【幕間】残念令嬢の知らない場所で・Ⅱ
イサークは憮然とした面持ちで目の前に座る男を見た。
「私は現在、休暇でここに来ているのですが」
「つれないなあ。君と私の仲じゃないか。少しくらい協力してくれてもいいだろう?」
「先輩の『少し』が少しで済んだケースは、過去一度たりとありませんので」
「君の徹底した仕事ぶりには、いつも感謝しているよ」
ノルデンブルクの巡察隊本部庁舎。
重厚なオークのデスク越しにイサークと対峙しているのは、若さの盛りを過ぎてなお甘く端正な顔立ちをした男だ。
無造作に撫でつけた金褐色の髪。やや垂れた瞳は淡い灰青色。
髪も目の色も違うのに、軽く首を傾ける仕草や、笑みを含んだ眼差しが、ふとした折に
短いノックに続いてドアが開き、この国では珍しい黒髪の女性が「失礼します」と入ってきた。
「閣下。姪御様とお付きの方を馬車でお送りいたしました」
「ありがとう、ミス・フギン。では行こうか、グスマン君?」
イサークは、諦めたようにコートを取って立ち上がる。
「相変わらず人使いが荒いですね、グイード先輩」
◇◇◇
ノルデンブルクの巡察隊が、脱税・密輸取締局の下部組織であることを知る者は少ない。
「いやあ、こんなふうに君と歩いていると、現役時代を思い出すねえ」
「……そうですか」
上機嫌なグイードに、イサークはまったく感情のこもらない声で相槌を打つ。
グイード・ルーカス・ソロンは、かつてとんでもなく優秀な捜査官だった。
局内一の検挙率を誇る一方、自由奔放で協調性がなく、机仕事が大嫌い。信じられないほど女癖が悪く、容疑者だろうと見境なしに口説いてしまうこの男に、どれだけ振り回されたことか。
(そのくせ、腕前だけは本物なのだからたちが悪い)
イサークが心中ひそかにぼやいたとき、グイードがふいに立ち止まった。
「着いたよ。ここだ」
そこはチャドウィック・ベントンが殺害された宿だった。
モーブピンクに塗られた壁と、玄関脇に掛けられた赤い色ガラスのランタンは、そこがある特定の目的で使われる宿であることを示している。
入ってすぐに無人のカウンター。その奥はビロードのカーテンで仕切られている。
と、そのカーテンが二つに分かれ、美しいがどことなく
「男同士は割増料金になるけど」
「ち」
違う! と言いかけたイサークを指一本で黙らせて、グイードは人好きのする笑顔を浮かべた。
「やあ。君はいつもここで店番を?」
若者は物憂げに肩をすくめる。
「まあね。昼間は大体ね」
「昨日の昼も?」
「どうだったかな」
グイードの掌に、魔法のように一枚の銀貨が現れた。
それはころころ転がって、カウンターの向こうにぽとりと落ちる。
若者は屈んで銀貨を拾い上げると、落ちた時についたらしいピンクの菓子屑を払い落してから「そら」とグイードに突き出した。
グイードが驚いたように目を見開く。
「そっち側にあったものだ。君のだろ」
「かもね。昨日の昼に、俺が落としたやつかもしれない」
「死んだ男が来た時に?」
「生きてたけどね、その時は」
銀貨は若者の懐に消えた。
「その男の連れを見た?」
「かもね」
「服装とか、髪の色とか」
ここで銀貨がまた一枚。
「コートの下はメイド服だった。若い女だ。髪は栗色だったかな」
「栗色の髪の若いメイドか。ありふれた外見だ。目の色まではわからないかな」
「見えなかった。帽子のせいで。でっかい鍔のついた帽子だ。羽根やら何やらついてる奴さ。ただ……」
「ただ?」
若者は狡そうに目を細めた。
「名前は聞いた、かもしれない」
イサークは、グイードと顔を見合わせた。
グイードがゆっくりと銀貨を出す。一枚、二枚。
だが、まだ若者には渡さない。
「メリサンドラ」
「メリサンドラ?」
メイドにしては、ずいぶん洒落た名だ。
そう思ったイサークは、「確かか?」と脇から念を押した。
「確かさ。この耳ではっきり聞いた。……さあ、おしゃべりはそろそろ終わりだ。そいつを置いて出てってくれ」
「わかった、わかった。邪魔したね。そら、これでマカロンでも買ってくれ」
グイードは銀貨を若者のほうに押しやると、イサークを促して出口に向かった。
二人の背中を、若者の馬鹿にしたような声が追ってくる。
「へっ。この店の者は誰もマカロンなんざ食わねえよ、女子供じゃあるまいし」
◇◇◇
次にグイードが向かったのは、宿から歩いて数分足らずの所にある表通りの高級洋菓子店だった。
コロン、とドアベルを鳴らして、グイードが一歩入るやいなや、コック帽を被った女性が奥から飛び出してくる。
「ルーカス様!」
「やあ、キャシー。今日も綺麗だね」
グイードは軽く帽子を上げて挨拶すると、イサークを振り向いた。
「この店のオーナーパティシエ、キャサリン嬢だ。彼女の作るマカロンは絶品でね。今日もいくつか買っていこうと思うんだが」
「まあ、ありがとうございます。お味はどれにしましょうか?」
「そうだな。確か、薄いピンク色のがあったと思うんだが……」
「フランボワーズですね。かしこまりました」
「こんなおじさんには似合わないかな?」
グイードが眉を下げて言うと、キャサリンは「そんなことありませんよぉ!」と全力で否定する。
「つい昨日も、男性のお客様が買っていったばかりですもの」
――お。早速当たりを引いたか?
イサークは耳をそばだてる。
グイードが落とした銀貨についていたピンクの菓子屑。
あれは、確かにマカロンの欠片だった。
グイードとパティシエの会話は続いている。
「へえ。その男には親近感を感じるな。僕みたいなおじさんかい?」
「ルーカス様はおじさんじゃありませんってば。んー、でもそうですね。年齢的には、そちらのお客様と同じくらいだったかも。見た目は確か――」
彼女が描写した男の外見は、さっき会ったばかりの宿の男と見事に一致していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます