10.残念令嬢と縦ロール(前編)

 念願だった体重計、もとい台秤をゲットし、内心ほくほくしながら帰路に就こうとした矢先。

 階下のフロアが、にわかに騒がしくなった。

 人々の悲鳴に、入り乱れる足音。立て続けに何かが倒れる音。

  

「ええい、お放し! 今からこのスットコドッコイをぎったんぎったんにしてやるんだから!」


 喧噪をついて、ドスのきいたオネエ言葉が響き渡る。


「ちょ、落ち着いてください、カミーユさん!」

「シャ――ッ! おどき! 邪魔するならアンタもぶっとばすわよっ!」

「ひいっ!」

「……すまん。どうやら俺の出番のようだ」


 オフィスのドアまで私を送ってきたダリオが、うんざり顔でため息をついた。

 

「気にしないで。どうせ私たちも帰るところだし」


 ロフトのように突き出した二階の通路から見下せば、人や物でごった返す倉庫の中に、ぽかりと空間ができている。

 色も形も様々な布地が散乱する中で、崩れ落ちた古着の山に、うつぶせに倒れた誰かの顔をぎゅうぎゅう押しつけているのは――……。


「カミーユ! そこまでだ」


 ダリオの声に振り向いたのは、ピンクブロンドのゴージャスな縦ロールに、ショッキングピンクのドレスをまとったマッチョな髭面男性だった。


 ◇◇◇


 縦ロールの髭マッチョはカミーユ。

 古着の山で窒息寸前だったところを助け出された男は、王都で仕立て屋を営むバスケスと名乗った。

 

「……って、バスケス?〈メゾン・ド・リュバンリボンの家〉の?」

「何だ、嬢ちゃんの知り合いか」

「知り合いというか……」


 パトリシアお気に入りのブティックのオーナーだ。

 例のロリふわドレスも靴も、すべて彼の店で仕立てたものである。


「毎度ご贔屓にあずかりまして……」


 先ほどの騒ぎで大分ヨレヨレになりつつも、バスケスは丁寧に頭を下げた。


 再びダリオのオフィスである。

 応接セットにダリオとバスケス、そして何となく帰りそびれた私が座り、背後にメリサが控えている。

 騒ぎの張本人であるカミーユは、今はおとなしく膝を抱えて床に座っていたが、どういうわけか、さっきから、やけに私のほうばかりちらちら見ているようだった。

 

「で? 何だって俺の店先で、あんな騒ぎを起こしてくれたんだ?」


 ダリオの問いに、カミーユは「聞いてよ。ひどい話なのよ!」と目を怒らせた。


「アタシ、こいつに二度もめられたの!」


 ◇◇◇


 数年前まで、カミーユは、バスケスの店で働いていた。

 十五の時にお針子としてバスケスに雇われたカミーユは、もともと才能があったのだろう、またたくまに店内一の裁断師クチュリエに躍り出た。

 彼が手がけたドレスは、高位貴族はもちろん、王族の女性の間でも引っ張りだこの人気になる。

 けれどもバスケスは決してカミーユを表に出さず、彼の作ったドレスはすべて自分の作品として発表していた。

 そればかりか、デザインから縫製まですべて手掛けるカミーユに対し、末端のお針子レベルの賃金しか支払わずに何年もこき使っていたのだ。


「あのころはアタシも世間知らずでねえ。てっきり、そんなもんだとばかり思ってたんだけど……」

 

 ふとしたことで、自らの不当な扱いを知ったカミーユは、バスケスに正規の賃金を要求するが、バスケスは待遇を改善するどころか、カミーユが店の金を横領したとして、店を馘にしてしまう。

 しかも、王都の主だったブティックに横領の噂を流したせいで、カミーユはどこにも雇ってもらえなくなってしまった。


「で、仕方なく、しばらくは割のいい傭兵稼業をやりながら、再出発の機会を狙ってたんだけど……」


 ようやくまとまった資金が貯まり、王都のはずれで細々と平民相手の店を始めたカミーユに、大きなチャンスが巡ってくる。


「去年の秋のことだったわ。傭兵時代の仲間の伝手で、ブルクナー騎士団長のお嬢様の服を仕立ててみないかって話がきたの」


 ブルクナー騎士団長といえば、厳しくも公正な人柄と数々の武勲で、国王陛下の覚えもめでたい重臣の一人だ。

 注文内容はデイドレス。

 これが気に入ってもらえれば、今度こそ自分の名前で貴族たちから注文を取れるかもしれない。

 カミーユは奮起した。

 最上等の布地を何色も仕入れ、何パターンものレースや美しいボタンを用意して、ブルクナー家の領地に向かった。

 その年の社交シーズンはすでに終わり、一家は王都から領地の屋敷マナーハウスに移っていたからだ。

 

「お嬢様のお部屋はこちらです」


 カミーユが採寸に訪れたその日、ブルクナー邸は大勢の来客で賑わっていた。

 何でも、騎士団長と親しい伯爵の一家が泊まりがけで遊びに来ているそうで、屋敷の廊下は主家と来客の使用人でごった返している。

 そんな中、私室で待っていたブルクナー家の令嬢は、カミーユを見るなり思い切り顔をしかめた。


「お前は誰? どうしていつもの子じゃないの」

「カミーユと申します。このたび、初めてご注文をいただきました」

「聞いてないわ、そんなこと。お前、〈メゾン・ド・リュバン〉の者じゃないの?」


〈メゾン・ド・リュバン〉。

 それはにっくきバスケスのブティックだ。

 反射的に「違います」と言いかけたカミーユは、だが、すんでのところで思いとどまった。

 目の前の令嬢は、どうやらバスケスの店がお気に入りのようだ。違うと言えば、注文がふいになるかもしれない。


「――長年、〈リュバン〉で腕を磨いてまいりました」


 これなら、嘘をついたことにはならない。

 そう自分に言い訳しながら、カミーユはまだ不満そうな令嬢の採寸に取り掛かった。


(バスケスなんか……アイツなんか、足元にも及ばないドレスを作ってやる)


 彼女の肌が最高に映える色合いで。

 彼女が最も美しく見えるデザインのドレスを。


 丹念な採寸と、しつこいくらい念入りな色合わせ。

 しまいに令嬢から「もう疲れたわ。いい加減に出ておいき!」と部屋を追い出されるまで粘り、王都に戻って一ヶ月――。

 夜を日についで縫い上げたドレスは、我ながら会心の出来映えだった。


「おお、何度も足を運ばせてすまないな」


 再びマナーハウスを訪れたカミーユは、早速居間に通された。

 そこでは、ブルクナー騎士団長とその奥方、そしてあの令嬢の妹だろう、十歳くらいの愛らしい少女が寛いでいる。


「クラウスの話では、無名ながら大した腕前だとか。娘もたいそう楽しみにしておったぞ」

「恐れ入ります」


 自分を紹介してくれた傭兵仲間に心の中で感謝しつつ、カミーユはうやうやしくドレスの箱を差し出した。


「こちらが、今回ご注文いただいたドレスでございます」

「嬉しい! どうもありがとう!」


 飛びつくように箱を受け取ったのは、だが、騎士団長のそばにいた十歳くらいの少女だった。


(あらら、困ったわ。次はこっちのお嬢ちゃんにも、とびきりのドレスを作ってあげなきゃね)


 微笑ましく思いながら、カミーユは少女に頭を下げた。

 

「申し訳ありません。こちらはお嬢さまではなく、お姉さまのドレスでして……」

「……え?」

「……は?」


 一瞬、奇妙な間があった。

 やがて、騎士団長がゆっくりと口を開く。


「何やら考え違いをしておるようだな。このシルヴィアに姉などおらぬぞ」


 カミーユの全身から音を立てて血の気が引いた。

 自分が何かとんでもない間違いを……それも、致命的な間違いを犯したと悟った瞬間だった。

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