45.残念令嬢、街へ行く

 なめらかな石畳の上を、二頭立ての美しい馬車が行く。

 ゆったりと道幅をとった目抜き通りの両側には、街路樹とガス灯が交互に立ち並び、その奥には洒落たカフェや宝飾店、ブティックなどが軒を連ねている。

 ソロン領の領都ノルデンブルクは、王都に勝るとも劣らない洗練された街だった。


「当然よ。無印の時はこの街がゲームの舞台メインステージだったし、シーズン2でも、FDファンディスクはこっちに来る話だったもの」

「ふぁんでぃすく?」

「どう説明したらいいかしら。ゲーム本編の番外編? おまけ? 的な位置づけで、攻略対象との後日譚が楽しめる内容のものが多いわね」

「はあ」


 馬車に乗っているのは、ベアトリス様と私である。

 昨夜、「実は、あなたのお父様もお兄様も、乙女ゲームの攻略キャラだったのよ~♪」と爆弾発言をカマしてくれたお義姉様は、今日は私を領都観光に連れ出していた。


「あなたが『メイクロ』をプレイしてなかったとは意外だわ。これまでの転生者は、みんなやってた人ばかりだったのに」

「ええっ」


 私は思わずのけぞった。


「み、みんなって……。転生者って、お義姉様以外にもいるんですか!?」

「いるわよ? この国だけでも、フェロ侯爵夫人でしょ、王太子妃殿下でしょ……。あと、確証はないけれど、例の偽聖女のミリアもそうだと思うわ」


 待って、待って。

 昨晩に続いて、あまりの情報量に頭がくらくらする。


「まあ、詳しい話はおいおいするとして……ああ、ここで停めてちょうだい」


 ベアトリス様は一軒の店の前で馬車を停めさせ、「ここよ」と私に降りるように促した。

 優美な筆記体で〈クレマンの店シェ・クレマン〉と書かれたガラスドアを開けた途端、覚えのあるつんとした匂いが鼻をつく。


「わあ、懐かしい!」


 そこは美容室だった。

 落ち着いたオーク調の店内には、壁に沿って鏡と椅子が並べられ、シャンプー台の隣には、頭にすっぽり被せるタイプのレトロなドライヤーも置いてある。


「え。ていうかシャンプー台? ドライヤー??」


 この世界に水道はあっても給湯器はなく、ガス灯はあっても電気はまだなかったはず……。

 ベアトリス様は、いたずらっぽく微笑んだ。

 

「うふふ。無印のころの『メイクロ』は、設定がかなり雑だったの。シーズン2で時代考証が厳しくなって、電気や何かはなくなったけど、この街だけは――というか、この店だけは――なぜか蛇口から直接お湯が出るし、コンセントもないのにドライヤーが使えたりするのよね」


 というのも、無印には「カラーチェンジ」をしないと発生しないイベントがあったそうで。

 平民出のヒロインが、髪色を金髪に変えてお城の舞踏会に紛れ込んだり、金髪を赤褐色オーバーンに染めて街中まちなかに身を潜めた攻略対象の変装を見破るために、この店の存在は不可欠だったらしい。


 そうこうするうち、店の奥からレインボーカラーに染め分けた髪をテクノカットに切り揃えた細身の男性が現れた。


「いらっしゃいませ。クレマンの店にようこそ……おお、これはマダム・ベアトリス! 無事のご帰国、何よりでございます」

「久しぶりね、クレマン。その後変わりはないかしら?」

「はあ、それが……」


 クレマンは言い淀み、ちらりと私の方を見た。


「ああ、こちらはレディ・パトリシア。マルコム閣下の妹君よ」


 ベアトリス様が紹介すると、クレマンはほっとしたように緊張を解いて頭を下げた。


「お目にかかれて光栄でございます」

「こちらこそ」


 私たちの間で挨拶が済むと、ベアトリス様はあらためてクレマンに向き直った。


「それで、何かあったの?」

「実は最近、オードゥルの入荷が滞っております。ご存知のとおり、金色の染髪剤には欠かせない染料でございますが、最近はマーセデスからの荷物が全て止められておりまして」

「そうだった。オードゥルはマーセデスの特産品ですものね」


 現在、我がケレス王国と隣国マーセデスとの関係は悪化の一途を辿っている。

 そのせいで交易にも影響が出ているのだろう。


「オードゥルの代替品として、インドゥルという染料があるにはあるのですが、品質がかなり劣る上、人によってはひどい肌荒れを起こすので、私はあまり使いたくないのです」

「なるほどねえ」


 ベアトリス様はしばらく考えこんでいたが、やがて顔を上げた。


「なら、しばらくの間、金髪の毛染めは止めたらどうかしら。オードゥルは金色以外には使わないのでしょう?」

「おっしゃる通りでございます。それに、当店で染髪されるお客さまのほとんどは、お忍びで金髪を暗めにしたり、他の色を足したりする貴族の方がほとんどですしね」


 クレマンは吹っ切れたようにそう言うと、改めて私たちに笑顔を向けた。


「それで、お美しいお二方。本日はどのような髪型をご所望で?」

「ヘッドスパとトリートメント、それにマニキュアをお願い。あとハンドマッサージと……」


 どうやら前世のベアトリス様は、かなりの美容オタクだったらしい。その後もいろいろと注文をつけていたが、私にはちんぷんかんぷんだった。

 とはいえ、侍女たちとは違うプロの手で髪や肌を整えられる心地よさは格別で、その日の私は久しぶりにエステ気分を満喫したのだった。

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