9.残念令嬢、再び計量する

「うわっ。私の身体、ヤバすぎ……?」


 私は、思わず自分の口を押さえてつぶやいた。

 前世のジムの体力テストを、一通りやってみたところだ。


 たとえば、目を閉じた状態での片足立ち。

 

 健康な人なら、中高年でも10秒以上は立っていられるはずなのに、今の私は3秒ももたずに足をついてしまう。

 極端な運動不足で、筋力はおろか、脳のバランス機能まで衰えている証拠である。

 放っておけば、肉体年齢も脳年齢もどんどん老いていってしまう。


 実際、過去のパトリシアは、自分に都合の悪い記憶が曖昧だったり、周りが見えていなかったり、すぐに感情的になったりと、脳の機能が落ち始めた老人のような振る舞いが多々あった。


 いやいやいやいや。

 駄目でしょ、これは。

 40歳目前アラフォーの身体から22歳の身体になったのに、早々とボケてどうするの。


 てなわけで、まずはカーフレイズである。

 カーフレイズは、いわゆる踵上げ。両脚を肩幅に開いて立ち、両足の踵を上げ下げすることで、ふくらはぎカーフの血行を促し、筋肉を引き締める効果がある。

 運動経験のない初心者でも、気軽にできるお勧め種目だ。

 さらにこの種目のいいところは、足裏のトレーニングにもなることだ。

 安定して地面を踏める足の裏は、すべての動作の基本である。


 足裏といえばもうひとつ。足指のエクササイズもはずせない。

 椅子に座り、床に広げたタオルを足指を使って引き寄せるタオルギャザー。

 両足の指でグー、チョキ、パーを作る両足じゃんけん。

 どちらも手軽にできるのに、続けていけば絶大な効果が見込める種目である。

 

 本音を言えば、もっと本格的なエクササイズもやりたいとこだけど……。

 

「ロリータ服じゃ、腕立ても腹筋もできないもんねえ……」


 そうなのだ。パトリシアの持っている服は――例のネイビーのドレス以外――どれもロリロリふわふわで、運動向きとは到底言えなかった。

 仕方がないので、今はリネンの肌着シュミーズ婦人用股引ドロワーズで朝晩のトレーニングをしているけれど、身幅にほとんどゆとりがない上、布地がまったく伸びないので、これまた大きな動きは無理だ。


「せめて、もう少し伸縮性があればねえ……」


 ため息をついてひとりごちた時、ドアをノックしてメリサが現れた。


「お嬢様。お出かけになるのでしたら、そろそろお支度をなさいませんと」

「あらやだ。もうそんな時間?」


 ダリオの突然の訪問から二週間。

 前回借りたのと同じ秤が欲しい、という私の要望に、ダリオは、


「あれは取り寄せ品だから、注文して届いたら連絡する」


 と言い残して帰っていった。

 その連絡があったのが昨日の夕方。

 何でも、試しにいろいろ取り寄せたので、店に直接見に来てほしいという。


「まったく、これだから余所者は! たかが商人の分際で、お嬢様を呼びつけるなど、礼儀知らずにもほどがある。本来ならば、向こうから品物を持って出向くべきでしょうに」


 ピアースはぷりぷり怒っていたけれど、私は別に気にしない。

 むしろ、久しぶりに外に出る用事ができて大満足だ。


「ですが、旦那様はお嬢様に屋敷を出てはならないと……」

「あら、夜会や茶会は控えるようにと言われたけれど、外出までは禁じられてなかったはずよ?」

「…………」


 というわけで、湯浴みして身支度を整えた私は、再び馬車に揺られていた。

 今日の装いも、例によってあのネイビーのデイドレスだ。


「たまには他の服もお召しになっては……」


 アトキンス夫人などは渋い顔をするけれど、デザインも着心地も、これに勝る服がないのだから仕方ない。


 教えられたダリオの店は、王都を貫いて流れるリブリア河畔、レンガ造りの倉庫が立ち並ぶ一画にあった。

 というか、正確には、倉庫のひとつが店だった。

 河から荷揚げした種々雑多な品々を、倉庫内で直接販売するスタイルだ。

 売られているのは、ダリオが言っていたとおり、肉や小麦のような食料品から、布地に衣類、はては大型の家具や骨董品まで。

 それらが袋や樽や頑丈そうな木箱に入ったまま、無造作に積み上げられている。

 ほとんどの客が、食品なら食品だけ、衣類なら衣類だけというふうに、箱単位でまとめて買っていた。

 どうやら、カルヴィーノ商会は、卸売りが専門のようだ。


「悪かったな。こんな所まで呼び出して」


 人混みの中から現れたダリオは、今日は生成りのシャツに革のベスト、細身のズボンに編み上げブーツというラフな装いだ。


「昨日船が着いたばかりで、このとおり、手が離せなくてな」

「かまわないわ。目先が変わって楽しいし」


 私の言葉に、ダリオがふっと目元を緩める。

 

「ふうん。やっぱり変な嬢ちゃんだ。……ようこそ、カルヴィーノ商会へ。ご注文の品はこちらです」


 芝居がかったお辞儀とともに、エスコートの腕が差し出される。

 連れていかれたのは、ロフトのように突き出した倉庫二階のオフィスだった。

 応接セットが壁際に寄せられ、空いたスペースに、形もサイズも様々な台秤が並んでいる。


「一番でかいのが1000ポンドまで量れる秤。こっちのは500ポンドまでで、これは300ポンドまでだ」

 

 1000ポンドが約450kgとすると、500ポンドで225kg。300ポンドあれば、130kg台後半まで量れることになる。

 私の体重は202ポンドだから、それだけあれば十分だ。


「何なら、ここで試しに量ってみるかい?」


 にやにやしながらダリオが言った。

 そういえば、前回の計量からちょうど二週間。見た目は大して変わってないように見えるけど、果たして体重に変化はあるだろうか。


「そうね。使い方も覚えて帰りたいし」


 私はさっさと靴を脱ぐと、体重計――じゃない、台秤に乗った。


「量ってくださる?」

「……まさか本当にやるとは思わなかった」


 ダリオは毒気を抜かれたようにつぶやくと、秤の傍に膝をついた。


「まずこのつまみを動かして、大まかな重さに合わせる。5ポンド刻みで目盛りがついているだろう。嬢ちゃんの場合は200ポンドだな。その後、こっちのつまみを動かして、この針が水平になったところで止める。……193ポンド3オンス」

(よし、減ってる!)

 

 私は胸の中でひそかにガッツポーズをした。

 減った体重は約8ポンド。大体4キロだ。

 2週間で4キロ減は、標準体型なら減らし過ぎだが、90キロの私には十分許容範囲である。


(ほとんどは水分が抜けただけだしね)


「こちらの秤をいただくわ」

「毎度あり。今日のうちにお屋敷に届くように手配しよう」

「例の新聞もお忘れなく」

 

 片隅に控えていたメリサが、油断なくそう付け加える。


「もちろんですとも。それでは、淑女レディがた。今後ともどうぞご贔屓に」


 ダリオがうやうやしく一礼し、オフィスのドアを開けたとき。

 階下のフロアが、にわかに騒がしくなった。

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