18.残念令嬢とトレーニングギア
「お嬢様の今朝の体重は……174ポンドと21オンスでございます」
「っしゃあっ!」
メリサの声に、思わずガッツポーズする。174ポンドは約79kg。ついに80キロを切ったのだ。
(見た目はまだまだでぶだけど……)
ドロワーズのウエストにこぶしが入るようになった。
ウォーキングの効果が出てきたのか、足首も細くなってきた。
何より嬉しいのは、ここ数日でめきめき運動慣れしてきたことだ。
最初は10秒もキツかったプランクが、30秒までなら姿勢をキープできるようになった。
両脚を使ってのカーフレイズが、壁に手をつかなくてもできるようになった。
目を閉じての片足立ちも、左右どちらも30秒以上立っていられるようになった。ボケの心配がなくなって一安心である(※「9.残念令嬢、再び計量する」)。
「……となると、そろそろ
ダンベルは水を入れたワインボトルで、ベンチは椅子で代用できるが、他にも欲しいものがある。
特に――。
「いい感じの輪っかと紐が欲しいわ……」
前世で私が大好きだったトレーニングに、吊り輪のようなギアを使う種目がある。
天井から下がった二つの輪っかを両手でつかんで斜め懸垂をしたり、両足を通してプランクしたり。
身体の一部が宙に浮いた不安定な状態を自力で安定させることで、体幹やバランス能力を効率的に鍛えられるのだ。
「輪っかと紐、でございますか?」
「そう。手首や足首が入るサイズの輪っかと……なければ、頑丈なロープだけでもいいんだけど」
手足を通す輪の部分は、天井から吊るしたロープの先を結んで輪っかにすれば、代用できるかもしれない。
「ロープでしたら、お庭の物置にあるかと存じますが……」
とメリサが言うので、早速行ってみることにした。
◇◇◇
わざわざ出てらっしゃらなくても、部屋までお持ちしますのに、と渋るメリサを「まあまあ」となだめて物置まで来たのにはわけがある。
せっかくギアができても、天井から吊るせなければ意味がないのだ。
シャンデリアの金具があれば吊るせるかもしれないが、あいにく我が家の照明器具は、すべて壁掛け式のランプである。
その点、物置のような実用本位の小屋ならば、
「やっぱり! 梁がむき出しだわ!」
私は歓声を上げた。
天井を通る頑丈な梁があれば、長いロープを引っかけられる。
「――で、これをこうしてこう!」
ロープの端にひとつ輪っかを作る。結ぶときに失敗して、ちょっと大きくなっちゃったけど、その分は残りのロープの長さを短くすれば問題なし。
梁に梯子を立てかけて、即席のギアを梁に引っ掛ける。
反対側の輪っかは、高さを決めてから作るつもりだ。
まずは斜め懸垂を試すつもりで、梯子の上からロープの高さを調整していたら、物置小屋の入口に、お父様がひょっこり顔を出した。
「パトリシア。そろそろ朝食の時間だぞ。こんなところで何をして……っ!」
声を呑んだお父様の顔が、みるみる蒼白になっていく。
「おおおお落ち着くんだ、パトリシア! いいか、落ち着け。そのままだ、そのまま。何があったか知らないが、早まるんじゃないぞ……」
……あ。
私は、改めて自分の姿を見下した。
手には片側を輪にしたロープ。それも、ちょうど頭が通るくらいの大きさの。
ロープの端は梁にかかり、私は梯子にのっており――……。
「ちっ、違いますわ、お父様! これはお父様が思うようなことでは全然なくて……っ」
違うんですのよ――っ!
という私の絶叫は、本館の食堂まで聞こえたらしい。
そう、後からピアースが教えてくれた。
◇◇◇
「――というようなことがありまして」
私の話に、シルヴィア様は「まあ!」と榛色の目を見張り、鈴を転がすように笑い出した。
「それは、リドリー閣下もさぞ驚かれたことでしょうね」
カミーユのドレスを贈って以来、シルヴィア様はしょっちゅう我が家に遊びに来るようになった。
まだ十二歳の妹を心配してか、そういう時は、兄のカイル様も必ず一緒に来るけれど、客間に足を踏み入れたのは初回だけ。今は毎回、門前までで引き返しているそうだ。
何でも、一度は私との婚姻話を断ったのに、今さら足しげく通ってくるのはいかがなものか。と、お父様にやんわり嫌味を言われたらしい。
「断ったのはお母様で、当時、お父様と遠征に出ていたお兄様は、そういう話があったこと自体、全然知らなかったそうですけれど」
あー……。まあ、お母様的には、こんなのが息子の嫁なんて絶対無理って思いますよねー……。
ひそかに納得する私をよそに、シルヴィア様は「それで?」と目を輝かせた。
「パトリシア様が作ろうとした鍛錬器具は、本当はどんなものですの?」
私は紙にさらさらとトレーニングギアの絵を描いてみせた。
二股になった長いストリングの先に、手や足を入れるための輪がついている。
もう一方の端には、専用の金具に引っ掛けるためのカラビナがついていたけれど、こっちの世界では鉤みたいなもので十分代用できるだろう。
「紐のところは、本当はベルトになってるといいんですよね。長さが調節できますから。あと、この輪っかは、手でつかんだり足首をのせたりするので、半円形がベストです」
シルヴィア様は、私が半円形に描き直した絵をしばらくじっと見ていたが、やがて何かを思いついたように顔を上げた。
「これって
「鐙……」
「そうですわ。それに、この長い紐部分は、馬具のベルトを改造すれば作れそうな気がしません?」
「! 言われてみれば、確かに!」
さすがは騎士団長のお嬢さんだ。そして、若い子の頭の柔軟なこと。
「でしたら、うちの父や兄が贔屓にしている馬具屋がありますの。よろしければ、パトリシア様にご紹介するよう、お兄様に頼んでおきましょうか?」
という経緯を経て、翌日、私はいそいそと教えられた場所に行ったのだが……。
◇◇◇
王都を流れるリブリア河の西岸。
街路の白い石畳に、等間隔に植えられた並木の木漏れ日が美しく揺れる。
艶やかなドレスが飾られたブティックや、重厚なドアの前に門衛が立っている宝飾店。ドレスアップした紳士淑女がうふふおほほとさんざめくオープンカフェ。
そこは、王都の中でもとびきりのおしゃれスポットのど真ん中だった。
珍しい赤い大理石で作られた三階建て。
磨き抜かれたショーウィンドウに展示されているのは、黒光りする上等な革に宝石をちりばめた鞍や手綱。下手なドレスより
ですよねー……。
いやしくも、騎士団長様の御一家が御用達にするお店だもんねー。
「馬具屋」と聞いて、勝手にそこらのスポーツショップを想像した私が馬鹿だった。
考えてみたら、あの超ハイブランドのエル〇スだって、元は馬具の店だったもんね?
どうしよう。
間違っても、ウォーキング中にふらっと立ち寄れる店じゃない。
そう。お察しのとおり、今日の私はまたまたコットンのスポーツウェアに、スポドリの水筒を斜めがけした姿なのだ!
(出直そう)
私は秒で決断し、太った身体が許すかぎり素早くターンを決めた。
決めた、のだけど。
その私の背後から、「パトリシア様?」と誰かが声をかけてきた――。
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