第2話 掴めぬ消息
宿屋に着くと、リコリスは何を言われるでもなく裏口から階段を上がっていった。
この宿屋は一階の一部と二階に宿として使われる部屋があり、二人が寝起きしているのは三階だ。三階と言えば聞こえはいいが、半分は物置となっている屋根裏である。
小さな窓一つを灯りにして、身を寄せ合うように眠るだけの部屋だ。
リコリスは素早く三階に上がると、窓を開けて下にいるレンに手を振った。それを見届けてから、レンは宿の台所へと向かった。
「おお、やっと帰って来たか」
泊まりの客に出す食事を用意していた宿の主人、ノエはレンに気付くといそいそと荷物を受け取りに来た。
「すみません、遅くなりました」
「いやいや、ずいぶんな量を頼んでしまったからな。後でリコにもお駄賃を出すよ」
ノエの料理はそれだけで店を構えるほどではないが、家庭的で美味いと客にはもっぱらの評判だ。二年前まで、何を作ってもしょっぱいか、味がしないかの二択だったレンの料理も、ここで働く間にずいぶんと改善されている。
「そうだ、今日はアルさんが来ているよ。もうじきここにも顔を出すだろう」
「アルが!?」
「ああ、君のご主人の事じゃないのかな。ここが終わったら話しておいで」
「ありがとうございます、ノエさん」
頭を下げるレンに軽く手を振ると、ノエはすぐに台所仕事に戻っていった。
見るからに訳ありのレンとリコ親子、そして二人を訪ねて時々現れるアル。三人の事情をどこかで察している様子ながら、ノエは何も訊ねようとはしない。住み込みで仕事をさせてほしい、と頼んだ時からずっとそうだ。
そんなノエにいつも助けられながら、親子は何とかこの二年を過ごしてきた。そう、本来ならば家計を支えていたはずの、レンの夫でありリコリスの父である、ロウタスの不在を埋めながら。
「アル! 久しぶりだな」
「やあレン、仕事は終わったのかい?」
「今日はここまででいいってノエさんがね。とりあえず上に行こうか」
「それじゃちょっとお邪魔するよ」
軋む階段を上がって屋根裏に上がると、そこではリコリスが蝋燭に鏡を当てて何かを読んでいた。二人に気付くとびっくりしたようにそれを引っ込めようとしたが、レンは素早くリコの腕を掴んで止めた。
「絵本……じゃないな。図鑑かい?これは」
「う、うん……あのね、ノエさんが貸してくれたの」
「ふうん、貝の図鑑だね。ひょっとしてレンのこれが気になってたのかい?」
そう言ってアルは、レンの胸元を指差した。そこには首から伸びた革紐の先に、白い二枚貝でできたオカリナが提げられている。
リコリスはレンの顔色を窺うようにしばし黙ったものの、こくりと頷いた。
「そっか。実は僕も気になってたんだ。僕が持って来た時には、粉々に砕けていた筈だからね。レン、それは君がやったのかい?」
「……ああ。貝の縞模様と破片の形を見て、つなぎ合わせたんだ。他にできる事なんか、何もなかったからな」
レンは俯くと、胸元のオカリナをそっと握った。それを心配そうに見上げるリコリスの顔から、アルにはその作業をしている間のレンの姿が想像できた。
一年前にレンの元へ、その砕けたオカリナを届けたのはアル自身だった。アルにとっては嫌な役目だったが、それ以上に悔やまれるのはその後のレンの在り方だ。
元々の持ち主はレンだと知っていたので、返さないわけにはいかなかったが、結果としてレンはそれに執着することで、自分を支えていたのだ。
「そんな簡単な作業じゃなかっただろうけど、まぁそこは言わないよ。お疲れ様」
「ああ。アルもお帰り。何もないけど、まぁ座って」
「ありがとう」
すっかり日の落ちた部屋に、三人は図鑑を囲んで腰を落ち着けた。
「それでリコちゃん、何か分かったかい?」
「うん、この貝はずっと東の海の貝だって」
「そっか。あっちはほとんどが砂の国だ。少し南に行けば、かつては竜が住んでいたっていう密林がある。珍しい貝だと思っていたけど、そんな遠くから来たんだね」
「遠くかぁ……」
「アル、それより話すことがあって来たんじゃないのか」
不意にレンが二人の会話を遮った。有無を言わせないような口調に、リコリスは言いかけた何かを飲み込んで、すっと口を閉じた。
「レン。そんな言い方をしなくてもいいだろう? リコちゃんだって、ロウタスさんのことが心配なんだ。もちろん彼だけじゃない、分かってるよね」
「……分かっている。だから聞きたいんだ。あれからロウタスの消息は聞いてないか?」
口調は落ち着いていたが、レンは必死の顔をしていた。それを痛ましそうに見たアルは、軽く溜息をつくと、首を横に振った。
「残念ながら、詳しい話はほとんど聞けなかったよ。一度北に向かって、それから西の方へ向かった形跡はあるけど、そこまでは彼からの手紙の通りなんだ。問題はその先の港町さ」
「港町? 西は海を渡っても、私たちの先祖がいた島国しかないけど」
「そう、でも物資のやり取りはまだあるから、船は出てるんだ。ただ、乗ったのかどうかさえ分からなくなってる」
「乗ったのかどうかさえ分からない?」
「そう、乗るのを見たという人もいるのに、乗せた覚えがある人が居ないんだ」
「なんなのよ、それは……」
当てになるのかどうかすら分からない情報に、レンは頭を抱えた。
レンの胸元にあるオカリナは、二年前にロウタスが旅立つときに持って行った物だ。
いや、もっと言えば、ロウタスはそのオカリナが持つある力を、調べるために旅に出たのだ。
それが粉々に砕けて戻って来たのが、今から一年前。
それまでは一月とあけず届いていたロウタスからの手紙が、その三か月前に途絶えていた。
だから最初にオカリナの破片を受け取った時、レンは軽く悲鳴を上げた。一番恐れていた事態が、現実になってしまったようで、恐ろしくてたまらなかったのだ。
守り育てなければならない、リコという存在が無ければ、レンはどうなっていたか分からない。
リコも不安な顔をするレンと、割れたオカリナの破片から何かを察したのか、それから必死にレンを支えようとした。
そんな二人を見兼ねたのがアルだった。
「僕が何とか消息を掴んで来るよ。少なくともあと一年で戻るから、それまで待っていて欲しい」
と一言告げて、ロウタスから届いた手紙を頼りに旅をしてきたのだ。
しかしその成果がこれだ。どこへ行ったのか、今も生きているのかさえ分からない。
「僕にはこれ以上、調べる余裕が無かったんだ。一年で戻る、って約束していたからね」
アルは悔しそうに膝に乗せた手に力を入れると、レンに頭を下げた。レンはその姿を見て、慌てて姿勢を正した。
「ああごめん、責めてるんじゃないんだ。むしろそこまで調べてくれてありがとう。アルにはアルの事情があるのに、一年も使わせてしまって済まない」
「いや、そこはいいんだ。元々目的らしい目的もない旅暮らしだからね」
はは、と乾いた笑い声を立てるアルに、レンはもう一度頭を下げた。
自分の事でいっぱいいっぱいになると、周りを顧みる余裕が無くなるのは、レンの昔からの悪い癖だった。反省しなければ、とは何度も思ったのだが、なかなか治らないままでいる。癖とはそういうものなのだろう。
「とりあえず、今日はもう休もう。明日からどうするか、また考えないといけないしな」
レンはそう言って、アルに一つきりのベッドを勧めたが、アルが断ったので、三人は誰からともなく床に横に並んで眠りについた。
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