4.残念令嬢、絶賛する
真っ白なクリームが塗られたシフォンケーキ。
シナモンの香り豊かなアップルパイ。
季節の果物をふんだんに使い、アイシングの輝きも美しい宝石のようなタルト。
足つきの銀器に山と盛られたカヌレやクッキーの隣には、白い陶器の壺に入った色鮮やかなジャムやマーマレードが並んでいる。
どこのパティスリーのディスプレイかと思うようなこれらのお菓子は、すべて食堂のテーブルに――私の前に置かれていた。
そう。
偏食児童のパトリシアは、朝っぱらからご飯代わりにスイーツをもりもり食べる人なのだ!
(いやいやいやいや。ダメでしょ、これは――!)
私は心の中で絶叫する。
こんな食生活を続けていたら、いくら若い身体でも、遠からずぼろぼろになってしまう。
っていうか、すでになりかけている。
「ええと、ごめんなさいね? 今朝は、普通の朝ご飯をいただけるかしら」
壁際に控えていたメイドさんに、遠慮がちにお願いすると、彼女は目に見えて動揺した。
「お、お気に召しませんでしたでしょうか……」
「いいえ、どれもとっても綺麗で美味しそうだわ。だけど今朝は、もう少し……その、甘くない物をいただきたいの」
「甘く、ない物……」
メイドさんは困ったように繰り返すと、「少々お待ちください」と言って食堂を出ていった。
残された私は、お菓子の間に銀製のポットを見つけ、待っている間にお茶でも飲もうと中身をカップに注ぎ入れる。
めっちゃ濃厚なココアだった。
「パトリシア、どんだけ甘党よ――!」
思わず天を仰いだとき、先ほどのメイドさんが大皿を手に戻ってきた。
「も、申し訳ございません。あの、
出された皿にのっていたのは、ラズベリーソースがかかった
「すごい! どれも美味しそうだわ。ありがとう! 作ってくださった方にも、よくよくお礼を言っておいてね。それと、時間外にご面倒をかけてしまってごめんなさい、と」
「は、はひっ!?」
メイドさんは、なぜかひゅっと息を呑むと、走って食堂を出ていってしまった。何なんだ……。
それはともかく、ようやく朝ごはんである。
飲み物がココア、というのがちょっと残念だけど、どれも素晴らしいお味だった。さすが伯爵家の料理人。高級ホテルの朝食ビュッフェにも引けを取らない美味しさだ。
大満足で食事を終え、そろそろ席を立とうとしたとき、さっきのメイドさんが戻ってきた。
後ろに、でっぷり太った赤ら顔の中年女性がついてきている。小花柄のドレスに帽子を被り、片手に古びたトランクを提げたその
「コ、コックのジョーンズ夫人です」
メイドさんが、妙にびくびくした様子で紹介する。
ということは、この女性ががあの美味しいご飯を作ってくれたのか。
私は立ち上がり、ジョーンズ夫人に向き直った。
「どうもありがとう、ジョーンズ夫人! 時間外にお手間をかけさせてしまってごめんなさい。どれもとても美味しかったわ。特にケイジャリーは絶品ね!」
それまでへの字にひん曲がっていたジョーンズ夫人の口許がわずかに緩む。
「……スパイスの配合に、気を遣っているからね」
「それに、白身魚の出汁もしっかりきいてて、卵と一緒に食べると頬っぺたが落ちそうだったわ!」
「…………」
「あと、あの若鶏も。胸肉なのに、信じられないくらい柔らかくてジューシーで! 胸肉って、火を通すとすぐぱさぱさになっちゃうでしょう? なのにあんなに美味しく仕上げるなんて、さすがはプロの腕前だわ!」
タンパク質が豊富な鶏の胸肉は、筋肉をつけたいアスリートにも、シェイプアップを目指すダイエッターにも欠かせない食材だ。かくいう私も、各種コンビニのサラダチキンを食べ比べたり、ネットのレシピを頼りに自作したりしていたが、ジョーンズ夫人のコールドチキンは、それらを軽々と凌駕する美味しさだった。
「あれだったら毎食でも食べられそう。本当に素晴らしかった……!」
前世の苦労を思い出し、熱く語る私を前に、メイドさんもジョーンズ夫人も、目を白黒させている。
「……べ、別に! そんな大げさに褒めなくたって、毎食、手抜きはしませんし」
ややあって、ジョーンズ夫人がぼそっとつぶやく。
ぷいとそっぽを向いた顔の、頬がほんのり紅潮している。
けれど、その目が手つかずのスイーツに向けられた途端、夫人はまたしても不機嫌になった。
「それで? 今朝は何がお気に召さなかったっていうんです?」
ああ、そうか。
この美しいスイーツたちも、彼女が作ってくれたのだ。
ていうか、この人、あんな美味しいご飯と一緒に、こんなに美しいケーキまで、毎日作ってくれてたというの?
え。マジ神じゃね?
そんな神がお作りになったケーキを、無駄にするなんてとんでもない!
とはいえ、自身の健康状態を思えば、あれを完食するわけにはいかない。
考えた末に、私は言った。
「いいえ。どれも素晴らしい出来栄えだわ。だから、その仕事ぶりにふさわしく、きちんと味わっていただきたいの」
どんなに見事な料理でも、食べる側のコンディションが悪くては、美味しさを感じることはできない。
ストレスによる過食が常態化していたパトリシアは、ほぼ四六時中満腹だっただろう。
そんな状態では、何を食べてもろくすっぽ味もわからなかったに違いない。
私が今朝、美味しくご飯を食べられたのは、夜会であんなことがあったせいで、たまたま夕食を抜いていたからだ。
「ジョーンズ夫人。このお菓子を一口ずつお皿に盛って、今日のお茶の時間に出してくださらない? 飲み物はお紅茶で。おそらく、それでお腹がいっぱいになると思うから、お夕食はいらないわ」
ジョーンズ夫人とメイドさんは、信じられないものを見るように私を凝視した。
「お夕食が……い、いらない……?」
「ええ」
「では、お休み前のチョコレートとココアは?」
やめてえええ! それ、確実に寿命が縮むやつ!
「ありがとう。それも無しで大丈夫」
そう言ってから、ふと思いついて言い添える。
「そのほうが、明日の朝ごはんをもっと美味しく食べられるでしょう?」
いや、本当に。これから毎日、ジョーンズ夫人の料理が食べられるのかと思うと、楽しみ過ぎてにやけてくる。
私はにやけ顔もそのままに、ジョーンズ夫人にお願いした。
「明日からしばらく、スイーツ類は要らないわ。その代わり、できたらまたあの素晴らしいコールドチキンをいただきたいの。いいかしら?」
「はあ。まあ、それはもちろん……」
「嬉しい! 楽しみにしてるわね。それじゃ、ご馳走様でした!」
るんるん気分で部屋に戻った私は、もちろん知る由もなかった。
パトリシアお嬢様の偏食と我儘ぶりに、ほとほと嫌気がさしたジョーンズ夫人が、まさに今日、リドリー伯爵邸を出ていこうとしていたことを。
食堂を出たジョーンズ夫人が、まっすぐ厨房に戻っていったことを。
◇◇◇
「あれ。ジョーンズ
厨房で
その間にも、ジョーンズ夫人は、さっさとトランクをテーブルの下に押し込み、被っていた帽子を壁に掛けて、エプロンを腰に巻いている。
「うるさいね。どこへ行こうとあたしの勝手だろ」
「いや、でも、紹介状ももう貰ったって、言ってたから、さ……」
じろり。ジョーンズ夫人に睨まれて、従僕の言葉が尻すぼみに消えていく。
「ねえねえ、一体どういうこと?」
従僕と喋っていたキッチンメイドが、ジョーンズ夫人と一緒に下がって来た
「さっきまで、こんなとこどうせ出ていくんだから、最後にひとこと、お嬢様にがつんと言ってやる! なんて息巻いてたのに」
「そうなの。聞いてよ。それがさあ……」
――ぽちゃん。
屋敷の外の水盤に、葉先から一滴のしずくが落ちた。
静まり返った水面に、ゆっくりと波紋が広がっていく――。
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