6.残念令嬢、着手する
ぶくぶくぶく。
帰宅早々、メリサに問答無用で放り込まれたバスタブに浸かりながら、私は物思いにふけっていた。
『202ポンド7オンス!』
1ポンドが約0.45kg。オンスが何グラムだったか忘れたけれど(※ 約28グラム)、私の体重は、少なく見積もっても90キロは確実にあることが判明した。
そりゃあ、朝からあれだけの量のスイーツをもりもり食べてりゃそうなるわって話だけど。
(駄目だろ――!!!)
私は思わず拳を握り、心の中で全力のツッコミを入れた。
仮にもシェイプアップを謳ったジムのトレーナーとして、この体重は看過できない。
おまけに、
さっき、脂まみれのドレスを脱いだ時、鏡に映った己の姿を思い出す。
満遍なく脂肪がついた丸い肩。
鎖骨がまったく見えないデコルテ。
大きなバストは、だらしなく横に流れて脇の肉と繋がっている。
おへそは三段腹の隙間に埋もれ、たるんだ腹肉が
どどんと四角いお尻の肉は、なし崩しに太腿へとなだれ落ち、そこから丸太のような脚へ、象のような足首へと続いている。
足元から顔まわりに目を戻せば、栄養不足で痩せた髪には艶がなく、顔の肌は色が悪く荒れ放題。頬の肉は垂れ下がり、そのせいで口角も下がっている。
「お嬢様。タオルをお持ちしました」
衝立の向こうからメリサが現れた。
艶やかなブルネットは美しく結い上げられ、薄く粉をはたいただけの顔には吹き出物などひとつもない。
白鳥のように優美な首筋。すっと伸びた背筋。メイド服の上からでもわかる、メリハリのある体つき。
見た目でいえば、彼女のほうがよほどいいお家のご令嬢だ。
「決めたわ」
ひとり言のようなつぶやきを、メリサは耳ざとく聞きつけたらしい。
「何を決められたのですか?」
「この体、徹底的に改造する」
◇◇◇
しゅる、と音をたててメリサが巻き尺を巻き取った。
「お嬢様のお背丈は、5フィート4インチでございます」
1フィートが約30センチ、1インチが約2.5センチだから、今の私の身長は大体160センチということになる。
「ありがとう。紙とペンを取ってくれる?」
私はそこに、さらさらと計算式を書き出した。
BMI= 体重kg ÷ (身長m)2
BMI――ボディ‐マス・インデックスは、体重と身長から割り出す体格指数だ。
理想的なBMI値は22とされ、25以上は肥満に分類される。
私の体重を90kg、身長を1.6mとして計算すると、BMIは35.16。
かなりの肥満といえるだろう。
もっとも、BMIは体脂肪率を考慮しないので、筋肉質で体重が重い人も「肥満」と判定されるケースもあるけれど……。
「メリサ。次は、お腹周りの寸法をお願い」
一応、おへその高さで腹囲を測ってみると、こちらは39インチ(約100センチ)。
やはりというか、立派にメタボちゃんである(※女性は腹囲90センチ以上でメタボリックシンドロームの可能性あり。ただしその他に血圧や空腹時血糖の数値などの条件がある)。
私は、どさりと椅子の背にもたれかかった。
(まずは、とにかく体重を落とすことだけど……)
正直、ここまで太っていると、そう簡単には落ちないだろう。
急激な減量は身体にも良くないし、じっくり時間をかけて取り組むべきだ。
幸い、私には前世で培ったダイエットとトレーニングの知識がある。
(食事内容の見直しと運動。あとは……)
「お嬢様。そろそろお茶の時間ですのでお着換えを」
いつの間にか姿を消していたメリサが、淡いピンクのフリフリドレスを抱えて現れた。
ふんわり膨らんだ袖口に、フリルとレースをふんだんにあしらったティアードスカート。
少女趣味を極めまくった甘々ファッションだ。
私はげんなりとため息をついた。
「そうだった……。こっちも何とかしなきゃ」
◇◇◇
パトリシアが好んで着るドレスは、ベビーピンクやカナリアイエロー、ペパーミントグリーンといった、黄味よりの鮮やかな色ばかりだった。
だが、
ただでさえ不健康な肌色が、さらに老けて見えたり、シミやシワが目立ってしまうのだ。
「同じピンクでも、もう少しはっきりした色のほうが似合うと思うんだけどなあ……。それか、いっそ濃いめのブルーとか」
例によって、耳ざとく私のつぶやきを聞きつけたメリサが、少し考えるような顔になった。
「少々、お待ちいただけますか?」
そう言って部屋を出ていき、しばらくしてから、さっきとは別のドレスを持ってくる。
「こちらのお召し物はいかがでしょう」
「あら、いいじゃない!」
ひと目見るなり、私は声を上げた。
それは落ち着いたダークネイビーのティードレスだった。ウエストの切替えが高めのマーメイドラインは、突き出たお腹が目立ちにくい。デコルテから袖にかけては同色のレースになっていて、適度に肌が見えるのも抜け感があっていい感じだ。
何より、余分な飾りが一切なくて、歳相応に見えるのがいい。
「今日はこれを着ることにするわ」
メリサに着替えを手伝ってもらい、上機嫌で
そこには、すでにお茶の支度が整っており、今朝お願いしたとおり、ジョーンズ夫人の美しいケーキが一口大に切り分けられてお皿に載っていた。
お茶といっても、他に誰がいるわけでもない。
パトリシアの母親はすでに亡く、父のリドリー伯爵は王宮で仕事。二人の兄たちはそれぞれ結婚して別の場所に住んでいるから、今この室内にいるのは、私とメリサ、そして壁際に控えた執事のピアースだけだった。
「んーっ! ジョーンズ夫人のケーキ、最っ高に美味しい!」
これはもはや芸術といっていいのでは。
――嬉々としてケーキに舌鼓を打つ私は気づいていなかった。
居間にやってきた私を見たとたん、ピアースが一瞬、驚愕の表情を浮かべたことを。
「お嬢様があのドレスを……まさか」
そう、小さくつぶやいたことを。
〈パトリシア〉の小さな変化が、少しずつ周囲を変えていきつつあることを。
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