19.残念令嬢とブランドショップ

 シルヴィア嬢の紹介で、ブルクナー家ご贔屓の馬具屋にやってきた私。

 だが目当ての店は、王都の中でもとびきりのお洒落スポットに聳え立つ、超ハイブランドなショップだった――。


 そんな場所に、首にはタオル、肩からスポドリ斜め掛けというくっそカジュアルなスポーツウェアで来てしまった私は、秒で尻尾を巻いて逃げ出そうとしたのだが……。


「パトリシア様?」


 聞き覚えのある声に、反射的に身体が凍りついた。

 嫌がる首を無理やり動かして振り向けば、一人の令嬢が目に入る。

 オレンジブロンドの髪に尖った顎。全体的に小ぶりなその姿は――。


「……ジャネット様」


 ずん、と胃袋が沈みこむような感覚とともに〈パトリシア〉の記憶がよみがえる。

 ジャネット・ファインズ。

 ファインズ伯爵家の令嬢で、王立学院時代の同級生。

 そして、入学直後から卒業まで、パトリシアを執拗にいじめ抜いたグループの一員だった。


 ◇◇◇


 入学初日に「でぶ」と言われて人前で盛大に泣きわめき、慰めてくれたクラスメイトを顎でこきつかう、という、どこをどう見てもダメダメなムーブをかましたパトリシアは、即座にクラスでハブられた。

 さらに、学期始めのテストでは学年最下位、マナーやダンスの授業でも次々に醜態を晒すにいたって、クラスメイトたちのパトリシアに対する態度は、おおむね「無視」か「いじめ」に二分された。


 育ちが良く、頭の出来も性格もそれなりにできた生徒たちは、はなからパトリシアなど相手にせず、特にいじめもしない代わり、積極的に助けもしなかった。

 それより一段頭の出来も家柄も劣る子どもたちは、なまじ大事に育てられ、いじめに耐性のなかったパトリシアが反撃してこないのをいいことに、彼女を体のいい餌食サンドバッグとして扱った。

 中でも三人の令嬢たち――それぞれハニーブロンド、ストロベリーブロンド、オレンジブロンドの髪を持つ少女たちは、それはそれは陰湿かつ執拗に、パトリシアをいたぶり続けたものだ。


 学院時代、パトリシアが感じたストレスの大半は、彼女たちによるものだといっていい。

 

 つまり、この身体についた余分なお肉の三分の一くらいは、目の前のオレンジ頭のせいなのだ。


 ◇◇◇


 ……などという私の内心など知る由もないジャネットは、獲物を見つけたハイエナのように舌なめずりしながら近づいてきた。

 

「お久しぶりねえ。お元気でした? 何でも、先日はまた婚約相手の方に逃げられたとか。私たち皆、パトリシア様は今頃どうされてるかしらって心配してましたのよ」

「…………」


 小柄で痩せぎす。いつもストロベリーブロンドの少女の陰からこちらを見ていた小ネズミのような少女は、成人した今、それなりにお金のかかった緑のドレスに、見るからに高そうなジュエリーをあちこちにつけていた。

 昼間にしては濃い化粧メイク。重ねづけした白粉おしろいの下の肌は、年齢より大分老けている。

 私が返事をしないでいると、ジャネットは焦れてきたのだろう。これまたネズミを思わせる黒い瞳を尖らせた。


「ちょっと! こっちが話しかけてるんだから、返事くらいしなさいよ」


 私はふっと笑みを漏らす。

 可哀そうなパトリシア。三年間も、こんなつまらない子にビビり散らかしていたなんて。

〈私〉の目に映るジャネットは、かつてパトリシアが怖れていたような強い子でも不気味な子でもなかった。彼女もまた、いつ自分がいじめられる側に回るか戦々恐々としながら、強い子に必死でへつらっていたのだ。

 ジャネットがまだ何か言っている。


「大体何なの、その妙なドレス! そんなみっともない恰好で、うちの店の前をうろつかないでくれる?」


 ――ん? 


 私は、改めて目の前のセレブなブランドショップに目をやった。

 赤大理石のエントランスには、金文字で店名が刻まれた黒いプレートが埋め込まれている。


 〈セルドール ファインズ〉


「ええ、そうよ。倒産寸前だった馬具工房の〈セルドール〉を、うちの父が買い取ったの。おかげで、少し前まで革臭くてダサかったお店が、このとおり華麗に生まれ変わったってわけ。何たって、あのカイル・ブルクナー様お気に入りの店ですもの。それに恥じない店構えにしなくちゃね」


 そういえば、ジャネットは在学中からカイル様の熱烈なファンだったっけ。

 そんなことを思い出しながら、私はやれやれと肩をすくめた。

 教えてくれたシルヴィア様には悪いけど、私が探しているのは、こんな宝石ギラギラの気取りまくった店じゃない。

 もっとこう、庶民的というか、気軽に商品を手に取れるような……。


 カツカツという軽快な蹄の音が街路を近づいてきたかと思うと、見事な鹿毛の大きな馬が私たちのそばで立ち止まった。


「やあ、リドリー嬢。店の場所はちゃんとわかったかい?」

 

 ひらりと舗道に降り立った人を見て、ジャネットが悲鳴のような声を上げる。


「カカカ、カイル様っ!?」

「その恰好、遠くからでもすぐわかったよ。今日も鍛錬かい? 熱心だね」


 カイル様は、ジャネットの存在などまったく意に介さない様子で、さっと私にエスコートの腕を差し出した。


「妹が、君に〈セルドール〉を紹介したと聞いてね。君さえ良ければ、一緒に見て回ってもいいだろうか」


 ジャネットが黒い目を驚愕に見開き、私とカイル様を等分に見比べる。


「ああっ、あのあの、カ、カイル様は、パトリシア様とはお知り合いで……?」


 私はスポーツウェアの裾をつまみ、カイル様に丁寧にお辞儀した。

 

「ありがとうございます。ですけど、こちらのお店は、私などにはちょっと高級すぎて……」

「そそっ、そんなことは全っ然! ございませんわ! ささ、お二人ともどうぞお入りになって!」

 

 ジャネットがエントランスの階段を駆け上がり、ドアを大きく開け放つ。

 だが、カイル様は私の手を取ると、店には向かわず、横手の路地を指さした。


「心配ないよ。父も僕もこんな仰々しい店は嫌いだ。本来の〈セルドール〉は、知り合いの職人が作った小さな店だった。店舗はファインズが買い取ったようだが、工房はまだこの裏にあるんだ。ちょっとわかりにくい場所だから、よければ僕が案内するよ」


 なるほど。そういうことなら……。


「ぜひ、お願いいたしますわ」


 そう言うと、私はありがたく、カイル様の腕に手を置かせていただいた。

 ジャネットに向けて、胸の中だけでこっそり舌を出しながら。

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