43.残念令嬢とカオスな夜
「あ、あのっ! それ、お嬢様のせいじゃありません!」
ソロン・カースルの食堂にて。
ふいに背後から上がった声に、私ははっと我に返った。
見れば、さっきまで壁際に控えていたはずのルシールが、訴えるような目をして進み出ている。
「パトリシアお嬢様は、先週ここに着いたときから、何かあるまでこっちに来るなって言われてたんです! それに、グリムス夫人は、マルコム様が帰国されてたことなんて、ひと言も言ってませんでした!」
――あっちゃー……。
私は頭を抱えたくなった。
正直、ルシールの気持ちはとても嬉しい。
嬉しいけれど……。
「あらあら。今夜はずいぶん風が
甘ったるい声でエレインが言った。
「そう思いませんこと? ねえ、あなた」
話を振られたカメロン兄様は、「ああ」とも「うむ」ともつかない曖昧な唸り声を出す。
この国の貴族社会では、使用人は生きた家具。
晩餐会のような
まして、主人たちの会話に口を挟むなど言語道断である。
だが、メイドになってまだ日の浅いルシールは、そういうことを教わっていなかったのか、あるいは知っていても我慢できなかったのか、両手をきつく握りしめ、真っ赤になって言い募った。
「第一、おかしいじゃないですか! どうしてお嬢様だけが、ご家族と離れていなきゃならないんですか! それもあんなお化け屋敷みたいな、掃除もろくにしてない場所で! レディ・カメロンって人が誰だか知りませんけど、私たちのお嬢様にこんなひどいことするなんて、とんでもないわからんちんに決まってますっ!」
――おーまいがー……。
私は思わず天を仰いだ。
「あ、あのね。ルシール? とりあえず落ち着いて? 私のことなら心配ないから……」
早口で言いながら、素早く食卓に目を走らせる。
鬼のような形相をしたエレインの横で、マルコム兄様はあっけにとられたように目を瞬いていた。
夫人のベアトリス様は慎ましく目を伏せ、扇で口許を隠しているが、よくよく見れば肩がぷるぷる震えている。その横では息子のデイヴィッドが居心地悪そうに俯いており、グイード叔父様の連れの見知らぬ女性は、好奇心に目を輝かせて成り行きをじっと見守っていた。
カメロン兄様は、と見れば、落ち着かない様子であさっての方向に目を逸らしている。見た感じ小学生くらいのぽっちゃり太ったその息子は、ルシールの言葉がよほどおかしかったのだろう。さっきからくつくつ笑いながら「わからんちん、わからんちん」と繰り返していた。
控えめにいってカオスである。
厳格なお祖父様がこの場にいなかったのが、せめてもの救いといえるだろう。
と、グイード叔父様が人差し指をすっと上げて執事を呼び寄せた。
「アルマンド。すまないが、デザートとコーヒーは
要するに、男性は席を外さないか、という遠回しな言い方である。
「喜んでご一緒します」
「あー……僕は、その。他にちょっと用がありまして」
食い気味に頷くマルコム兄様に対し、カメロン兄様は歯切れ悪く辞退した。
太った息子を抱き寄せながら、エレインが満足げに頷いてみせる。
「大叔父様、お父様。僕もご一緒していいですか?」
「お、デイヴィッド、お前もやるか?」
「父よりは上手いつもりです」
「ほう、大きく出たな」
と、今度はベアトリス様が「セアラ!」と声を上げた。
進み出たのは、地味なドレスを着た年輩の女性である。
「あたくしの居間にデザートとお茶の用意をお願い。レディ・パトリシアをお招きしたいの」
「いいですわね! でしたら私もご一緒に……」
すかさずエレインが言いかけるが、ベアトリス様は「あら、駄目よ」と言下に首を横に振った。
「あなたまで来てしまったら、誰がミス・フギンをお相手するの?」
「っ!」
悔しそうに唇を噛みしめるエレイン。
ここへ来て、ようやく名前が判明したグイード叔父様の連れの女性は、私を見て親しげに微笑んだ。
「お会いできてよかったですわ、レディ・パトリシア。またすぐお目にかかりましょう」
「ええ、はい。こちらこそ……」
窓の外では、いつの間にか風が止み、夜空にこうこうと月が輝いていた。
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