38.残念令嬢と夢のジム

 ごうごうと燃え盛る炎の奥から、一人の巨人が現れる。

 その肩には、大きな嘴を持った鳥の骸骨がとまっている。

 かっと開いた嘴の奥に、奇妙な筒形の器官がある鳥だ。

 あれは****だ。あそこから炎が出てくるのだ。

 そう思ったとたん、骨の筒から炎が噴き出し、私は――……。

 

「――っ!」


 目を開けたら朝だった。

 見慣れない寝室の風景に、昨日のことを思い出す。

 そうだった。ソロン領の幽霊屋敷にいるのだった。

 シャッ、とカーテンが開く音に振り向けば、メイド服をきっちり着こなしたメリサが、きびきびと立ち働いている。


「おはようございます、お嬢様。昨晩は良くおやすみになれましたか?」

「ええ」

 

 最後のほうで、変な夢は見たけれど。


「朝食はもうできております。ベッドでお召し上がりになりますか?」

「いいえ。私が下りていくわ」


 ここには私とメリサ、それにルシールしかいないのだ。余分な仕事を増やすわけにはいかない。

 身支度を整えて厨房に下りると、テーブルにはパンとスープの簡単な朝食が用意されていた。


「申し訳ありません! こんな田舎料理しかご用意できず……」


 ルシールが盛んに恐縮するが、とんでもない。

 こちらの世界で初めて食べる全粒粉のパンに、夏野菜がごろごろ入ったコンソメスープ。


 全粒粉のパンは普通の白パンに比べ、カリウムやマグネシウムのようなミネラルの他、ビタミンBや食物繊維を豊富に含んでいる。

 ビタミンBはエネルギーの代謝を促進する上、硬いパンは咀嚼回数が増えるから、少量でも満腹感が得られやすい。

 つまり、ダイエットにうってつけの食材なのだ。

 野菜スープの素朴な味は、いかにも田舎のおばあちゃんの味みたいでほっとするし、私としては毎日これでもいいくらいだと言ったら、ルシールは真っ赤になって照れていた。

 食事の後は、掃除である。

 メリサもルシールも、


「お嬢様までそんなことをなさらなくても」


 と青ざめるが、私としては一刻も早く夢のジム作りにとりかかりたくて仕方がない。


「何も家中掃除しようっていうんじゃないわ。とりあえず各自の寝室と、撞球室ビリヤードルームが使えれば十分。手分けしてぱぱっとやってしまいましょう?」


 愛用のスポーツウェアに着替え、髪が汚れないようにスカーフで覆えば、掃除の準備は万端だ。

 傷んだビリヤード台やソファなど、いらない家具はすべて外に出し、木の床をモップで水拭きする。

 床が乾くのを待っている間に、二階の私の寝室や、メリサとルシールが寝泊まりする次の間の掃き掃除と拭き掃除。

 

 この世界の使用人たちが寝起きするのは、地下室や屋根裏部屋、裕福な貴族や王族の屋敷なら専用の別棟というのが一般的だが、ここでは女三人が離れ離れに寝るのは不用心だということで、私の寝室の次の間に泊ってもらうことにした。


 昼食後、完全に乾いたビリヤードルームの床に、ぼろ布でワックスを塗っていく。

 窓ガラスもきれいに拭いて開け放せば、雑木林の緑が磨いた床に映って美しい。


 と、その床にひょいと影が差した。

 白髪頭のがっしりした老人が、窓から中をのぞきこんでいる。

 煤だらけのシャツに毛織のズボン。同じく煤で汚れた前掛けという姿は、この屋敷の下働きか何かだろうか。


「大掃除かね、お嬢さん方」

「……そうですが」

 

 無遠慮に部屋中を見回す老人に、メリサが胡乱そうな目を向ける。

 そのとき、私は例の吊り輪ギア、〈強者の鐙〉をどこに吊ろうか考えながら天井の梁を見上げていた。


(この高さだと梯子が要るわよね。それも結構長いやつ)


 下働きの人なら、物置の場所を知っているかも。

 そう思った私は、外の老人に笑いかけた。


「こんにちは。このお屋敷の方ですか? もしそうなら、梯子をお借りしたいのですが」

「何のために?」

「天井の梁に、吊りたい物があるんです」


 これです。と〈強者の鐙〉を見せれば、今度は老人が胡散臭そうに目を細める。

 

「何だ、これは」

「鍛錬器具です」

「鍛錬器具?」

「はい。王宮騎士団でも使われているんですよ」

「…………」

 

 老人はしばらくの間、節くれだった手で〈強者の鐙〉をいじくり回していたが、やがて「待ってろ」と言い捨てて雑木林の奥に姿を消した。

 お祖父様の屋敷があるのとは、反対側の方角だ。

 メリサもそのことに気づいたのだろう。眉をひそめてつぶやいた。


「何者でしょう。森番という感じではありませんし、近隣の村人なら敷地には入ってこないはずですし」

「鍛冶屋さんじゃないですか?」


 そう言ったのはルシールだ。


「シャツにも前掛けにも煤がついてましたよね。煙突掃除の可能性もありますけど、あんなに大きなおじいさんじゃ、煙突に入るのは無理でしょう」

「なるほど!」


 私は感心した。

 リドリー領のマナーハウスにも、馬の蹄鉄を作ったり、くわや包丁を修理したりする鍛冶屋がいたのを思い出したからだ。


「そら」


 やがて戻ってきた鍛冶屋? のおじいさんは、年季の入った長梯子を担いでいた。

 おまけに私が梯子を上ろうとすると、「よせ。危なっかしい」と、代わりに器具の取り付けまでやってくれたのだ。

 ぶっきらぼうな物言いに反して、根は親切な人らしい。


 天井の梁から吊り輪ギアが下がると、元ビリヤードルームだった室内は、一気にジムっぽい雰囲気になった。

 あとは床にマットがあって、ちょうどいい高さのベンチなんかもあるといい。

 できればダンベルみたいなものも……。


(ん? ダンベル?)


 ダンベル⇒鉄⇒鍛冶屋。


 という連想が働き、ぱっと振り向いた時には、しかし、推定鍛冶屋のおじいさんは姿を消した後だった。

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