39. 残念令嬢と森の鍛冶屋

「お嬢様の今朝の体重は、165ポンド5オンス(約75kg)でございます」


 幽霊屋敷のビリヤードルーム改め、トレーニングジムにて。

 毎朝恒例の計量を済ませた私は、軽くウォーミングアップをした後、〈強者の鐙〉に両足首を通してプランクの姿勢をとった。


「1、2、3、4、……」


 正しい姿勢を10秒キープ。膝をついて3秒休み、もう一度正しいプランクを10秒間。

 だいぶ姿勢が安定してきたから、そろそろ1セットを20秒に増やしてもいいかもしれない。

 その後、カーフレイズやスクワットなど、基本の種目を丁寧にこなしてから、メリサが渡してくれたタオルで汗を拭き、ルシールから自家製のスポーツドリンクが入った水筒を受け取った。


「それじゃ、行ってくるわね」

「どうぞ、お気をつけて。お屋敷の敷地内からは、くれぐれもお出になりませんよう」


 心配そうに見送るメリサたちに手を振って、雑木林の小道を歩き出す。

 ソロン領に来て一週間。

 中断していたウォーキングを、今日から再開することにした。


 プランクやウェイトトレーニングなどで身体に強い抵抗を加えると、成長ホルモンが分泌される。骨や筋肉を発達させるほか、中性脂肪の分解も促すホルモンだ。

 このタイミングでウォーキングやジョギングのような有酸素運動を行えば、より効率的に脂肪を燃焼できる。


 というわけで、ややゆっくりめのペースで歩き始めた私は、少しずつペースを上げながら、雑木林を奥へと進んでいった。

 やがて前方から、キンキン、キンキン、という金属音が聞こえてくる。

 雑木林の踏み分け道は、少し行くと板石を敷いた小道に合流し、その先に一軒の小屋があった。

 金属音は、そこから聞こえてくるのだ。

 私は小屋に近づいていった。

 小屋のドアは開け放され、中では先日の老人が、かっかと燃える炉のそばでリズミカルにつちをふるっている。


「そこで待ってろ!」


 私が声をかけるより早く、老人がこちらに背を向けたまま怒鳴ってよこした。


「今は手が離せんのだ!」


 そこで私は小屋の入口に立ったまま、老人が熱されて真っ赤になった鉄の棒をU字型に曲げていくのを見守った。

 やはりこの老人は鍛冶屋だったのだ。今打っているのは、馬の蹄鉄に違いない。


(てことは、ダンベルも作ってもらえるかも)

 

 鍛冶場の片隅にはベッドがひとつ、毛布が丸めてのせてある。テーブルがひとつ、木製のベンチがひとつ。その横に細長いT字の棒が立っており、一羽の鴉が彫像のように身じろぎもせずにとまっている。

 やがて老人は火箸にはさんだ蹄鉄を炉に突っ込むと、ようやくこちらを振り向いた。


「誰だ。何の用だ」

「こんにちは。私はパトリシア・リドリー。作っていただきたいものがありますの」 

「パトリシア・リドリーだと?」


 老人はずかずかとやってきて、無遠慮に私を眺め回した。

 その時になって初めて、私は老人の右の目が白く濁っていることに気づく。


「嘘をつくな。おまえは離れのヴィラにいたメイドじゃないか」

「確かに離れにいましたけれど、メイドではありませんわ」

「…………」


 ばさり、と羽音がしたかと思うと、T字の止まり木にいた鴉が、老人の右肩に舞い降りた。

 黒いボタンのような目が、じっと私を見つめている。

 老人はしばらくの間、考えこむように黙っていたが、やがてつっけんどんな口調で言った。

 

「それで? 何を作ってほしいのだ」


 私は落ちていた小枝を拾い、外の地面に大雑把なダンベルの絵を描いた。


「重さ4ポンド(約2kg弱)で、こういう形をした鉄の塊が欲しいんですの」

「こんなものを作ってどうする」


 私は背筋をしゃんと伸ばし、老人を正面から睨みつけた。


「根掘り葉掘り聞く前に、名前を聞かせていただきたいですわ。私はちゃんと名乗ったのですから」


 老人はぽかんとしたように目を瞬き、次の瞬間、吠えるように笑い出した。


「確かにな! わしはヴァルだ。この妙な鉄の塊は、間違いなく作っておいてやろう。ではな」


 そう言うと、ヴァルは炉のほうへ戻っていき、真っ赤に焼けた蹄鉄を引き出すと、再び槌を振るいだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る