【幕間】残念令嬢のエスコート役

 ずっと貴族になりたかった。

 そのためだったら、何だってやる。


 そう。たとえ、王国一醜いと言われる娘のエスコート役であろうとも。


 ◇◇◇


「よっ……四万シル⁉ ブーケひとつで?」

「左様でございます、旦那様。一番小さなもので二万シルから三万シル。こちらは男爵家や子爵家のご令嬢向けでございますな。ですが、お相手の方が伯爵令嬢ともなりますと、あまり粗末なものでは見劣りがしますので……。最低でも四万、通常ですと五万シル相当のものを贈られる方が多うございます。もちろん、そのために前々からご自宅の温室でお育てになるのが一番ではございますが」


 ロッドは軽く目眩を覚えた。

 王室御用達のブティックで礼服を一式誂えただけで、これまで大事に貯めてきた一年分の給与が跡形もなく吹っ飛んだ。

 痛い出費だが、未来の自分への投資と思えば納得はできる。


 だが、たかが花束ひとつに四万シルとは!

 何とかいう侯爵家御用達の店というから入ってみたが、ぼったくりもいいところだ。


(ひと月分の食費じゃないか)


 さすがに決めかねて悩んでいると、店員がロッドの背後に向かって「いらっしゃいませ」と頭を下げた。


「やあ。頼んでおいたブーケを取りにきたんだが」


(ん? この声……)


 振り向けば、顔見知りの文官がにこにこしながら立っている。


「おや、ロッド君」

「ビュフォン先輩。おはようございます」


 同じ職場に勤める年かさの同僚だった。

 王立学院を卒業したての新人が、最初に配属される事務官房。

 要は、文官たちの使い走りをする末端の部署である。


 有望な新人は、大体一年以内に他の部署に引き抜かれていなくなる。


 入れ替わりの激しいその部署に、ビュフォンはかれこれ十年近くもいる古株だった。

 人当たりはいいが、十年経っても泣かず飛ばずの平文官。毒にも薬にもならない相手として、ロッドの重要人物リストからは早々に外れた男である。


「今日は君もエスコートかい? 恰好いいね。見違えたよ」


 そう言うビュフォンは、清潔ではあるものの、ややくたびれた礼服に身を包んでいた。


「ということは、先輩も?」


 ビュフォンはぱっと破顔する。

 

「そうなんだよ。何と、あのフェロ侯爵直々に、お孫さんのエスコート役を申しつかってね」

「それは……。おめでとうございます」


 微妙に間が空いたのは、件の令嬢の事情を知っていたからだ。

 フェロ侯爵の孫娘は、幼いころの落馬事故で、下半身が不自由だった。

 結婚しても子どもは望めず、リドリー嬢とは別な意味で不人気な令嬢である。


「ご本人はだいぶ前から修道院入りを望んでいたが、侯爵閣下がそれはあまりに不憫だと反対してね。せめてデビューくらいさせてやりたいと、今回お声をかけていただいたんだ」

「はあ」


(それは何とも奇特なことで)


 心中ひそかにつぶやいたところへ、店員が見事なブーケを抱えて現れた。

 どう見積もっても五万シル、下手をすれば七、八万シルくらいしそうな豪華さだ。

 おかげで、それを抱えたビュフォンの姿が、よけいくたびれてみすぼらしく見えた。


「それじゃ、お先に。王宮夜会でまた会おう」


 会釈してビュフォンを見送ったロッドは、自分も花屋を後にした。

 やはり、ブーケに四万など馬鹿げている。

 普通の花屋で半分も出せば、もっといい花束が買えるはずだ。

 

 ◇◇◇


 リドリー伯爵邸で来意を告げるやいなや、マルコム補佐官が飛び出してきた。

 外務大臣の嫡男にして、王立学院の大先輩である。


「ありがとう! おかげで妹もようやくデビューできる」

「こちらこそ、大事な妹君のエスコート役をお任せいただき光栄です」


 心にもないことを言いながら深々と頭を下げたロッドは、だから、気づかなかった。

 マルコムが、ロッドが抱えてきた花束を訝しげな視線を当てていたことに。


「……。妹の支度もそろそろ済むころだ。呼んでくるから待っていてくれ」


 玄関ホールで待つことしばし。二階からリドリー嬢のものらしき叫び声が聞こえてきた。


『嫌よ。デビュタントのエスコート役がよりによって平民だなんて!』


 ロッドの目が、すっと細くなる。

 そのまま、驚いた使用人たちが止めるのも構わず、二階への階段を駆け上った。

 その間も、マルコムとリドリー嬢のやりとりは続いている。

 

「仕方ないだろう。お父様も僕も手は尽くした。だが、初婚の貴族男性は誰もうんと言わなかったんだ!」

「だったらカメロン兄様は? 去年は引き受けてくださったのに!」

「カメロンは先週、赴任先のガザズに向けて出航した。ちなみに、どうせ訊かれるだろうから言っておくが、お父様と僕はこの後夜まで王宮で仕事、息子のデイヴィッドは今、おたふく風邪で寝込んでいてエスコートは無理だ」


 部屋の前に着いたとき、中からは途切れ途切れの泣き声が聞こえていた。

 ロッドを目にしたマルコムが、「申し訳ない」と頭を下げる。


「残念だが、この有様だ。せっかく来てもらったが、こうなっては今年のデビューも見送るしか……」

「いえ。お引き受けした以上、ちゃんとエスコートいたします」


 ロッドはきっぱり言い切ると、閉ざされたドアをにらみつけた。


(こっちにも、こっちの計画ってものがあるんだよ!)


 デビュタントでは、初めて社交界デビューする令嬢が国王に拝謁した後、会食を挟んで舞踏会がある。

 この舞踏会に、ロッドは何としてでも出たかった。

 それも、高位貴族の令嬢のエスコート役として。

 

 文官としての仕事中はともかく、夜会のような公式の場では、貴族から声をかけられない限り、平民ロッドは挨拶すらままならない。

 だがリドリー嬢は伯爵家の娘だから、同格以下の相手なら自分から声をかけられる。

 彼女に紹介してもらうことで、上位貴族との間に人脈を作る――。


(そうなれば、うだつの上がらない事務官房ともおさらばだ)

 

 それが、ロッドの目論見だった。


 ノックもそこそこに入室すれば、ベッドに突っ伏していた令嬢が、驚いたように顔を上げる。

 噂通りの肥満体だが、真っ赤に泣き腫らしたその顔は、美人とは決して言えないまでも、覚悟していたほどひどくはなかった。


「ロッド・ザイファート……?」

「ロッド・ザイファートです。初めまして、リドリー嬢」


 そう言うと、ロッドは持ってきたブーケをベッドサイドのテーブルに無造作に置いた。

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