31.残念令嬢、暗躍する

「結局、〈セルドーうちル〉の婦人鞍や騎士団の馬具一式を取り戻す手段はないってことですか」


〈離塔〉に行った日の翌日。

 私はカイル様とカミーユとともに、再び〈セルドール〉を訪ねていた。


「ないわけじゃないわ。現状では厳しいけれど」


 意匠権を維持するには、意匠局に毎年登録料を納めなければならない。それとは別に、手数料や管理費も必要だ。

 つまり、多くの意匠権を長年にわたって保持すればするほど、その分維持費もかさんでくる。

 結果、登録料が支払えなくなれば、その時点で意匠権は消失。

 あるいは登録した製品が売れなくなり、維持費に見合う使用料が取れなくなれば、申請者が自分の意志で登録を抹消することもある。

  

 目下〈セルドール〉の婦人鞍と馬具一式の意匠権を握っているファインズ伯爵が、上記いずれかの理由で登録を破棄すれば、〈セルドール〉は使用料を支払うことなく自社製品を売れるようになるのだが……。


〈セルドール〉の三代目、イアン・セルドールはため息をついて首を振った。


「無理でしょう。今や婦人鞍と騎士団の制式馬具は〈セルドール ファインズ〉の目玉商品だ。それを独占できる権利を、そう易々と奴らが手放すはずがない」

「ですよねー……」


 何年か経って売上が落ちれば、登録は抹消されるかもしれない。でも、その時になって同じ物を〈セルドール〉が売り出したところで何になるって話である。

 というか、現時点で〈セルドール〉はすでに工房の建物を手放すかどうかの瀬戸際なのだ。


「で、私からの提案なんだけど……」


 ごとっ。


 私は二つの品物をカウンターに置いた。

 一つは、私がこの前〈セルドール〉に発注した吊り輪型のスポーツギア。

 もう一つは、イサーク様と公園に行った時に履いていた革のサンダルである。


「さっき、この二つを私の名義で意匠登録してきました。〈セルドール〉でこれを作って売る分には、使用料は要らないわ」

「……どういうことですか?」


 それまで黙って話を聞いていたフローレンス様が、初めて口を開いた。


「使用料を払わないなんて、それじゃ私たちが法律違反で逮捕されるんじゃ……」

「ごめんなさい。説明の仕方が悪かったわね。正確には、使用料はちゃんといただくことになっているのよ。ただし、それはお店の利益が出てからね」


 私は、持ってきた紙をカウンターに広げて見せた。


「たとえばこのサンダルを売る場合、一足作るのに10シルかかるとしましょう。これを100シルで売れば、利益は90シルになるわね。その1割、9シルを使用料として私に納めていただくわ。ただし、年末までにこの店が1万シル以上の利益を出せなければ支払いはなし。来年も再来年も同じようにしていって、利益が1万シルを超えた時点で、初めてサンダルの利益の1割を使用料としていただくの」


 もちろん、これらの数字は説明のために単純化したもので、実際はもっと大きな額になるはずだけど。


「仕組みはわかっていただけたかしら?」

「…………」

「…………」


 イアンとフローレンス様は、揃って考え込んでいたが、やがてフローレンス様が顔を上げた。


「つまり、うちの店が十分な利益を出すまで、使用料の支払いを待ってくださるということですね?」

「そう! その通りよ」


 よかった。理解してもらえたみたい。


〈セルドール〉がここまで追い詰められたのは、商品を売って利益が出るより前に使用料を払わなければならなかったせいだ。

 しかも、ファインズ伯爵が設定した使用料はべらぼうに高く、婦人鞍なら百以上、制式馬具にいたっては、実に五百以上売らなければ〈セルドール〉には利益が出ない仕組みになっていた。

 なので、私はファインズ伯爵よりずっと安い使用料、かつ、利益が十分に出てからの後払い、という条件を提示したわけだ。

 

 だが、夫婦の表情はまだ晴れない。


「お話は大変ありがたいです。けど、そもそもこの二つが売れてくれないことには、利益も何もないですよね」


 イアンの言いたいことはわかる。

 カイル様に聞いてみたところ、騎士団には打ち込み用のカカシみたいな人型や、ダンベルに似た錘のような鍛錬用具はあるものの、吊り輪型のトレーニングギアなんて見たことも聞いたこともないと言っていた。

 またカミーユによれば、南国のガザズならともかく、この国の人たちは滅多にサンダルなんて履かないらしい。

 つまり、この二つの商品を作ったとしても、売れる未来が見えないのだ。


 ――今はまだ。


「ええ。ですから、これからこの二つの商品を流行の最先端にするんですの」


 私の言葉に、イアンとフローレンス様は「?」と顔を見合わせた。


 ◇◇◇


 そんなことがあってから、何日か経ったある日の王立公園。

 木漏れ日の落ちる木陰で、二人の令嬢がピクニックを楽しんでいた。

 年上のほうは、艶やかな栗色の髪ブルネットにくっきりとした目鼻立ち。今一人は、ダークブロンドに榛色の瞳ヘイゼル・アイの美少女だ。

 いずれもギリシア風のチュニックドレスを涼しげに着こなし、足元は柔らかそうな革のサンダルである。

 本格的な夏の訪れを感じさせるその日、日差しはことのほか強く、コルセットで締めつけたドレスで散歩に来ていた他の令嬢や貴婦人たちは、日傘や扇でどうにか暑さをしのぎながら、その装いにちらちらと羨望の眼差しを向けていた。

 やがて、ひとりの令嬢が、ピクニック中の二人に近づいて声をかける。 


「ごきげんよう。シルヴィア様」


 ダークブロンドの美少女――シルヴィア・ブルクナーは、愛想よく相手に微笑みかけた。


「まあ、メアリ様、ごきげんよう! よかったらこちらでお茶をいかが?」

「嬉しいですわ。喜んで!」

 

 メアリ嬢はピクニックに加わり、しばらく当たり障りのない会話が続く。

 それから、メアリ嬢はさりげなく視線をシルヴィア嬢のドレスに向けた。


「ところでそのドレス、とっても素敵ですわね。どちらでお仕立てに?」


 とたんに、近くにいた令嬢や貴婦人たちが、一斉に聞き耳を立てる気配がする。

 シルヴィア嬢はにっこり微笑んだ。


「ああ、これ。以前、〈メゾン・ド・リュバン〉が入っていた建物に、新しく入ったブティックがありますでしょ?〈ジョリ・トリシア可愛いパトリシア〉っていうんですけど……」


 そこへ、イーゼルを担いだ男が息せき切ってやってくる。


「お嬢さん方! お話中に突然申し訳ない。私はウィリアム・ローズ・ワイト。ご覧の通り、画家なのだが、お嬢さん方をスケッチさせていただいてもいいだろうか」


 シルヴィア嬢は、一瞬、迷うように連れの令嬢――ブルネットの髪の、よく見ると「令嬢」と言うにはややとうの立った女性を振り向いた。


「メリサ……」


 メリサはすっとシルヴィア嬢の耳に口を寄せる。


「ワイト氏は、今年の王立アカデミーで金賞を取られた新進気鋭の画家でいらっしゃいます。イーゼルの絵を拝見するかぎり、ご本人に間違いないかと。もしモデルを了承されるのでしたら、僭越ながらお願いが……」


 シルヴィア嬢はしばらくメリサの話を頷きながら聞いていたが、やがて満面の笑みを浮かべてワイトに向き直った。


 ◇◇◇


 またある日、王都の一等地に建つブティック〈ジョリ・トリシア〉にて。

 見るからに身分ありげな女性客が採寸を済ませ、今しも店を出ようとしたところで、ふと一人の店員に目を留めた。

 ギリシア風のチュニックドレスに、足をすっぽりと包み込む革製のサンダル。


「おお、マダム。これに気づくとはお目が高い」


 イケメンモードのカミーユがすかさず近づき、耳に快いバリトンで賛辞を送る。


「こちら、今年最新のデザインでございます」

「そうね。王都でも若いお嬢さん方が着ているのを見かけたわ」


 暗に、歳のいった自分には合わないだろうと仄めかす女性客に、カミーユは「そんなことはございません」と店の壁を指し示した。

 そこには最近売り出し中の画家ウィリアム・ローズ・ワイトの手になる「精霊ニュンペ」シリーズの絵がかかっている。

 ややふくよかな精霊が、白いチュニックにサンダルを履いて森の木陰で休んでいるところだ。


「実はあの絵のモデルになったのは、マダムではないかと店の者たちの間で噂になっておりまして」

「あらやだ。まさか!」


 否定しつつも、まんざらでもなさそうな女性客。


「でも、せっかくだからこのドレスも仕立ててもらおうかしら。靴も一緒にお願いできる?」

「もちろんでございます。サンダルは〈セルドール〉のものをご提供しておりまして。こちらでも取り寄せられますし、〈セルドール〉で直接ご注文もできます。どちらにされますか?」


 女性客はしばらく考え込んでいたが、やがて「それじゃ〈セルドール〉に行こうかしら」と言った。


「しばらく行ってなかったことだし。他のサンダルも見てみたいわ」

「承知しました。では、ドレスが仕上がりましたらご連絡いたします」


 うやうやしく頭を下げながら、カミーユはにんまりと唇の両端を吊り上げた。

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