8.残念令嬢、邂逅する

「今朝のコールドチキンは、オレンジソースにしてくれたのね。相変わらずお肉が柔らかくて絶品だった。それと、ゆで卵のマヨネーズソースウフ・マヨネーズがけ! シンプルだけど、奥が深いお料理よね。ソースの隠し味はパプリカかしら? とっても味わい深かったわ」


 今日も今日とて、ジョーンズ夫人の料理は最高に美味しい。しかも、コールドチキンにゆで卵の組み合わせには、筋肉を作るのに欠かせないたんぱく質がたっぷりだ。


「それと、つけあわせの人参の千切りサラダキャロット・ラぺ! クランベリーの甘酸っぱさとナッツの歯ごたえが癖になりそう。お野菜なのに、デザートみたいに食べられて大満足よ」

「……そのつもりで作ったので」


 ダイニングテーブルの脇に控えたジョーンズ夫人が、誇らしそうに胸を張る。


「ありがとう! 今朝もどれも美味しかったわ。それで、もし面倒でなければ、いくつかお願いがあるのだけど……」


 運動と食事制限。どちらが減量に効果的かといえば、圧倒的に食事制限だ。

 制限といっても、やみくもに量を減らせばいいというものではない。

 パトリシアの場合、まずは基本的な栄養素がきちんと摂れる身体に変えていくことが大切だ。


「今後、私の食事のメニューはお肉やお魚を中心に、野菜を多めにしてもらえる? それとお茶の時間だけど、このタイミングでスイーツではなく、普通のお食事を出してほしいの」


 社交シーズンの夕食は遅い。オペラや観劇が済んだ後、夜の9時や10時にずれこむこともしばしばだ。

 しかも、我が家のように裕福な貴族の夕食は、前菜やスープに始まり、種々様々な魚料理に肉料理、何種類ものスイーツや果物が出されるコース料理がほとんどだった。

 そんなのを夜遅く食べていては、胃腸に負担がかかるし、脂肪は蓄積されるし、お肌に悪いしでいいことなしだ。

 

 というわけで、私のプランは、午後5時のお茶を夕食代わりにしてしまおう、というものだった。


「では、お夕食の時間はどうなさるので?」


 ジョーンズ夫人の疑問に対する答えも、私はすでに考え済みだ。


「ホットミルクをいただくわ」


 一般的に、食べた物が消化され、胃の中が空になるまでに3~5時間かかると言われている。

 午後5時にがっつり夕食を食べたとしても、貴族の夕食時間である9時から10時には胃の中は空っぽになる計算だ。

 前世の私なら、このまま寝るまで何も食べなくても平気だが、パトリシアは夜中に空腹で起きてしまう。

 なので、適度に空腹を紛らしつつ、身体も温まるホットミルクを飲んでからストレッチをして就寝、というルーティンを作るつもりだった。


 その後も、昼食をはさんでジョーンズ夫人と食事の細かい打ち合わせが続いた。

 パンは白パンではなく、全粒粉のものがいいこと。

 砂糖をふんだんに使うスイーツは、パーティや来客がある時だけにして、その他の日は旬の新鮮な果物を一日に一度だけ出してほしいこと……。

 ようやく一段落ついたところで、ピアースが食堂に現れた。


「失礼いたします。お嬢様にお客様がお見えです」

「お客様?」


 誰だろう。

 パトリシアの記憶によれば、彼女には、わざわざ訪ねてくるような親しい友人などないはずだ。


「ダリオ・カルヴィーノ男爵と名乗っております」

「ダリオ・カルヴィーノ男爵……」


 その名前にも覚えがない。

 だが、メリサがはっとしたように顔を上げた。


「もしや、カルヴィーノ商会の……」

「例の精肉場の持ち主ですか」


 ピアースが苦々しい顔になる。

 どうやら、私が秤を借りたお肉屋さんの関係者らしい。


「どんな用事か言っていた?」

「いいえ。何を訊いても、お嬢様に直接会って話したいの一点張りで」


 何だろうと首をひねったものの、会ったこともない相手では見当もつかない。


「いいわ。客間にお通しして」

「お嬢様!」

「その代わり、ピアースとメリサは一緒にいて。それなら、万が一何かあっても大丈夫でしょう?」


 メリサの手を借りて急いで着替えを済ませ――昨日と同じダークネイビーのティードレスに、肩先で切り揃えた金髪を緩く後ろでまとめただけのシンプルな装いで客間に行った。


 ◇◇◇


「これはこれは。お初にお目にかかります。ダリオ・カルヴィーノと申します」


 寛いだ様子でソファに掛けていた人物が、すっと立ち上がって一礼した。

 歳のころは三十前後だろうか。短く刈り込んだ銀髪に、浅黒く整った細面。物腰は低く、目つきは鋭く、どことなく危険な匂いのする男だ。


 ……そして、やっぱり、どこからどう見ても知らない人だった。


 私はとまどいながらも、彼の正面に腰かける。


「はじめまして。パトリシア・リドリーです。私に何の御用でしょう?」

「まずは、こちらをご覧ください」


 ダリオが、私のほうにB6サイズくらいの紙を滑らせて寄越した。

 ……ん? この展開、前にも見たことがあるような。

 

 案の定、それは王都で発行されたゴシップ紙だった。

 質の悪い紙の上半分には、ドレス姿の巨大な豚が、ばらばらになった台秤の上で尻餅をついている絵が描かれ、その下に、


『外務大臣のご令嬢、目方は210ポンド!』


 という見出しがある。


「失礼ね! 正確には202ポンド7オンスよ。8ポンドも多く書くなんて」


 キログラムに換算すれば、約5キロも重いことになる。


「いや、怒るのはそこなのか?」


 ダリオが思わずという感じで突っ込みを入れてくる。

 一方、私の肩越しに記事を読んでいたピアースは、みるみる険しい顔になった。


「カルヴィーノ様。失礼ですが、これをどこで?」

「日付をよくごらんなさい。そいつは明日売られる予定のものだ」


 私たち――私とピアース、メリサは顔を見合わせた。


「明日出るはずの新聞を、なぜあなたがお持ちなのですか?」


 ダリオはにやりと歯を見せて笑った。


「実は、その新聞には、うちの商会が出資してましてね。毎回、こうして見本が回ってくるんです」

「お嬢様を……リドリー伯爵家を脅迫なさるおつもりですか」


 確かにこんな記事が出回っては、私の評判……は落ちるとこまで落ちているからいいとして、外務大臣のお父様は、またしても恥をかくことになるだろう。

 だがダリオは「いやいや、そんな。めっそうもない!」と大げさに両手を振ってみせた。

 

「ご心配なく。こいつは出荷前に全部差し押さえました。世間に出回ることは一切ないと、家名にかけてお約束します」

「本当にそうならいいのですが」


 ピアースはちっとも信じていなさそうだ。

 私は、改めてダリオに向き直った。


「脅迫でないのなら、何が目的で我が家においでになったのですか?」

「俺はあんたと商売がしたい」


 不意にがらりと口調を変えて、ダリオが私のほうに乗り出した。


「この肌の色でわかるとおり、俺はこの国じゃ余所者よそものでね。せっかくいい品を仕入れても、買っていくのは平民ばかり。お貴族様は見向きもしない。だが、この王都で手広く商売をしたけりゃ、貴族のお得意様は欠かせない。そこへ今回のこのネタだ。うまくいきゃあんたに食い込めるんじゃないかと、こうして出張ってきたわけさ」

「貴様! 口の利き方に気をつけろ」


 ピアースが今にも割って入ろうとするのを、私は「待って」と押しとどめた。


「つまり、私からお父様に口を利いて、あなたからお肉を買うようにしてほしいということ?」


 外務大臣御用達となれば、彼の商売にも箔がつく。そういうことだろうか。

 けれどダリオは「いや」と首を横に振った。


「いくつか誤解があるようだから、先に説明させてくれ。まず、うちは肉屋じゃない。もちろん、肉も卸しているが、他にもいろんな品を扱っている。主に、海の向こうから船で仕入れた商品だ」

「なるほど。総合商社的な」

「?」

「あ、ええと。貿易商でいらっしゃるのね?」


 言い直した私に、ダリオは「そうだ」と頷いてみせる。


「それと、俺が取引したいのはあんたのほうだ。父親じゃない」

「へ? 何で?」


 驚きのあまり、つい素で聞き返してしまった。

 自分で言うのも何だけど、私なんかと取引しても、メリットなんて何もない。高位貴族の友達がいるわけでもないし、社交界はもちろん、家族の評価さえどん底だ。


「変わってるから。誰もやらないことをやったから」

 

 というのがダリオの答えだった。


「肉屋の秤で自分の目方を量るとか、正直、最初は正気を疑ったぜ。男にこっぴどく振られたせいで、気がふれたんじゃないかってな。だが、こうして面と向かってみると、普通に話が通じるじゃねえか。そういうやつは、時として、莫大な儲けを生み出すことがある。だから、誰も手をつけてない今のうちに、俺がツバつけとこうって寸法さ」

「帰れ。この屋敷から出ていけ!」


 激昂したピアースの声に被せるように、私は「いいわ」と頷いた。

 ふと閃いたアイディアが、頭の中で少しずつ形になっていく。


「お、お嬢様!?」

「具体的には、どうしてほしいの?」


 メリサの声も無視して私は問いかけた。


「そうさな。お近づきの印に、カルヴィーノ商会うちから何か買ってくれるとありがたい。そのおまけとして、今回引き上げた新聞を全部そちらに届けよう」

「なら……」


 欲しいものは、すでに決まっている。


「この前、あなたのところでお借りした秤。あれと同じものはあるかしら?」

 

 ◇◇◇


 ほどなく、リドリー伯爵のタウンハウスから出てきた銀髪男に、街角からすっと現れた男が合流した。

 もしも私が見ていたら、あの日、肉屋で秤を貸してくれた大男だと気づいたろう。


「どうでした、会頭」

「ランドルフか。うん。おまえの言うとおり、なかなか面白い嬢ちゃんだったぞ」

「それだけですか?」


 ダリオはしばし考えこんだ。


「正直、判断に迷うところだ。……

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