28.残念令嬢と車椅子の妖精

 400段の階段を上り終え、突き当りの扉をノックすると、ドアの上のスピーカーから金属的な声がした。


「お入り」

「失礼いたしま……っ!」


 室内に足を踏み入れたとたん、私は「わあっ」と感嘆の声を上げそうになった。 

 古色蒼然とした扉の向こうは、赤と白に彩られた美しい居間になっていたからだ。


「これはこれは。珍しいお客さんだこと」


 奥まった場所に据えられた揺り椅子を軋ませ、老いた貴婦人が立ち上がる。

 銀色に輝く白髪は高い位置で結い上げられ、黒く見えるほど濃い赤と淡い金色の染め分けドレスミ・パルティは、最新流行の型である。

 私は慌てて膝を曲げ、深々と宮廷礼カーテシーをした。

 よっし! 今日はふらつかなかったぞ。

 毎朝のプランクとカーフレイズ、それにスクワットの効果は着実に出てきているようだ。

 

「ご無沙汰しております。フェロ侯爵夫人」

「そうねえ。例のデビュタント以来だから……かれこれ四年ぶりかしら?」


 リーベル・フェロ侯爵夫人はそう言うと、閉じた扇を口許に当てて嫣然と微笑んだ。


 ◇◇◇


 ――四年前。

 王宮に向かう馬車の中は、さながらお通夜のようだった。

 

 最初の驚きから立ち直り、「こんなデビュタントは嫌だ」と泣き叫ぶパトリシアを、マルコムにピアース、アトキンス夫人が総がかりでなだめすかし、ついにキレたマルコムが、


「ザイファートと一緒にデビュタントに出るか、結婚をあきらめて一生修道院に入るかどっちかにしろ!」


 と怒鳴りつけたことで、ようやく騒ぎは収束したものの――。

 

 窓外を流れ過ぎる景色をぼんやりと眺めながら、パトリシアは、こみあげる嗚咽を何とか堪えようと歯を食いしばっていた。


(平民にエスコートされたからって、平民と結婚するわけではないわ)


 どんなに出来が悪かろうと、パトリシアは伯爵家に生まれた娘である。

 自分がゆくゆくは政略に有利な相手に嫁がされることも、その相手が必ずしも若く美しい男性とは限らないことも知っていた。

 近年は恋愛結婚も増えてきたとはいえ、年齢も性格も政治的な利害も一致する相手など、見つかるほうが稀なのだ。

 そのせいか、未婚の令嬢の間では、結婚式よりもデビュタントのほうが、より大きな意味を持つイベントだった。


 初めてデビュタントのワルツは、もしも願いが叶うなら、大好きな相手ひとと踊りたい――。


「21回」


 背後から聞こえてきた皮肉っぽい声に、パトリシアは無言で振り向いた。

 彼女に負けず劣らず不機嫌そうな顔で、ロッドがこちらをにらんでいる。


「この馬車に乗ってから、あなたがついたため息の数です。あなたが平民を死ぬほどお嫌いなのはよくわかった。だが、あなたも今日で成人だ。いいかげん、大人らしい振る舞いをなさってはいかがです」

 

 平民が嫌いなのじゃない。

 これまで憧れ、夢に見てきたすべてのことが無神経にぶち壊されたのが、悲くて悲しくてしょうがないのだ。


 ――と。

 今の〈私〉なら言ってやれただろう。

 けれど当時のパトリシアには、我が身をそのように振り返ることも、考えたことを言葉にして相手に伝えることもできなかった。

 できたのは、ただぷいと顔を背け、それでもため息はそれ以上つかないように、唇を噛んで黙り込むことだけだった。


 ◇◇◇


『本日の段取りですが、拝謁は6時に始まります。今夜の王宮は馬車の混雑が予想されるため、余裕をもって、5時までには王宮入りしたほうがいいでしょう……』

 

 ロッドの読みどおり、控えの間に着いた時には、拝謁はすでに始まっていた。

 貧相なブーケを気にしながら、俯きがちに壁際に立てば、案の定、聞こえよがしな囁き声があちこちからわき起こる。


「ご覧になって。レディ・パトリシア・リドリーよ」

「お連れの方はどなたかしら。王宮では、とんと見かけないお顔ですこと」

「それにしては、ずいぶんとご立派なローブをお召しになってらっしゃるわ」

「ブーケはとっても庶民的ですけど」


 くすす、うふふという笑い声が耳を打つ。

 ちらりと横を見上げれば、石像のように直立したロッドの頬が、僅かに紅潮しているのがわかった。

「自分の服装にばかり金をかけて、主役の令嬢はないがしろにしている」という意味の当てこすりは、どうやら彼にも通じたらしい。


「リドリー嬢。……その、何と謝罪すればいいか……。申し訳ないことをした」

 

 小声で謝罪されたところで、今さらだ。

 ロッドが用意した花束は、ろくな保存処置もされていないのだろう。早くも萎れかけていた。


「パトリシア・リドリー伯爵令嬢様! エスコートはロッド・ザイファート準男爵!」


 長い待ち時間がようやく終わり、パトリシアたちの前で両開きの扉が開かれた。

 中央にひとすじ敷かれた赤い絨毯の上をしずしずと進み、玉座の前で跪く。


「めでたい」


 陛下からの型どおりの挨拶を頭上に聞いて、あっという間に拝謁は終わり。

 後は全員の拝謁が終わるまで、絨毯脇の決められた位置に並んで立って待つだけだ。

 さすがに王の間ここは私語厳禁なので、聞こえよがしな当てこすりを聞かずに済むのがありがたい。


「ロザリンド・フェロ・マリーニ伯爵令嬢! エスコートはアルチュール・ビュフォン準男爵!」


 扉が開くと同時に、私語厳禁のはずの大広間がざわめいた。

 何事かと見れば、車椅子に乗ったひとりの令嬢が入場してくるところだ。

 年齢は、今年十八になるパトリシアより、ひとつふたつ上だろうか。

 だが、しずしずと進む車椅子に座るその姿は、永遠に歳をとらないといわれる妖精のように美しかった。

 その膝には、花嫁のベールさながら、滝のように流れ落ちる純白のブーケがのっている。


 玉座の手前で車椅子は停まり、少女は両手でドレスを摘まみ上げて深々と頭を下げた。

 その隣に、車椅子を押してきた小太りの男性が跪く。


「大儀であった」


 型通りではない王の言葉に、大広間がまたもどよめく。


「そなたの未来が、少しでも明るいものになるように」


 少女がはっと顔を上げ、再び深々と頭を下げた。

 その頬にひとすじ流れた涙が、シャンデリアの明かりを映して美しくきらめく。

 その年、社交界の華と讃えられることになるフェロ侯爵の孫娘、ロザリンド嬢の鮮烈なデビューだった。

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