12.残念令嬢、プレゼンする
肉は筋肉の材料となる重要なタンパク源だ。
痩せたいからといって、やみくもに肉食を制限すると、動物性タンパクが不足して筋肉が減ってしまい、基礎代謝が下がって太りやすくなる。
また、肉を食べない人は、甘いものを食べ過ぎる傾向がある。
タンパク質が不足することで、身体が手っ取り早くエネルギーに変換できる栄養素――つまり糖分を欲しがるようになるからだ。
というわけで、毎食のメニューに積極的に肉を取り入れた結果、パトリシアとして覚醒した当初90kgあった体重は、一ヶ月後の今、82kgまで落ちていた。
(見た目はまだまだでぶだけど……)
カミーユに注文していたトレーニングウェアも届いたことだし、そろそろ本腰を入れて、運動量も増やそうか。
などと考えながら、毎朝恒例のストレッチを終え、身支度を整えて食堂に行くと、いつもは私一人だけの食卓に、二人分の食器がセットされていた。
「おはようございます、お嬢様。今朝は旦那様も朝食をご一緒されるそうです」
執事のピアースが教えてくれる。
「あら、珍しい」
そうなのだ。
外務大臣のお父様は、仕事が忙しいこともあり、同じ家に住んでいながら、ほぼ別居も同然の状態だった。
というか、前に会ったのが、ロッドとの婚約破棄の話をした時だから、実に一ヶ月も顔を見なかったことになる。
……まあ、我が家はもともと親子関係が希薄というか、パトリシアって、家族の中でも持て余されてる感じだしねえ。
「旦那様。おはようございます」
ピアースの声に振り向けば、上等だが古びたグレーのスーツに身を包んだお父様が、食堂に入ってくるところだった。
私は椅子から立ち上がり、膝を軽く曲げて会釈する。
「おはようございます、お父様」
……体幹がまだよわよわで、姿勢を戻すときによろけてしまったのはご愛嬌だ。
「あ? ああ。おはよう……パトリシア」
お父様は面食らったように挨拶を返すと、不思議そうに食卓を見渡した。
まるで、そこにあるはずの何かを探すように。
そこへ、コックのジョーンズ夫人とパーラーメイドのシャーロットが、ワゴンを押してやってきた。
「今朝のメニューはローストビーフとサラダ、スープは鶉
ジョーンズ夫人の説明に、お父様は無言で食べ始めたけれど、私はいつものように感想を言うのを忘れない。
「今日のお料理も最高に美味しいわ。ローストビーフは脂身の少ない赤身の部位なのに、舌の上でとろけるようだし、コンソメはとってもやさしい味わいね!」
「恐れ入ります。食後の果物は今年最後のサクランボと、出始めの桃がありますが……」
「そうね。両方少しずついただける?」
楽しそうにやりとりする私たちを、お父様が目を皿のようにして見つめている。
「あー……、パトリシア?」
「はい、お父様」
「その、いつものアレはいらないのか? ココアとか、ケーキとか……」
「スイーツは食事の代わりにはなりませんもの」
私はこともなげに言い、ジョーンズ夫人に向き直る。
「その服、やっと届いたのね。とても素敵よ。着心地はどう?」
「ありがとうございます。おかげさまで重宝しております」
嬉しそうに頬を染めるジョーンズ夫人は、前世でいうところのシェフコートによく似たクリーム色の上下を着ていた。
私がカミーユに注文したものだ。
Aラインのシルエットは、ボリューミーなジョーンズ夫人の下半身をうまくカバーし、ぱっと目を引くオレンジ色のボウタイは、ジョーンズ夫人の肌色によく映えていた。
「パ……、パトリシア?」
「何でしょう、お父様?」
「私の聞き違いでなければ、今の言葉は、おまえがジョーンズ夫人に服を贈ったように受け取れるのだが?」
「ええ。毎日おいしいご飯を作ってくれる彼女への、私からの感謝の気持ちですわ。こんなに素晴らしい料理人にお仕着せも支給しないなんて、不公平もいいところですもの」
ピアースに聞いて知ったのだが、人前に出ることの多い執事や従僕、メイドたちには、主家から毎年二着ずつお仕着せが配られるそうだ。
だが、普通は厨房にこもりきりの料理人にはお仕着せがないのが一般的だ。
我が屋では例外的にジョーンズ夫人も給仕をするが、それは合理主義のお父様が余分な使用人を雇っていないせい。
だとしたら、彼女にもお仕着せがあっていいのではないか……。
私の理屈に、お父様は「まあ、そうかもしれないが」と口ごもった。
「しかし、お仕着せにしては、その、何というか……あまり見ない
「ええ! そのことなのですけれど」
よくぞ聞いてくれました! とばかりに、私はこの服がいかに優れモノなのか
ダブルになった前身頃が、左右どちらを前にしても着られるようになっているのは、布を二重にすることで、火傷や油跳ねから身を守るとともに、ボタンを外して左右の打ち合わせを変えれば、すぐに清潔な姿で給仕にも出られる工夫である。
袖丈をわざと長くしたのは、熱くなった鍋の取っ手やお皿をつかむとき、伸ばした袖口を鍋つかみの代用にできるから。
オレンジ色のボウタイは、ドレスのアクセントであると同時に、汗拭きとしても使えるように、吸水性のいい木綿でできている……。
……とまあ、これらは全部、前世のジムに腰痛のマッサージを受けに来ていたレストランのシェフの受け売りなのだが。
カミーユにこれを教えたら、「あら、いいじゃない」と二つ返事で作ってくれた。
「そ、そうか。なるほど。その服が便利なことはよくわかった」
やや引き気味に頷くお父様。
私は、チャンスとばかりにたたみかける。
「それだけじゃありませんの。お父様、私の今日のドレス、どう思われますか?」
今日の私の装いは、例のダークネイビーのデイドレス――ではなくて。
艶やかなロイヤルパープルのシュミーズドレス。バストのすぐ下の切り替えから、スカートが直線的にすっと落ちていくエンパイアスタイルだ。ルーズな着心地で動きやすい上、縦長ラインが強調されて、着やせ効果も期待できる。
実はこれ、カルヴィーノ商会の倉庫で見つけた古着のリメイクなのだが、カミーユにかかればこのとおりだ。
お父様の目許がふと優しくなった。
「ああ。上品で、とてもよく似合っているよ。いつもの服よりずっといい」
っしゃああっ!
私は内心、ガッツボーズを決めながら、何食わぬ顔でこう続ける。
「実は最近、とってもセンスのいい
「…………!」
お父様は、無言でカッと目を見開いた。
と思ったら、ナプキンを置いてよろよろと立ち上がる。
「ピアース?」
「はい、旦那様」
「寝室に戻る。どうも、今日はひどい寝不足のようだ」
起きたまま夢を見るくらいだからな……とつぶやきながら、お父様は、おぼつかない足取りで食堂を出ていった。
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