21.残念令嬢、追跡される(前編)

 パトリシアのかつての同級生、フローレンス・シンクレア子爵令嬢が嫁いだ馬具工房〈セルドール〉。

 その主力商品である婦人用の鞍と、王宮騎士団制式馬具の一式が、ファインズ伯爵によって意匠登録されてしまった。

 そのせいで苦境に立たされた〈セルドール〉を何とか助けられないか、という話から、私は財務に明るそうな、ある人物を思い出したのだが――……。


「はい漕いでーっ、ヨー、ソイ! ヨー、ソイ! ヨー、ソイ!」


 毎度おなじみ、王都を流れるリブリア河。

 ――の、ど真ん中を一艘のボートが行く。

 船首に優美な白鳥の首がついた、二人乗りの遊覧ボートである。


 前世の観光地によくあるスワンボートは、ペダルのついた足漕ぎ式だが、この世界のボートは手漕ぎ式だ。

 私の正面、進行方向に背を向けて、鬼のような形相でオールを漕いでいるのは、財務大臣直轄、脱税・密輸取締局の筆頭捜査官、イサーク・グスマン様だった。


 向かい風に吹き散らされた髪を押さえて振り向けば、5、6メートル後方に、ピンクや黄色、紫色や水色の白鳥――と言っていいのかどうか、とにかく私たちのと同じ型の遊覧ボートが群れをなして追いすがってきている。


「頑張って、イサーク様! このままでは追いつかれてしまいますわ! はい漕いで! ヨー、ソイ! ヨー、ソイ! ヨー、ソイ!」


 トレーナー時代にしみついた癖で、めっちゃ景気よく掛け声を掛けながら、私はふと遠い目になった。


(一体どうして、こんなことになったんだっけ……)


 ◇◇◇


 財務関係に明るい知り合いということで、イサーク様の名前を出すと、カイル様は一瞬、微妙な顔をした。


「グスマン捜査官か。確かに適任かもしれないが……。彼は以前、君の婚約者候補だったのでは?」

「あら、よくご存知ですのね。その通りですわ」

 

 秒で断られたけどな!

 笑いをとるつもりでそう言ったら、カイル様はなぜか同情するように頷いた。


「まあ、あの〈鉄のマダム〉を攻略するのは、リドリー卿でも無理だったろうね」

「〈鉄のマダム〉?」

「知らなかった? グスマン捜査官には、歳の離れた姉君がいて、捜査官を溺愛してるって話」


 何でも、そのお姉さんという方がとんでもない女傑で、病床のグスマン侯爵に代わり、領地経営から王都の社交まで完璧にこなしているのだとか。

 イサーク様の交際相手にしても、そのお姉さんの厳しい審査を通らないと、デートすらままならないという。


「噂では、現王太子妃のレオノーラ様や、聖女ミリアも断られたことがあるんだとか」


 ほー。そりゃ、パトリシアが審査すら無しで落とされるわけだ。


「そういうわけだから、直接会って話を聞くのは難しいかもしれないね」

「でしたら、手紙を書きますわ」

 

 という経緯を経て、脱税・密輸取締局宛てにダメ元で手紙を送ったのが二日前。

 返事をいただければラッキー、無視されても仕方ないと思っていたのだが……。

 その日のうちに届いた返事は、意外にも、明後日の午後なら身体が空くので、リブリア公園を歩きながら詳しい話を伺いましょう、というものだった。


「まあっ! リブリア公園でお散歩? あのイケメン捜査官と?」


 野球のグローブのような両手の指を、二つに割れた顎の下で乙女な感じに組み合わせ、カミーユが嬉しそうに声を上げた。


「それで、それで? 当日はどんな格好で行くつもり?」


 そうなのだ。

 侯爵閣下のご嫡男と散歩、しかも人目の多い公園でとなると、さすがにスポーツウェアというわけにはいかない。


「実は、例のダークネイビーのデイドレスも、ロイヤルパープルのシュミーズドレスも、最近緩くなっちゃって。忙しいところ悪いんだけど、少しお直しして欲し……」


 と、私が言いかけるやいなや。


「はあっ? アナタまさか、そんな古着のリメイクでお出かけする気じゃないでしょうね? 冗談じゃないわ。ちょっとこっちにいらっしゃい!」


 問答無用で腕を掴まれ、どこからともなくしゅるしゅると現れた巻き尺で、あっという間に採寸が始まった。


「で、でも、カミーユはお父様の式典服と、シルヴィア様のイブニングドレスを最優先で仕立てなきゃ……」

「アタシを誰だと思ってるの。〈リュバン〉時代は王宮夜会のたびに、何十着ってドレスを仕立ててたのよ! それにね」


 カミーユが言うには、最近〈リュバン〉のお針子たちが、続々と店を辞めさせられて、カミーユを頼ってきているらしい。


「バスケスの奴、取り調べが忙しくて、店を開けるどころじゃないみたい。そんなわけで、人手なら足りてるから大丈夫よ」


 ――ということがあった二日後、イサーク様との約束の日。


 朝一番で届いたドレスは、ミッドナイトブルーの一枚布に、涼やかなスノーホワイトのシフォンを重ねたギリシア風のドレスだった。

 コルセットもパニエもいらない分、動きやすいし涼しそうだ。

 おまけに足もとはグラディエータースタイルの革サンダルで、長く歩いても足に負担がかからない。

 さすがはカミーユ。汗っかきの私に、救世主みたいなドレスを作ってくれた。

 と、私が能天気に喜んでいたら。

 

 これを見たメリサとアトキンス夫人に、突然変なスイッチが入ったらしい。


「せっかくですから、おぐしも少し華やかな感じにいたしましょう」

「最近はお肌の調子も良いようですから、少しお色をのせましょうか」

 

 いやいや、そんな気合を入れなくても、今日は捜査官のお知恵を借りにいくだけだし、必要な話が済んだらすぐに退散するし、第一体重70kg台後半の残念令嬢パトリシアがどうめかしこんだところで……という私の声はことごとく無視された。


 待ち合わせ場所の公園までは、リドリー伯爵家の馬車で行く。

 22歳の年増であっても、パトリシアは未婚女性なので、侍女のメリサが付き添いシャペロンとして同行する。


 ――とまあ、ここまではいい。

 問題が発生したのは、公園でイサーク様と落ち合った後である。


 ◇◇◇


 今日のイサーク様は、淡いベージュのスーツに黒紫のベスト、それよりやや明るい紫のポケットチーフといういでたちだった。

 さすがイケメン、何を着ても様になる。

  

「こんにちは。リドリー嬢」

「グスマン様。お忙しいところ、お呼び立てしてしまってすみません」

「いえ。お手紙の内容からして、直接やりとりしたほうが話が早そうでしたので」


 と、いたってビジネスライクな挨拶を交わした場所は、リブリア公園の遊歩道。

 緑溢れる敷地のあちこちに、やはり散歩に来たらしい紳士淑女の姿が見える。

 ピクニックだろうか。芝生に広げたブランケットに座り、楽しそうに笑っている令嬢たち。木陰にイーゼルを立てて、写生に励む画家らしき人たち。


 ――異変に気がついたのは、歩き始めてしばらく経ったときだった。


 視野の隅を何かがかすめたような気がして、何の気なしに振り向いた私は、いつの間にか自分たちの後ろに、着飾った若い男女の長い列ができているのを見て、腰を抜かしそうになった。

 ひえっ、と息を呑む私の横で、イサーク様が苦虫を噛み潰したような顔になる。


「まずいな。場所の選定を誤ったか」

「グスマン様。これは一体……」

「…………」


 気まずそうに黙り込むイサーク様。

 と、目立たないように後ろに控えていたメリサが、すっと寄ってきて耳打ちした。


「おそらくですが、グスマン閣下とお近づきになりたい皆様ではないかと」

「なるほど」


 貴族社会で生き抜くためには、人脈の太さがものを言う。

 女性なら、力のある相手に嫁ぐことで。

 男性なら、力のある相手に仕えることで。

 社交界の厳しい生存競争を生き抜く確率が上がるのだ。 


「今のところ、グスマン閣下に釣り合う家柄の方はいらっしゃらないようです。なので、ああして閣下からのお声掛けを待っているのかと」


 この国の宮廷作法として、下位の貴族は上位の貴族に自分から話しかけてはならないというルールがある。

 イサーク様は、この国に五つしかない侯爵家のご嫡男。

 彼より先に話していいのは、侯爵家か、侯爵家と同格の辺境伯家、そして公爵家と王族だけだ。


 ――ん?


 てことは、伯爵家の出身なら、イサーク様に直接は無理でも、私には話しかけられるんじゃ……。

 イサーク様も同じことに気づいたらしい。


「申し訳ないが、少々足を早めてもよろしいか」

「望むところでございます」


 幸い、今日のデイドレスはコルセットもパニエもなしの一枚布だ。足元もぺたんこサンダルで、歩幅を開くのに何の支障もない。


「では」


 互いに目と目を見交わすと、私たちは同時に歩くスピードを上げた。

 一拍遅れて、後続の集団もピッチを上げる。


 こうして、緑したたるリブリア公園で、前代未聞の追いかけっこが始まった。

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