ハッと目を覚ましたレンは、真っ暗な部屋の中に窓から差し込む月明かりが、自分の顔を照らしている事に気が付いた。いきなり目を開いてしまったために、しばらく眩しさに目をしばたいてから、レンはそっと体を起こした。眠った時と同じ、シーツを敷いただけの床の上だった。
左にはリコリスが、レンの方を向いて体を丸めて眠っていて、その向こうではアルが大の字になっていびきをかいている。
「ひどい夢だな」
ぽつりと呟いてから、レンは胸元のオカリナを両手に持って、月明りにかざした。
光に透けるオカリナは、まるで水面の光のように細かな継ぎ痕がびっしりと入っている。
「大丈夫なんて嘘じゃないか。これがこんな姿になって帰って来るなんて……」
ロウタスが旅に出て1年後、帰って来たのはバラバラに砕けたオカリナだった。
家まで届ける金すらなかったのか、それを受け取ったのはここより西に家を持つロウタスの友人のアルだった。
アルは恐る恐るといった様子でレンを訪ねて来て、それをレンに渡した。何のメッセージも添えられていない、砕けた貝の欠片ばかりの、ひどい贈り物だった。
レンはそれを膠で少しずつつなぎ直し、元の形に戻して持ち続けていた。
「ロウ、あの子はもう十歳になったんだよ。それとも『まだ』十歳かな?」
銀色に輝く月にかざした貝の中には、何もない。月の光を真っすぐ通し、ぼんやりと真ん中が明るく見えるのみだ。
「けどね、私はもう……ただ待つのは御免だよ。毎日家の前になんか立ってやらないよ」
きり、とレンは唇を噛んだ。睨むように見つめるのは、透ける貝殻。このオカリナは、レンと出会った時、リコリスが母親の形見だと言って持っていた物だった。
その由来はまるで分からない。ただ、リコリスに眠れない夜に吹いて欲しいと頼まれて、言われるままに吹いているうちに、魔力があると分かった。
リコリスがオカリナを頼むのは、いつも夜だ。真っ暗な夜に、指孔を探そうと光にかざすと、昼間よりもその内側がよく見えた。
だからレンは知っていた。かつてこのオカリナは、その内部に金属でできたと思しき何かが入っていたという事を。
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