【幕間】残念令嬢の噂話
王都、リドリー伯爵のタウンハウス。
半地下の厨房の隣には、使用人たちが食事や休憩をとる部屋がある。
今は夕刻。階上に住む主人たちのお茶が済んだ後、使用人たちもまた、ここでひとときの休息を楽しむのが常だった。
かつては大勢の使用人で溢れかえっていたこの屋敷も、リドリー伯爵夫人が亡くなり、二人の息子がそれぞれ独立して家を出た今は、めっきり人が減っていた。
外務大臣を務めるリドリー卿は、議会が開催されるシーズン中は王宮に泊まり込むことも多く、週の半分は家を空けている。
たまに帰ってきたときも、ほとんどの時間を執務室で過ごし、またすぐ王宮に戻っていくという有様で、屋敷に常時住んでいるのは、令嬢のパトリシアだけだった。
「ねえねえ、それで、どうだった? パトリシアお嬢様にお仕えしてみた感想は」
メリサが席につくやいなや、キッチンメイドのエイミーが、待ちかねたように訊いてきた。
その勢いに、メリサは、美しい眉を少しひそめる。
「そうですね。少々変わったところはおありですが、非常に聡明な方という印象を受けました」
室内にいた全員が、何ともいえない顔になる。
ややあって、エイミーが「きゃはっ!」と甲高い笑い声をあげた。
「やだ、ここに来てまで建前を言う必要はないのよ。あたしたちみんな、あのお嬢様のことならよおく知ってるんだから」
「…………」
見れば、テーブルについた使用人のほとんどが、賛同するように頷いている。
「確かに、普通のご令嬢方と比べれば、奇矯なお振る舞いも見受けられましたが……」
「『奇矯なお振る舞い』! そういう言い方もできるか。なるほどなあ」
馬鹿にしたように言ったのは、若い従僕のケインだった。
「今日なんて、何を思ったか、ご自分の目方を量りに精肉場に行ったんだぜ」
「えー、何それ。聞きたい、聞きたい!」
騒ぎ立てるエイミーの横で、パーラーメイドのシャーロットが、メリサに心配そうな顔を向けてきた。
「ねえ、お嬢様に何かひどいことを言われたりされたりしたら、一人で抱え込まないで、すぐ私たちに教えてね。お嬢様はあんなふうだけど、旦那様は話のわからない方じゃないし、アトキンス夫人も、ピアースさんも、きちんと相談に乗ってくれるから」
「……はあ」
メリサは首を傾げつつも、曖昧に笑って頷いておいた。
何と言っても、彼女はまだこの屋敷に来たばかりなのだ。
そこへ、ハウスキーパーのアトキンス夫人と執事のピアースが連れ立って入ってきた。
使用人たちはガタガタと椅子を鳴らして立ち上がり、それぞれの上司に頭を下げる。
「皆さん、お待たせしましたね。それではお茶の時間にしましょう」
ピアースの言葉を合図に、コックのジョーンズ夫人がケーキの乗ったワゴンを押して現れた。
それを見たとたん、主に女性の使用人たちから歓声が上がる。
「わあ、今日はどうしたの? これってお嬢様用のお菓子でしょう?」
「お嬢様からのお下がりだよ。皆、ありがたく頂戴しな」
使用人たちは慣れた様子で、ある者は大きなポットからお茶を注いで回り、ある者は手早くケーキを切り分けて配膳する。
すぐに室内は食器の触れ合う音や、てんでにおしゃべりする声で満たされた。
そんな中、執事のピアースが、影のようにメリサの横に立つ。
「ミス・メリサ。ちょっとよろしいですか」
「はい」
そっと席を立ってついていくと、執事は無人の食堂にメリサを伴い、背後で静かに扉を閉めた。
「お嬢様を肉屋にお連れしたというのは本当ですか」
「はい。正確には、カルヴィーノ商会の精肉場ですが」
「ふむ?」
「知り合いが勤めておりますもので」
ピアースは頷いた。
「アトキンズ夫人の話によれば、お嬢様はご自身の目方を知りたがっておられたとか」
「はい」
「一体なぜ、そのようなことをお望みに?」
「お嬢様がおっしゃるには、ご自身のお体を改造されるおつもりだとか」
「改造?」
「そのために、開始時の数値が必要なのだ、とおっしゃっていました」
「…………」
ピアースは眉間に皺を寄せ、考えを巡らすように黙っていたが、やがてまったく違うことを訊いてきた。
「ところで、先ほどお嬢様がお召しになっていたティードレスですが、あれはどこで?」
「衣装部屋の奥の箪笥にしまわれていたのを見つけました。サイズからして、お嬢様のものに間違いないと思ったのでお出ししたのですが……何か、まずかったでしょうか?」
「いえ。ああしてお召しになっている以上、まずいことはないのでしょうが……。あれを見たとき、お嬢様は何かおっしゃっていましたか?」
メリサはドレスを出したときの、パトリシアの反応を思い出した。
「『あら、いいじゃない! 今日はこれを着ることにするわ』と」
「それだけですか?」
「それだけです」
「ううむ……」
ますます難しい顔をするピアースを前に、メリサは無言で控えていた。
やがて顔を上げたピアースが、その様子を見て目を細める。
「さすが、名のあるお屋敷から推薦状をいただいて来ただけありますね。余計なことを一切詮索しない、その態度には好感が持てます」
「恐れ入ります」
「ですが」
ピアースは一転して厳しい顔になった。
「我々に何の断りもなく、お嬢様をあのような場所に連れ出した点はいただけません。今後はこのようなことのないよう、くれぐれもお願いしますよ?」
メリサは目を伏せ、頭を下げた。
「承知しました。心得ておきます」
そのころ、厨房の隣の休憩室では、従僕のケインがメイドたちを相手に、精肉場で見聞きした出来事を、面白おかしく話していた――。
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