32.残念令嬢とプランク対決

 かつて〈パトリシア〉がさんざん迷惑をかけ倒した王立学院のクラスメイト、フローレンス様。

 彼女の嫁ぎ先である老舗の馬具工房〈セルドール〉は、目玉商品の意匠権を商売仇に握られてしまい、倒産の危機に瀕していた。

 そこで私が考えたのは、〈セルドール〉に新たな売れ筋商品を作り出すこと。

 ひとつは、この国ではあまり流行っていないらしいサンダル。

 そして、もうひとつは――……。


 ◇◇◇


 ケレス王宮、屋内訓練場。

 早朝、鍛錬にやってきた騎士たちは、打ち込み用の藁人形や、鍛錬用のおもりの奥で、何やら見慣れない道具と格闘している第三部隊の隊長を見て「またか」という顔になった。


「隊長、また新しい鍛錬道具おもちゃを買われたので?」

「ああ。どうだ、君たちもやってみるか?」


 ブルクナー騎士団長の次男カイル・ブルクナーは、騎士団でも評判の鍛錬好きだった。

 前世でいうところの筋トレマニアである。

 兵士や騎士の訓練といっても、大半が武器を使った素振りと打ち込み、実戦さながらの模擬試合スパーリングがメインのこの世界で、カイルは珍しく肉体そのものの強化に重きを置いていた。


 身体能力に優れた者は、闘いにも強い。

 さらに負傷しにくく、戦士としての寿命も長い。


 若くしてそのことに気づいたカイルは、やがて騎士や兵士の肉体を強化する独自のトレーニングメソッドを確立。後世、「ケレス武術の父」としてその名を知られることになるのだが、それはずっと先の話。

   

 今カイルが使っているのは、天井の梁から下がる二本の長い革紐だった。紐の先にはあぶみ型の金具がついており、手で握ったり足首を通したりできるようになっている。


「ここに片方ずつ足首を通し、背筋を伸ばして両手で身体を支える」


 説明しながら、カイルは実際にやってみせた。

 両足が宙に浮いた状態で、肩と踵を結ぶ直線が地面と平行になるように真っ直ぐ保つ。

 プランクの上位種目である。

 ――が、部下たちの目には、隊長が変な恰好で地面に這いつくばっているようにしか見えなかった。


「この姿勢を崩さずに、そうだな……ゆっくり百まで数えられるか?」

「簡単でしょう、そのくらい」


 案の定、ひとりの若者が馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 カイルは起き上がり、掌についた土をはたくと、その若者ににっこり微笑みかける。


「よし、マックス。それじゃ、やってみせてくれ。それともう一人……そうだな、ドラン。もう一つのほうでやってみてくれないか?」

「俺ですか」


 進み出たのは、第三部隊でも古参の騎士だった。歳のころは四十過ぎ。剣はともかく、槍の腕では隊長のカイルも凌ぐといわれるベテランである。


「こういうのは、若いもんのほうが得意だと思いますがねえ」


 ぶつくさ言いながらも、教えられたとおり吊り輪に両足を通すドラン。

 一方のマックスは、はなから馬鹿にしきった様子で、


「百なんて大したことないっすよ。俺なら千くらいいけますね」


 などと粋がっている。


「あ、てめ、馬鹿っ! そんなことを隊長の前で言ったら……」


 ドランが慌てるが、もう遅い。

 カイルは目を輝かせて「では千にするか」と言った。

 見物している隊員たちから、「あーあ」「やっちまったよ」「ドランも気の毒に」などという声が上がる。


「数は僕がかぞえよう。先に姿勢を崩したほうが負けだ。両者、準備はいいか? それでは――始め! 一、二、三、……」


 もしもこの場にパトリシアがいたら、「そんなに長くやらなくていいから!」と悲鳴のような声を上げたことだろう。


「正しい姿勢で最初は十秒、それを二、三秒おきに五セットくらいで十分ですからぁ!」と。


 だが「できるか?」と煽られれば「できるもん!」と反射的に答えてしまうのが男の子。

 そして目新しいおもちゃを前に、相手より長くできたほうが強いしエラいしカッコいいと無意識に思い込んでしまうのもまた、男子のさがというものだろう。

 騎士になりたてのマックスはもちろん、古参のドランにしたところで、相手より先に音を上げるつもりはさらさらない。


 かくして、訓練場では時ならぬプランク対決がスタートしたのだが……。

 

 彼らにとって不幸なことに、この宙吊りプランク、見た目の地味さに反してめちゃくちゃキツい種目であった。


 ◇◇◇

 

 教えられた路地の奥。

 古びた木のドアを押すと、からん、と真鍮のベルが鳴った。

 鞍や手綱や馬勒ばろくが並ぶ棚の突き当たり、年代物のカウンターでは、ミルクティ色の髪をした若い女性が店番をしている。


「いらっしゃいませ。どういった馬具をお求めですか?」

「いや、馬具を買いにきたわけではないのだ。あー……、その、道具の名前は知らないのだが、こう、長い革紐に鐙のような金具のついた……」

「あ、〈強者の鐙〉でございますね。申し訳ございません。ただいま在庫を切らしておりまして、一週間ほどお時間をいただくことになりますが」

「かまわない。ひとつ頼む」

「ありがとうございます。それではこちらにお名前を」


 差し出された帳簿には、王宮騎士団第三部隊の隊員の名前がずらりと並んでいた。

 その中に「マックス」という名前を見つけ、彼――ドランはふっと笑う。


「どうも、あの隊長に上手いこと乗せられたような気もするが……」


 まあ、若い者が鍛錬に励むのは良いことだ。

 実際、あの鍛錬を始めてから、少しずつだが若い者の動きが良くなってきたような気もするし。

 そんなことを考えながら、ドランは頭金を払って店を出る。

 このくらいの値段なら、騎士見習いの甥っ子にも買ってやるか、と思いながら。


 ◇◇◇


「〈セルドール〉は、どうやら工房を手放さずに済みそうだぜ」


 カルヴィーノ商会、ダリオのオフィス。

 応接セットのソファに座った私は「よかったー!」と大きく安堵の息をついた。


「それもこれも、ダリオがいい革を安く卸してくれたおかげだわ」


 考えてみれば、今回のアイディアの元になったサンダルも、カミーユがここで仕入れたガザズからの輸入品だった。

 例の公園での追いかけっこで切れてしまったストラップを直そうと、王都の靴屋に持ち込んだところ、「我が国ではこのような靴は作っておりません」と言われて意匠登録することを思いついたのだ。

 本当にありがとう、とお礼を言うと、ダリオは「ふん」と鼻を鳴らした。


「別に。こっちは金さえ払って貰えりゃどうでもいいさ。それに、ファインズの野郎のやり口は、前から気に喰わなかったしな」


 聞けば、ファインズ伯爵は、似たような手口で個人経営の店をいくつも潰し、彼らが苦労して作り上げた商品を真似ることで莫大な利益を上げているという。


「伯爵だか何だか知らねえが、やってることは盗賊と変わらねえ。嬢ちゃんも気をつけたほうがいいぜ。やり返されたからって、大人しく引っ込むような手合いじゃねえからな」


 まさにそのファインズ家から、私宛てにお茶会の招待状が届いたのは、その日の晩のことである――。

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