【幕間】残念令嬢の侍女

 父は子爵、母は騎士の娘。

 幼いころから利発だった彼女は、父譲りの金髪と、母譲りの整った顔立ちも相まって、いずれは良家に縁づくに違いないと思われていた。

 やがて王立学院に入った彼女は、ひとりの若者と恋に落ちる。

 自分より二つ年上だが、次男気質というのだろうか。人懐こくて甘え上手、そのくせ要領だけは良く、最初は苦手だったのに、いつの間にか懐深く入り込まれてしまっていた。

 繰り返されるプロポーズに、しぶしぶ首を縦に振ったのは、卒業を間近に控えたある日のこと。

 このまま彼と生きていくのも悪くはないと思っていた。


 ――父が事業に失敗し、家が没落するまでは。


「サンドラ! サンドラだろう?」

 

 背後からかけられた声に、西棟の廊下を歩いていたメリサはゆっくりと振り向き、膝を曲げてお辞儀した。


「カメロン卿」


 カメロンは「やっぱり!」と声を上げると、つかつかと近づいてくるなり、ヘッドドレスからはみ出したメリサの髪をそっとかき上げた。


「髪の色が違うから、最初見た時はわからなかった。もったいない、きれいな金髪だったのに」

「……メイドにはふさわしくありませんので」


 王宮勤めの侍女ならともかく、伯爵家に仕えるメイドは平民出身者がほとんどだ。

 貴族の血が入っていることを示す金の髪色は、メイドとして働く上で面倒なことも多いので、わざと暗色の染料で染めているのだった。

 地毛の色が邪魔をして、平民特有の赤褐色オーバーンにはならず、栗色ブルネットになってしまったが……。


「特に御用がないようでしたら、失礼させていただきます」


 くるりと背を向けるメリサの肘を、カメロンが「待てよ」と掴んで引き留める。


「どうして君がパトリシアの侍女なんてやってるんだ。もしかして……」

「…………」


 メリサが無言で見返すと、カメロンはさんざん躊躇した挙句、思い切ったように口に出した。

 

「そのう……もしかして、僕に会いにきたのか」

「いいえ」


 もしもそのつもりなら、最初からカメロンの家に行っただろう。

 エレインと家庭を持った今、彼は王都の別の場所にアパルトマンを借りて住んでいる。

 もっとも、紹介所でリドリー家の名前を聞いた時、何も感じなかったと言えば嘘になるけれど。

 カメロンは一瞬息を呑み、傷ついたような顔をしたが、すぐに表情を取り繕った。

  

「それで? 我が家の豚鬼オーク娘はどうだい? いろいろと手がかかって大変だろう」

「……! それ、まさか本気で言ってる?」


 驚きと怒りのあまり、言葉遣いが戻っていることにも気づかずに、メリサはかつての恋人を睨みつけた。


「パトリシア様は素晴らしい方よ。聡明で努力家で、何より人の痛みがわかる優しい心をお持ちだわ」


 エレインなんかとは大違い。

 誰かさんとも大違い。


「おいおい。何を言い出すかと思えば……いくら主人だからって、そこまでよいしょしなくても」

「本当のことよ。そんなことにも気づかないくらい、あなたの目は曇ってしまったの?」


 メリサの見幕に気圧されたように、カメロンは彼女の手を離し、降参するように両手を揚げた。

 

「いやいや、君は昔のあの子を知らないから――」

「昔のことなんて関係ない。カメロン、人は変わるのよ。昔ではなく、今のあの方を見てあげて」

「だが、エレインの話では――」


 その名前を聞いたとたん、メリサの心がすっと冷えた。


「……出過ぎたことを申しました、カメロン卿。私は失礼いたします」

「待てよ、メリサンドラ! 僕はこんな話がしたくて来たんじゃない。あの日のことを君に説明したくて……!」


 向かい合った二人の間で、あの日の幻影が揺れ動く。

 リドリー家の寝室。ベッドの上に身を起こすカメロン。その裸の肩にしどけなく寄りかかったエレイン。

 父の事業の失敗に加え、恋人と親友の裏切りを目の当たりにして立ちすくむかつての子爵令嬢………。

 

「――カメロン卿。先ほども申し上げたとおり、人は変わります。でも、過去を変えることはできません。どうぞ、奥様と末永くお幸せに」


 そう言うと、メリサは一礼して――使用人のお辞儀ではなく、カメロンが思わず見惚れるほど優雅な宮廷礼カーテシーをして――立ち去った。

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