44.残念令嬢と世界の秘密
Y字型をしたソロン・カースルの本館は、三本の棒にあたる部分が、それぞれ西棟、東塔、南棟と呼ばれている。
客室は西棟と東棟にあり、マルコム兄様とベアトリス様は西棟に、カメロン兄様夫妻は東棟に滞在しているそうだ。
「このとおり大きな建物だから、棟ごとに執事と
ベアトリス様は、ホワイトブロンドにクリムゾンの瞳が美しい、おっとりした感じの貴婦人だった。
カーライル侯爵家の一人娘で、望めば隣国の王族に嫁ぐこともできたのに、マルコム兄様と恋愛結婚。ひとり息子のデイヴィッドは今年18歳になる。
西棟にあるベアトリス様の居間に招じ入れられると、ティーテーブルにはすでにお茶の用意ができていた。ジョーンズ夫人のスイーツとは趣の異なる、でもとても美味しそうな焼き菓子やケーキの載ったプレートがずらりと並んでいる。
「侍女のお二人は、あちらでセアラとお話ししてらっしゃい。グリムス夫人がわざと言わないでいたことを、いろいろ聞かせてくれるはずよ」
「承知しました」
「失礼いたします」
メリサと、まだ赤い顔をしているルシールが退出すると、室内はベアトリス様と私の二人きりになった。
「どうぞ、くつろいでちょうだいね。そこのティラミスを取ってくださる? 私はこれに目がないの」
私がたくさんのスイーツの中からティラミスの皿を取って手渡すと、ベアトリス様は「ありがとう」と言って猫のように目を細めた。
「ところで、パトリシア様はティラミスの名前の由来をご存知かしら」
「ええと……」
私は前世の記憶を探る。いつだったか、ネットに書いてあったのを見たような。
「確か、『私を励まして』とか、そんなような意味だったかと」
「正解! よくご存知ね。……
私はぎょっとして、すんでのところで手にしたフォークを落としそうになった。
ベアトリス様が楽しげに笑う。
「うふふ。思ったとおりだわ。あなたも転生者だったのね?」
「!!!??」
転生者とは、異世界に転生した人間のことだろう。
今の今まで、自分のことをそんなふうに思ったことはなかったけれど、言われてみればそのとおりだ。
そしてベアトリス様は「あなた『も』」とおっしゃった。
ということは……。
「ええ、そう。私はね、この世界の悪役令嬢に転生したの」
そう言うと、ベアトリス様は悪戯っぽく片目をつぶってみせた。
◇◇◇
『
近世ヨーロッパを思わせる異世界を舞台とするこのシリーズは、発売以来爆発的な人気を誇り、同タイトルの続編がいくつも作られているという。
主人公となって王立学院に入学したヒロインは、在学中に出会った相手と様々な困難を乗り越えながら恋を育み、卒業と同時に婚約する。
「あなた、『メイクロ』はプレイしたことがあって?」
ベアトリス様の問いに、私はふるふると首を横に振った。
「友達にはまってる子がいて、ちょっとだけ見せてもらったんですけど、私はああいうのは苦手ですねえ」
「あら残念。面白いのに」
「どうも、小さい画面を長時間見ているのがダメみたいで。あと仕事がら、どうしても筋肉が気になって」
「筋肉」
「剣が得意だって言ってる男の子の
「とうそく……?」
「手根屈筋です。あと上半身に比べて下半身が細かったり、腹側の筋肉は厚いのに背筋がついてなかったりすると、この子偏ったトレーニングしてるなあとか」
「…………」
一瞬絶句したベアトリス様は、次の瞬間、弾けるように笑い出した。
「やだ、パトリシア様ったら面白い! そういう見方もあるのねえ。……まぁいいわ。それじゃ初心者にもわかりやすく説明するわね」
ベアトリス様によれば、ここは『メイクロ』そっくりの異世界なのだそうだ。
ゲームのキャラクターと同じ外見、同じ名前の人物が存在するし、国や都市の名前も景色も、ゲームとまったく同じだという。
「そんな中、私が転生したのはベアトリス・カーライル侯爵令嬢。『メイクロ』シーズン2でヒロインをいじめ抜いた挙句、どのルートでも悲惨な最期を遂げる悪役令嬢だったわ」
シーズン2の攻略対象、すなわちヒロインと結ばれる可能性のある男性キャラクターは全部で五人。
その一人がマルコム兄様だった。
「え、ちょ、ちょっと待ってください」
あのマルコム兄様が攻略対象!?
「そんなに驚くことかしら? おそらくだけど、この世界のイケメンはほとんどが攻略対象よ」
いやいやいやいや。
そんなこと言ったって、私の周りの男性はほとんどイケメンなんですが?
「そうね。リドリー伯爵家は、シリーズを通して攻略対象を何人も出しているもの。ちなみにお義父様のコルネリウス様は、無印――ええと、初代『メイクロ』の隠しキャラよ」
「ひええええ……」
突然明かされたこの世界の秘密に、私はただただ茫然とするばかりだった。
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