37.残念令嬢と幽霊屋敷

「こちらがお嬢様のお部屋でございます」


 と案内されたのは、雑木林の奥の廃屋――というか、いっそ「幽霊屋敷」といったほうが似合いそうな建物だった。

 二階建てのヴィラで、薄汚れた外壁はところどころ剥がれ落ち、閉ざされた窓の鎧戸には、びっしりとツタが這っている。


「ひどい! これってどういうことですか⁉」


 たまりかねたようにルシールがグリムス夫人にくってかかるも、


「おお、いやだ。雑役メイドの分際で、何て口のきき方でしょう。あるじが主なら、メイドもメイドね」


 と言い返されて、真っ赤になって黙ってしまった。

 グリムス夫人が鍵を開け、ぎぎぃ、と軋む玄関ドアをくぐれば、長らく放置された家独特のかび臭いにおいが鼻をつく。

 それでも掃除はしたらしい玄関ホールのタイルの上に、私たちの荷物が置いてあった。


「ご滞在中は、特にお呼びがないかぎり、こちらで過ごしていただきます。お食事やお茶も、本館に来ていただくには及ばないと、レディ・カメロンが仰せです。……それでは、どうぞごゆっくり」


 バタン、とドアが閉まったとたん、ルシールがすがるような目を私に向けてきた。


 一体、どういうことですか。


 と、はっきりその顔に書いてある。

 私は、人差し指でぽりぽりと頬を掻いた。

 

「あー。まあ、何というか……領地に帰れば、大体いつもこんな感じよ」


 さすがに、ここまで極端なのは初めてだけど。

 よみがえってきた〈パトリシア〉の記憶のあれこれに、私はやれやれとため息をついた。


 ◇◇◇


 社交界の中心は王都だが、領地に戻ったからといって、社交がなくなるわけではない。

 むしろ、当主が王都にいる間、領地の采配をしてくれる親類縁者のフォローやら、近隣の領主たちとの親睦やら、王都都会よりよほど濃厚な地方ならではのつきあいが、連日のように発生するのだ。


 そんな中、いろいろ残念なパトリシアの存在は、リドリー家の頭痛の種だった。

 何しろ見た目はアレだし、お茶会で気の利いた会話もできず、舞踏会に招待してもダンスも碌に踊れない。

 そのくせ、何かあればすぐにへそを曲げ、ゲストの前も構わず不貞腐れるわ、癇癪を起こして喚き散らすわ、そりゃ人前に出したくもなくなるだろう。


 そんなわけで、マナーハウスに滞在中のパトリシアは、自室からあまり出ないように、特にゲストが来ているときは、決して姿を見せないようにと厳命されるのが常だった。

 それでもマルコム兄様夫妻がマナーハウスを仕切っていたころは、それなりに街に連れ出してもらったり、ゲストが滞在していないときは、食事やお茶も一緒にできていたのだが……。


「とにかく、いつまでもここでこうしていても仕方がないわ。まずはお部屋を見てみましょう?」


 私は半泣きのルシールの手を引いて歩き出した。

 パトリシアの記憶によれば、この手の建物では、客室や寝室は二階と相場が決まっている。

 階段を上りきると、二階の廊下は埃だらけだった。

 廊下に面したドアを手前から順に開けていくと、一番奥の寝室だけが、最近手を入れた痕がある。

 壁には額装された少女の絵が何枚も掛かり、洗面台に置かれた水差しも比較的新しいものだった。

 

「つまり、ここに泊まれということね」


 ルシールと二人で、玄関ホールの荷物を運び上げる。

 荷ほどきは後にして階下を回ってみれば、埃だらけの食堂と温室コンサバトリー、それに撞球室ビリヤードルームがあるのがわかった。

 浴室なんかもこの階だ。


 地下の厨房はさすがに掃除されており、食材も用意されていた。

 壁に沿って食器棚やかまどが並び、中央に大きなテーブルがある。


「とりあえず、ここでお茶にしましょうか。ルシール、お湯を沸かしてくれる?」

「は……はい。お嬢様」


 真っ赤な目をしたルシールが、それでも慣れた様子でかまどに火を入れるのを確認してから、私は一人で一階に戻った。

 目指すは、さっきちょっとだけのぞいたビリヤードルームだ。

 鎧戸のおかげで窓ガラスはどれも無事。その鎧戸を押し開ければ、ぶちぶちとツタが千切れる音とともに、光と風が流れ込む。


 部屋の広さは、ちょっとしたダンススタジオくらいあった。

 ――ふむ。

 隅に寄せられたビリヤード台やソファの類は、軒並みかびでダメになっていたが、板張りの床は傷んでいない。水拭きしてワックスをかければ、じゅうぶん使用に耐えそうだ。

 ――ふむふむ。

 天井を見上げれば、田舎の素朴な建物らしく、太い梁がむき出しになっている。

 ――ふむふむふ……。


「むふ。むふふふふ……」


 思わず含み笑いが漏れる。

 何? この部屋、ひと夏ずっと使っていいの?

 

 ――最高かよ!


「お嬢様。お茶の支度ができまし……お、お嬢様⁉」


 沈んだ顔で私を呼びにきたルシールは、部屋の真ん中で腰に手を当て、高笑いする私を見て、ぎょっとしたように立ち止まった。

 その手を取って、私は笑いながら部屋中を踊り回る。

 だって――……。

 

 この部屋、まるっとジムにできるじゃん!


――――――――――――

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8/9(水)~16(水)まで夏休みをいただくため、不定期更新とさせていただきます。


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