46.残念令嬢と出会いの泉

「ところでパトリシア様。今、好きな人はいて?」


〈シェ・クレマン〉の店の奥で岩盤浴を楽しみながら、ベアトリス様がふいに訊いてきた。


「え、いませんけど」


 即答した私に、ベアトリス様は「まああ」とクリムゾンの瞳を見開く。


「もったいない! 浮気男のロッドはともかく、今期の社交シーズンは、カイル・ブルクナーとかイサーク・グスマンとか、未婚のイケメンがよりどりみどりだったでしょうに」

「いやいや、その二人からは、すでにお断りの返事をいただいてますし」

「えっ、そうなの!?」


 つい最近まで、大使のマルコム兄様とマーセデスにいたベアトリス様は、そのへんの事情に疎かったらしい。しきりに「もったいない」と繰り返した。


「でもでも、他に誰かいませんの? 身近にいて、イケメンでよく話す人!」

「真っ先に思いつくのはお父様ですけど……。あとは執事のピアースとか」


 あらやだファザコン、とか何とか揶揄からかわれるかと思いきや、ベアトリス様は「わ・か・る~!」と力いっぱい同意してくださった。


「コルネリウス様、無印のメインヒーローだったフェロ王弟殿下をさしおいて、人気ナンバーワンだったものね! ケネス・ピアースも通好みというか、あの徹底したしもべっぷりが良かったわ……」

 

 プレイ中の記憶が甦ったのか、両の拳を握りしめ、「くうっ!」と身悶えするベアトリス様。

 ていうか、ピアースも攻略対象だったんだ……。


「そうよ。残念ながら今は既婚者で、お孫さんまでいるはずだけど」


 だからあきらめなさい? と言われたけれど、元よりそんなつもりで名前を挙げたわけじゃない。


「他には?」


 と訊かれて、私はうーん、と数少ない知り合いの顔を思い浮かべた。

 ダリオはワイルドな感じのイケメンだし、接客モードのカミーユも恰好いい。

 とはいえ、正面きって好きかと訊かれると、まぁ好きは好きでも恋愛対象ではないというか……。


「んもう。じれったいわね! いいわ、ここは可愛い義妹のために、とっておきの場所に連れていってあげる!」


 そう言うと、ベアトリス様はおそろしいほど美しい真珠色の身体にバスタオルを巻きつけ、むくりと身を起こしたのだった。


 ◇◇◇


 入り組んだ細い路地を抜けると、突如として現れる壮大な宮殿。

 かつて、ソロン領が独立した小国だった時代の王宮だ。

 その王宮の壁一面に施された彫刻から流れ落ちるせせらぎが、白亜の水盤に人工の泉を作っていた。


「これってローマにある有名な……」


 言いかける私の唇に、ベアトリス様が「しーっ」と人差し指を押し当てた。

 

「似てるけど違うわ。ここは〈出会いの泉〉といってね。泉に背を向けてコインを投げ入れると、あなたを一番愛してくれる相手に会えるっていう伝説があるの。ゲーム的な話をすれば、現時点で好感度が一番高いキャラが会いに来てくれるわけ」

「……もしも誰もいなかったら?」


 何しろ私は〈パトリシア〉だ。体重こそ若干減らしたものの、見た目も性格も、愛されキャラとは程遠い位置にいるわけで……。

 

「まさか、そんなわけないじゃない! とにかく、せっかくここまで来たんだし、遊びだと思ってやってごらんなさいな」

 

 ほらほら、となかば押しつけるように渡された銀貨を、苦笑しながら後ろ向きに投げ上げる。

 勢いあまって壁にぶつけてしまったのだろう。ちゃりーん! と澄んだ音がした。

 ベアトリス様が「あっ」と声を上げ、バサバサという羽音がそれに続く。

 見れば、王宮の壁の彫刻に、一羽の鴉がとまっていた。

 その嘴には、たった今投げたばかりの銀貨が咥えられている。

 と思ったら、鴉は銀貨を咥えたまま、空高く飛んでいってしまった。


「……これはやっぱり、誰もいないということでは?」


 ベアトリス様をジト目で見れば、その白い頬につうっと冷や汗が伝っている。


「や、やあねえ。今のはノーカンよ、ノーカン! もう一回やれば、次は必ず……」

「いいです。どっちみち、私、こういうのは信用しないたちなので!」

「何を信用しないのだ?」


 妙に聞き覚えのある声に、私は驚いて振り向いた。

 黒紫のスーツに白のベストをぴしりと着こなし、櫛目の通ったアッシュブロンドに、最上級のサファイアのごときダークブルーの瞳をしたその人は……。


「イサーク様!」

「リドリー嬢。それにレディ・ベアトリス」


 イサーク様が、軽く帽子を上げて会釈する。

 とたんに大使夫人の顔になったベアトリス様が、膝を曲げて淑やかにお辞儀した。 

 

「驚きましたわ。まさかこんなところでグスマン閣下にお会いできるとは」

「なに、仕事です。このところ、北の国境で組織的な密輸が盛んに行われていると報告がありまして」


 なるほど。それで脱税・密輸取締局から筆頭捜査官のイサーク様が派遣されてきたわけか。

 そのとき、遠くからカツカツというひづめの音が聞こえてきた。

 

「パトリシア様――っ!」


 ――ん? この声は……。

 

 石畳の向こうから、見事な軍馬に二人乗りをした人影が近づいてくる。

 と思ったら、目の前で停まった馬の背から、ローズピンクの塊が、私の首に飛びついてきた。


「お会いしたかったですわ、パトリシア様!」

「シルヴィア様! それに、カイル様も」


 茫然とする私の前で、乗馬服姿のカイル様が、颯爽と馬から飛び降りる。


「驚かせてすまないね、リドリー嬢。妹がどうしても君に会いに行くと言ってきかないものだから」

「あら、私だけじゃなくってよ。お兄様だって、馬車で行くっていう私を、わざわざ馬に乗せてきたくせに」

「ふーん?」


 ベアトリス様が、にやにやしながら肘で私をつつく。

 それに気づいたカイル様が、ベアトリス様とイサーク様に向き直った。


「これはレディ・ベアトリス。それにイサーク閣下」

「奇遇だな、ブルクナー」

「そちらこそ」


 てんでに挨拶を交わす私たちのそばを、今度は扉に『C』の飾り文字がついた箱型の馬車が通りかかった。

 その窓から、短く刈り込んだ銀髪に、浅黒い細面の男がひょいと顔を出す。


「よう、嬢ちゃん。何してんだ、こんなとこで」

「ダ、ダリオ!?」


 その隣に、ピンクブロンドのゴージャスな縦ロールが並んだ。


「やだぁ、誰かと思ったらアタシの可愛いパトリシアちゃんマ・ジョリ・トリシアじゃなーい。ダメよ、日傘もささずにこんなところで立ち話なんかしてちゃ」

「カミーユまで……」


 茫然とする私に、ベアトリス様が「ほらね」と勝ち誇ったような笑みを向ける。


「私の言ったとおりだったでしょ?」

「い、いや、これは偶然ですよ、偶然! そうに決まってます!」


 第一、コインを投げて現れるのは、一人だけのはずなんじゃ……。


 乙女ゲームをプレイしたことのない私は知らなかった。

 この手のゲームには、「逆ハーレムルート」なるものがあることを。

 そして、ベアトリス様がひっそりとつぶやいていたことを――。

 

「なるほどね。やっぱりこの子が4人目の聖女だったわけか。となると、近々一波乱ありそうだわ……」

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