Season 3
36.残念令嬢、帰省する
8月。
建国祭の終わりとともに、王都の貴族たちは続々と領地に引き上げ始める。
夏の狩猟シーズンから秋の収穫祭を経て、12月の中旬くらいまで、それぞれの領地で過ごすのだ。
我がリドリー家も、毎年そうしているのだが――……。
「今年は、おまえだけ先に帰っていなさい」
朝食の席でお父様が言った。
隣国マーセデスで政変が起こり、国王の首がすげ変わった結果、我が国との国交にもいろいろと影響が出始めている。
おかげで外務大臣であるお父様は、議会が終わった後も王宮に残って仕事をしなければならないのだ。
というわけで、私は今、メリサと新たに雇い入れた雑役メイドのルシールの三人で、ソロン辺境領に向かう馬車に揺られていた。
今年14歳になるというルシールは、平民に多い
眼鏡をかけた真面目そうな少女で、今もメモを片手にメリサにあれこれ質問していた。
「リドリー閣下の
「ええ。これから私たちが向かうのは、リドリー伯爵家ではなく、ソロン辺境伯家の
「マナーハウス」と「カントリーハウス」。どちらも貴族の自領にある本邸のことだが、「カントリーハウス」という場合、より高位の貴族が住まう館というニュアンスがあった。
なので、伯爵家であるリドリー家の本邸は「マナーハウス」、我が国では侯爵位と同格の辺境伯家の本邸は「カントリーハウス」となるわけだ。
「ソロン辺境伯様が、お嬢様をお招きになったのですか?」
「お招き……という言い方が正しいかどうかわかりませんが……」
言い淀んだメリサに代わり、私は「いいえ」と説明役を買って出た。
「ソロン辺境伯は、私の父方のお祖父様なの」
北のソロン、東のブルクナーと言えば、ケレスの国境地帯を守る国防の要である。
お父様は、そのソロン家の跡継ぎなのだ。
「まあ! ということは、リドリー閣下は、いずれはソロン辺境伯に……?」
目を丸くするルシールに、私は「まあね」と苦笑した。
「お祖父様はまだまだご壮健でいらっしゃるそうだから、そんなのはだいぶ先の話だろうけど」
ルシールはさかんに頷きながらペンを動かしている。
「では、お嬢様は毎年ソロン領にお帰りになるのですね」
「いいえ、普段はリドリー伯爵領のほうに帰るわ。でも今年はちょっと特別なの。マルコム兄様が久しぶりに帰国されたから――」
こんなことでもないかぎり、一族が顔を揃えることは滅多にない。
というのも、お祖父様は、数ある所領のそれぞれを子どもや孫たちに分割して統治させ、その結果如何によっては、領主の首をすげ替えることも平気でやるような人だからだ。
「つまり、リドリー伯爵領というのは……」
「そう。お祖父様の所領のひとつよ。お父様はそこの統治を任されてたってわけ」
マナーハウスには「家令」と呼ばれる役職の人が常駐し、治水や収税、領内の揉め事などの管理するが、それはあくまで領主の代行だ。
毎年、領地に戻ったお父様は、留守中に溜まりに溜まった仕事に忙殺されるのが常だった。
「ほら。あれがソロン・カースルよ」
私が指さすほうを見て、ルシールは「わあっ!」と歓声を上げる。
「すごーい! お城だぁ!」
緩やかに起伏する丘の向こうに、いかめしい灰色の城館が見えてきた。
◇◇◇
「パトリシア・リドリー・ソロン様。お待ちしておりました」
ソロン・カースルの正面玄関にて。
私たちを出迎えたのは、見るからに気難しそうな黒衣の老婦人だった。
「当館東棟の
「では、私が説明を聞いてまいりますね」
メリサが言うので、私はルシールと一緒にグリムス夫人について歩き出した。
ちょっとした舞踏会ができそうな玄関ホールを通り抜け、長い廊下を歩いていくと、突き当たりの扉が見えてくる。
その先の中庭を抜け、向かい側の建物も突っ切ると、ぼうぼうと草が生い茂る裏庭の先に雑木林が広がっていた。
「あの、お嬢様……」
ルシールが不安そうに小声で話しかけてくる。
「今って、お嬢様のお部屋に向かってるんですよね?」
「ええ、そのはずよ」
答えながら、私は何となく、この先の展開が見えたような気がしていた。
『レディ・カメロンより、お嬢様をお部屋にご案内するよう申しつかりました』
レディ・カメロンとは、カメロン兄様の妻、エレインを指す。
彼女は昔、パトリシアを――……。
「着きました」
雑木林の細い道の先に、廃屋と見紛うような古びた屋敷が建っていた。
「こちらが、お嬢様のお部屋でございます」
グリムス夫人はそう言うと、にたり、と音がしそうな笑みを浮かべた。
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