9.残念令嬢、再び計量する
「うわっ。私の身体、ヤバすぎ……?」
私は、思わず自分の口を押さえてつぶやいた。
前世のジムの体力テストを、一通りやってみたところだ。
たとえば、目を閉じた状態での片足立ち。
健康な人なら、中高年でも10秒以上は立っていられるはずなのに、今の私は3秒ももたずに足をついてしまう。
極端な運動不足で、筋力はおろか、脳のバランス機能まで衰えている証拠である。
放っておけば、肉体年齢も脳年齢もどんどん老いていってしまう。
実際、過去のパトリシアは、自分に都合の悪い記憶が曖昧だったり、周りが見えていなかったり、すぐに感情的になったりと、脳の機能が落ち始めた老人のような振る舞いが多々あった。
いやいやいやいや。
駄目でしょ、これは。
てなわけで、まずはカーフレイズである。
カーフレイズは、いわゆる踵上げ。両脚を肩幅に開いて立ち、両足の踵を上げ下げすることで、
運動経験のない初心者でも、気軽にできるお勧め種目だ。
さらにこの種目のいいところは、足裏のトレーニングにもなることだ。
安定して地面を踏める足の裏は、すべての動作の基本である。
足裏といえばもうひとつ。足指のエクササイズもはずせない。
椅子に座り、床に広げたタオルを足指を使って引き寄せるタオルギャザー。
両足の指でグー、チョキ、パーを作る両足じゃんけん。
どちらも手軽にできるのに、続けていけば絶大な効果が見込める種目である。
本音を言えば、もっと本格的なエクササイズもやりたいとこだけど……。
「ロリータ服じゃ、腕立ても腹筋もできないもんねえ……」
そうなのだ。パトリシアの持っている服は――例のネイビーのドレス以外――どれもロリロリふわふわで、運動向きとは到底言えなかった。
仕方がないので、今はリネンの
「せめて、もう少し伸縮性があればねえ……」
ため息をついてひとりごちた時、ドアをノックしてメリサが現れた。
「お嬢様。お出かけになるのでしたら、そろそろお支度をなさいませんと」
「あらやだ。もうそんな時間?」
ダリオの突然の訪問から二週間。
前回借りたのと同じ秤が欲しい、という私の要望に、ダリオは、
「あれは取り寄せ品だから、注文して届いたら連絡する」
と言い残して帰っていった。
その連絡があったのが昨日の夕方。
何でも、試しにいろいろ取り寄せたので、店に直接見に来てほしいという。
「まったく、これだから余所者は! たかが商人の分際で、お嬢様を呼びつけるなど、礼儀知らずにもほどがある。本来ならば、向こうから品物を持って出向くべきでしょうに」
ピアースはぷりぷり怒っていたけれど、私は別に気にしない。
むしろ、久しぶりに外に出る用事ができて大満足だ。
「ですが、旦那様はお嬢様に屋敷を出てはならないと……」
「あら、夜会や茶会は控えるようにと言われたけれど、外出までは禁じられてなかったはずよ?」
「…………」
というわけで、湯浴みして身支度を整えた私は、再び馬車に揺られていた。
今日の装いも、例によってあのネイビーのデイドレスだ。
「たまには他の服もお召しになっては……」
アトキンス夫人などは渋い顔をするけれど、デザインも着心地も、これに勝る服がないのだから仕方ない。
教えられたダリオの店は、王都を貫いて流れるリブリア河畔、レンガ造りの倉庫が立ち並ぶ一画にあった。
というか、正確には、倉庫のひとつが店だった。
河から荷揚げした種々雑多な品々を、倉庫内で直接販売するスタイルだ。
売られているのは、ダリオが言っていたとおり、肉や小麦のような食料品から、布地に衣類、はては大型の家具や骨董品まで。
それらが袋や樽や頑丈そうな木箱に入ったまま、無造作に積み上げられている。
ほとんどの客が、食品なら食品だけ、衣類なら衣類だけというふうに、箱単位でまとめて買っていた。
どうやら、カルヴィーノ商会は、卸売りが専門のようだ。
「悪かったな。こんな所まで呼び出して」
人混みの中から現れたダリオは、今日は生成りのシャツに革のベスト、細身のズボンに編み上げブーツというラフな装いだ。
「昨日船が着いたばかりで、このとおり、手が離せなくてな」
「かまわないわ。目先が変わって楽しいし」
私の言葉に、ダリオがふっと目元を緩める。
「ふうん。やっぱり変な嬢ちゃんだ。……ようこそ、カルヴィーノ商会へ。ご注文の品はこちらです」
芝居がかったお辞儀とともに、エスコートの腕が差し出される。
連れていかれたのは、ロフトのように突き出した倉庫二階のオフィスだった。
応接セットが壁際に寄せられ、空いたスペースに、形もサイズも様々な台秤が並んでいる。
「一番でかいのが1000ポンドまで量れる秤。こっちのは500ポンドまでで、これは300ポンドまでだ」
1000ポンドが約450kgとすると、500ポンドで225kg。300ポンドあれば、130kg台後半まで量れることになる。
私の体重は202ポンドだから、それだけあれば十分だ。
「何なら、ここで試しに量ってみるかい?」
にやにやしながらダリオが言った。
そういえば、前回の計量からちょうど二週間。見た目は大して変わってないように見えるけど、果たして体重に変化はあるだろうか。
「そうね。使い方も覚えて帰りたいし」
私はさっさと靴を脱ぐと、体重計――じゃない、台秤に乗った。
「量ってくださる?」
「……まさか本当にやるとは思わなかった」
ダリオは毒気を抜かれたようにつぶやくと、秤の傍に膝をついた。
「まずこのつまみを動かして、大まかな重さに合わせる。5ポンド刻みで目盛りがついているだろう。嬢ちゃんの場合は200ポンドだな。その後、こっちのつまみを動かして、この針が水平になったところで止める。……193ポンド3オンス」
(よし、減ってる!)
私は胸の中でひそかにガッツポーズをした。
減った体重は約8ポンド。大体4キロだ。
2週間で4キロ減は、標準体型なら減らし過ぎだが、90キロの私には十分許容範囲である。
(ほとんどは水分が抜けただけだしね)
「こちらの秤をいただくわ」
「毎度あり。今日のうちにお屋敷に届くように手配しよう」
「例の新聞もお忘れなく」
片隅に控えていたメリサが、油断なくそう付け加える。
「もちろんですとも。それでは、
ダリオがうやうやしく一礼し、オフィスのドアを開けたとき。
階下のフロアが、にわかに騒がしくなった。
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