22.残念令嬢、追跡される(後編)

 さかさかさかさか。

 ザッザッザッザッ。


 時は初夏。

 王都でも絶好の観光スポットのひとつ、リブリア公園で、異様な光景が展開されていた。


 一組の男女が、およそ散歩とは程遠いスピードで遊歩道を歩いていく。

 その後ろから、色とりどりのドレスを着た令嬢たちや、流行のスーツに身を包んだ若者たちが、散歩の体を装いつつも、やはり不自然な速さで追いすがる。


「先頭はバロワン男爵ご令嬢ミルフィーユ様、カバネル子爵ご令嬢ソフィア様、ダントン男爵ご令嬢ロザリー様。続きましてエマニュエル子爵ご令嬢イモラ様、ルブレ子爵ご次男アントン様……」


 よどみない口調で実況中継するのは、滑るような足取りで、私たちの三歩後からついてくるメリサである。


「おっと、ここで先頭のミルフィーユ嬢に異変が発生! 立ち止まって靴を脱いでいらっしゃいます。靴擦れでしょうか。アントン様が立ち止まり、どうやら介護に当たられるようです」

「……君の侍女はなかなか優秀だな、リドリー嬢」


 並んで歩くイサーク様が言った。

 

「恐れ入ります」


 と私。

 つくづく、ウォーキングを続けていてよかった。

 おかげで、今のところ、イサーク様のペースにも何とかついていけている。


「先頭変わりましてソフィア様。三位につけていたロザリー様はずるずる後退、後方集団に飲み込まれていきます。代わって追い上げてきたのはオーランド伯爵ご三男ジョージ様。イモラ様は堅実に三位をキープ……」


 この頃には、公園中の人たちが、何事かと私たちに注目していた。

 中には、木陰に立てたイーゼルをわざわざ沿道に移動して、スケッチを始める人もいる。


「ここでイモラ様がスパートをかけます。ジョージ様がすかさずイモラ様をエスコート。ソフィア様にぐんぐん迫り、今! 先頭に躍り出ました!」


 なぜか沿道から拍手と歓声が上がる。

 いやいや、これ別にレースじゃないから!

 ていうか、この調子だと、いつまで経ってもイサーク様と落ち着いて話なんてできないような……。


「これでは話どころではないな。どうしたものか……」


 イサーク様も同じ考えらしい。

 と、行く手の木立の間に、きらりと光る水面が見えた。

 リブリア河である。

 白鳥を模した小型のボートが、のんびりと川面を漂っている。


「グスマン様!」


 呼びかけてボートを指させば、イサーク様はにやりと笑った。


「いい考えだ」


◇◇◇


 貸しボートは二人乗りだったので、メリサは岸に残してきた。


 イサーク様がオールを操り、川の真ん中に漕ぎ出したあたりで、後続集団も続々とボートで川に出てき始めた。

 穏やかな川面が、またたく間に、赤やピンクや紫や、黄色やペパーミントグリーンなど、様々な色に塗られたボートに埋めつくされる。

 どのボートも、申し合わせたように漕ぎ手は男性、後部座席が女性である。

 あぶれた男女が何組か、川岸からうらめしげに見守る中、私たちのボートは流れに乗って、滑るように川下へと走りだした。


「さて、お訊ねの件についてだが――」


 ふう、と一息つくと、イサーク様はおもむろに切り出した。


「こちらでも少し調べてみた。結論から言うと、ファインズ伯爵の意匠登録に違法性はない。登録された意匠と同じ製品を作るのであれば、先に規定の使用料を支払い、すでに同様の製品を売ってしまった場合、その分の違約金が発生する」

「そんな!」


 元はといえば〈セルドール〉が作った物なのに……。


「残念ながら、法といえども完璧ではないのだ、リドリー嬢」


 イサーク様が諭すように言う。


「それに、〈セルドール〉が先に意匠登録を出したとしても、どのみち受理はされなかっただろう」

「えっ?」

「この国の法律では、意匠登録ができるのは、男爵以上の貴族だけだからだ」


 イアン・セルドールは平民、そこに嫁いだ子爵令嬢のフローレンス様も、今は平民扱いだ。


「セルドール氏については、少し前に叙爵の話が出ていたようだが、ファインズ伯爵から意匠権侵害の訴訟を起こされ、敗訴して白紙に戻されている」


 ということは、今後〈セルドール〉がいくら優れた製品を出しても、利益の大半はファインズ伯爵家に――あのジャネットの家に入ることになってしまう。

 ていうか、そんな未来が見えていて、イアンは今後も何かを作ろうなんていう気になるだろうか。

 真っ昼間からお酒を飲んでいたイアンの姿を思い出し、私は暗澹とした気分になった。


 何とか二人を助ける手立てはないものだろうか……。


 と、私が重いため息を落としたとき。


「パトリシア様――っ!」


 いやに聞き覚えのある甲高い声が、川面を渡って聞こえてきた。

 振り向けば、後続のボートたちが、かなり近くまで追いついてきている。

 先頭を走るレモンイエローのボートから、ハニーブロンドの髪の令嬢が大きく手を振っているのを見て、私は思わず「げげっ」と淑女レディらしからぬ声を上げてしまった。

 同時に、なぜかイサーク様まで盛大に嫌そうなため息をつく。


 ――ん?


「もしかして、グスマン様も彼女のことを……」

「もしや、リドリー嬢も彼女のことを……」


 ご存知ですか、と訊ねた声が見事に被った。


 イモラ・エマニュエル子爵令嬢。

 王立学院時代、私をいじめていた三人組の一人である。

 そして……


(そうだ。彼女はイサーク様の熱烈な追っかけだったっけ……)


 不意にボートの速度が上がった。

 見れば、イサーク様が鬼のような形相でオールを漕いでいる。


「申し訳ない、リドリー嬢。あのご令嬢とは金輪際、顔を合わせたくないのでね」


 私はぐっと右手の親指を立てた。


「奇遇ですわね。私もです」


 というわけで、トレーナー時代に培った掛け声とともに、私たちはボートのスピードをぐんぐん上げていった……。

 

 ◇◇◇


 そのころ。

 リブリア公園の遊歩道沿いで、一心不乱に絵筆を動かす男がいた。

 

 目の前のイーゼルには、緑滴る木立の中を駆け抜ける男女の絵が、躍動感あふれる筆致で描かれている。

 休みなく絵筆をふるいながら、男はしきりにぶつぶつとつぶやいていた。

 

精霊たちニュンパイの疾駆。いや、豊穣の女神デメテルの逃走のほうがいいか? だが『豊穣』というと秋のイメージがあるからな……」


 ウィリアム・ローズ・ワイト。

 後にケレスの宮廷画家として一世を風靡することになる彼の、運命を決めた一枚の絵は、この日見かけた一人の女性に着想を得て描かれた。

 緑の森を背景に走る、ギリシア風の衣装とサンダルを履いたその女性は、やがて彼の代表作となる「ふくよかな精霊ニュンペ」シリーズのモデルとして広く知られることになるのだが……。


 それはまだ先の話である。

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