48.残念令嬢と消えた甥

 幽霊屋敷の一階には、食堂に隣接して五角形の温室コンサバトリーが設けられていた。

 長く厳しい北部の冬にも日光浴ができるように、庭に大きく張り出す形で作られたガラス張りの部屋である。

 今、そこには長い竿が何本も差し渡され、様々な色合いの金糸のかせがずらりと並んで干されていた。


 厨房では、裸の上半身にフリルのエプロン姿のカミーユが、巨大な寸胴鍋で一心に糸を茹でている。


「こうして茹でると、糸についている余分な油や汚れが落ちるでしょ? そうすることで、染料が入りやすくなるし、発色もぐんと良くなるの」


 貴族の服に金糸の刺繍は欠かせない。

 特にケレス王国の主だった貴族はみな金髪ブロンドで、求婚や婚礼の際は、伝統的に相手の髪と同じ色合いの刺繍やポケットチーフを着けるから、一流の裁断師クチュリエたちは、雇い主の髪色には常に神経を尖らせていた。


 厨房には、他にも染液を入れた大樽がいくつも並んでいる。

 茹で上がった糸はここに浸しては絞り、干すことを繰り返すうちに、様々な色合いに染まっていくのだ。


「染液は、仕込みから時間が経てば経つほど色合いに深みが出てくるし、浸す回数が増えるほど染め上がりの色は濃くなるわ。だから、カイル様やシルヴィア様みたいなダークブロンドの色を出すには、数日前に仕込んだ染液で何度も染めた糸を使うわね」


 反対に、淡く瑞々しい色を出すには、作り立ての染液で、染めの回数も少なくするそうだ。


「イサーク様みたいなアッシュブロンドの色を出すなら、地色の濃い糸を使うとか、染液の元になる葉を予め発酵させるとか……染液の詳しいレシピは、メゾンごとに秘密にしているくらい重要なのよ」


 その染液に欠かせない材料がインドゥルという草の葉だ。

 春先に種を撒き、初夏には収穫して、その後ひと月くらいの間だけ、生の葉で染められる時期がある。

 その他の時期は、乾燥させたり発酵させたりした葉を使うのだとか。


「じゃあ、カミーユはそのインドゥルの葉を買いつけにわざわざノルデンブルクまで?」


 私の問いに、カミーユは「ううん」と首を横に振った。


「インドゥルはケレスでも普通に栽培されてる草よ。アタシが欲しかったのは、マーセデスでしか穫れない特殊な染料、というか染髪剤ね。交易が完全に途絶える前に、がっちり買い占めておかなくちゃ」


 ――と、そこへ、血相を変えたグリムス夫人が飛び込んできた。


「フレディ坊ちゃん! フレディ坊ちゃんはこちらですか?」


 誰? と一瞬考えてから、「フレディ」が「フレデリック」の愛称だったことを思い出す。

 カメロン兄様とエレインの息子。私にとってはもう一人の甥にあたる少年だ。


「知りませんけど」


 彼を見たのは、例の家族の晩餐の時が最後だが、こうして探しているからには、いなくなったということか。

 グリムス夫人は、鋭い眼でカミーユを睨みつけた。


「屋敷の者の話では、先ほど大柄な平民の男に手を引かれて歩いていく姿を見たと」

「ア、アタシは何も知らないわっ!」

 

 ひっ、と息を呑むカミーユを背中に庇い、私は正面からグリムス夫人に向き合った。


「カミーユは朝からずっとここで糸を染めていて、館を一歩も出ていません。そのことは私が保証します」

「第一、彼は平民じゃないしね」


 その声はカイル様だった。

 いつの間に厨房に来ていたのだろう。その背後には、メリサとルシールの姿も見える。

 言われてみれば、カミーユの髪はピンクブロンド――貴族の血が流れている証である。

 だがグリムス夫人は「ふん」と馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「わかるものですか。昨今は良い染髪料も出ているそうですし」

「でも、もしカミーユが連れ出したのなら、屋敷の人は『平民の男』なんて言い方しないと思うわ」

 何しろこの外見だ。

『ピンクブロンドの髭マッチョ』とか、『縦ロールに裸エプロンの変態男』とか、いくらでも言いようがあるだろう。


 私の言葉に、グリムス夫人はぐっと詰まったが、

 

「……と、とにかく! フレディ坊っちゃんを見かけたら、至急本館までお知らせくださいますよう!」


 と言い捨てて、足音も荒く部屋を出ていった。

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