5.残念令嬢、計量する
「お嬢様」
食堂から部屋へ戻る途中、玄関ホールにさしかかったところで呼び止められた。
声の主は、かっちりした黒のロングドレスを隙なく着こなした初老の女性――リドリー伯爵邸の
背後に、メイド服を着た
「お嬢様。こちら、先月辞めたリタに代わり、本日からお嬢様付きの
「よろしくお願いいたします、お嬢様」
メリサが、優雅に膝を折って会釈した。
「紹介状によれば、メリサはリード子爵家に五年、ゴードン伯爵家に六年勤めていたとのこと。リタより長続……いえ、お嬢様のお心に叶うかと」
――今、「リタより長続きする」って言いかけたね?
私はメリサに笑いかけた。
「こちらこそよろしく、メリサ」
「――それと」
言いながら、アトキンス夫人が傍らのテーブルから卓上秤を取り上げる。
「こちらが、先ほどお嬢様がご所望になったお品でございます」
前世では、朝晩の体重測定が日課だった。なので今朝、身支度を手伝ってくれたアトキンス夫人に、
「このお屋敷にヘルスメーター……いえ、秤はないかしら?」
と何の気なしに訊いてみたのだが。
差し出されたのは、どう見ても、テーブルサイズのキッチンスケールだった。
「……ええと。もっと大きな秤がいいのだけど」
「もっと大きな……。失礼ですが、何をお量りになりたいので?」
「私の体重よ」
「は!?」
アトキンス夫人はこぼれんばかりに目を見開き、玄関脇に控えていた従僕の若い男性は、なぜか急激な咳の発作に襲われたようだった。
どうやら、この世界には体重計も、日常的に体重を測る習慣もないようだ。
と、やりとりを聞いていたメリサが口をはさんだ。
「失礼ですが、お嬢様がお探しなのは、100ポンド以上あるものを量れる秤ですよね? でしたら、肉屋か製粉所に行けばあるのでは」
「これ、メリサ! 訊かれてもいないのに何ですか。図々しい!」
すかさずアトキンス夫人が叱りつけるのを、私は手を上げて押しとどめる。
「いいのよ、アトキンス夫人。メリサ、ありがとう。それは思いつかなかったわ」
確かに、牛や豚、袋詰めした小麦粉を量る秤なら、人間の体重も量れるはずだ。
……ふむ。
◇◇◇
「まさか、本当に肉屋にお出かけになるとは……」
下町に向かう馬車の中。
メリサは、信じられないという顔で首を振った。
「すぐに手配してもらえて助かったわ」
メリサによれば、製粉所は最も近い場所でも王都の郊外にあり、リドリー伯爵家のタウンハウスからはかなり離れているという。
その点、肉屋なら王都のあちこちにある上、メリサの知り合いの
馬車はやがて賑やかな市場の一角に停まり、外から御者の声がした。
「申し訳ありません。この先は、馬車は入れないようで」
「お嬢様。本気で行かれるおつもりですか?」
心配そうに聞いてくるメリサに、「もちろんよ」と力強く頷いてみせる。
せっかくここまで来たというのに、今さら引き返すなんてもったいない。
「では、こちらをお羽織りください」
差し出されたのは、黒っぽいごわごわした合羽だった。
「弟のもので恐縮ですが、そのお姿はかなり目立ちますので」
ですよねー……。
自分の服を見おろして、私は小さくため息をつく。
鮮やかな黄色の地に、同色の布で作られた
これでも、パトリシアのワードローブの中ではかなり地味なほうなのだ。
男物の合羽をすっぽり着込み、フードを目深におろした私は、メリサの手を借りて馬車の外に踏み出した。
◇◇◇
「肉屋」というから、何となく、切り分けた肉を店先に並べた小売店を想像していたのだが、連れていかれたのは、天井の高い倉庫のような場所だった。
一面にただよう血と肉の匂い。皮をはぎ、腹を開いた牛や豚が天井の鉤からぶらさがり、いくつもある大きな台の前で、脂じみた革の前掛けをつけた男たちが、新鮮な肉を手際よく切り分けている。
「ランドルフ!」
メリサが呼ぶと、手前の台にかがみこんでいた大男が、ナイフを置いてやってきた。
「おう、メリサか。珍しいな。何してるんだ、こんなとこで」
「実は……」
メリサがランドルフに耳打ちすると、ランドルフは一瞬目を見開き、あきれ顔でこっちを見た。
「何だそりゃ。本気かよ」
「本気でなければ、わざわざここまでお嬢様をお連れするはずがないでしょう。それで? 秤は使わせてもらえるの?」
「まあ、別にそれは構わないが……」
ランドルフが、ぐいと奥の方に顎をしゃくる。
そこには、ボクサーが計量に使うような、ただしそれよりかなり大きな天秤式の台秤が鎮座していた。
「これこれ! こういうのを探してたのよ!」
ふんす! と意気込んで足を踏み出した途端、ずるっと滑って転びそうになる。
「っ! お気をつけください、お嬢様」
血と脂でぬるぬるする床を、メリサに手を引いてもらいながら歩いていけば、まわりで働いていた男たちが、何だ何だと寄ってくる。
ランドルフが、秤の天秤を水平になるように調節し、私のほうを振り向いた。
「それじゃ、乗っておくんなさい」
前世では下着一枚で体重計に乗ってたけれど、まさかここでドレスを脱ぐわけにはいかない。
顔を見られるのはさすがにまずいだろうと思い、フードを下ろしたまま台に乗る。
当然のように、そこも脂でぎとぎとだ。
「202ポンド7オンス!」
ややあって、ランドルフが目盛りを高らかに読み上げた。
何となく予想はしてたけど――今朝、メリサが「100ポンド以上のものを量るなら」って言っていたから――この世界の度量衡はヤードポンド法だった。
……ていうか。
待って、待って。
前世でジムの会員だったプロボクサーのお兄さん。確か、200ポンドでジュニアヘビー級の上限ぎりぎりって言ってたような。
『俺、今ぎりぎり絞って90キロ台後半なんすけど、91キロ行くと201ポンドでヘビー級に上がっちゃうんすよー』
言ってた! 確かにそう言ってた!
てことは、何? 私の今の体重、服の重さを引いても90キロ以上あるってこと!?
くらり。
ショックのあまり、足元がふらつく。
「「危ない!」」
メリサとランドルフの声がだぶった。
次の瞬間、私は足を滑らせて、派手に尻もちをついていた。
ぶかぶかの合羽の前が割れ、下に着ていた真っ黄色のドレスが露わになる。
はずみでフードも脱げ落ちて、私は、仰天した人々の前に、ばっちり素顔を晒していた。
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