3.残念令嬢、通告される
「婚約は破棄することにした」
翌朝早く、私は父の書斎に呼ばれ、開口一番告げられた。
「でしょうねえ……」
あんなものを見せられては、さすがに結婚する気も失せるというか。そもそも最初から感じの悪い人だったし。
だが、父は私をじろりと見据え、「どうするつもりだ」と詰問するように言ってきた。
「国中の若者に総スカンを喰った挙句、やっと見つけた婿がねだったんだぞ!」
「それはそうかもしれませんけど、今回、浮気をしたのはあちらですし……」
父は無言で、私のほうにB6サイズくらいの紙を滑らせて寄越した。
王都で発行された新聞、それもゴシップ紙と呼ばれる類のものだ。
質の悪い紙の上半分には、ドレス姿の巨大な豚に押しつぶされて悲鳴を上げる優男の風刺画。その下に、
『外務大臣のご令嬢、またも婚約者に逃げられる?』
という見出しがでかでかと躍っていた。
(あ、文字はちゃんと読めるんだ)
頭の片隅でそんなことを考えながら、記事をざっと読んでみる。
要約すると、外交官補佐ロッド・ザイファート氏(24)には幼馴染の恋人がいたが、外務大臣であり、氏の直属の上司でもあるコルネリウス・リドリー伯爵の頼みを断れず、やむなく伯爵の長女であるパトリシア嬢(22)と婚約した。
だがパトリシア嬢は非常に醜く、またザイファート氏に繰り返し暴力を振るうなど、非道な行為が度重なったため、このほど遂に婚約破棄に至った――という内容だ。
ちなみに、昨夜のロッドの浮気については、ひと言も触れられていない。
「お父様。私、あの方に暴力など振るった覚えはありませんが」
「ダンスのたびに足を踏んでいただろう」
う。確かに。
「でも浮気の件は……」
言いかけてはたと思い当たる。
「もしかして、昨夜のあの女性が幼馴染の恋人さんですか?」
昨晩、R指定ぎりぎりの恰好でロッドの上に乗っていた……。
父はふんと鼻を鳴らした。
「ザイファートにそのような者はおらぬ。婚約前に、徹底的に身辺調査をしたからな」
「え……?」
ならどうして、と首を傾げる私に、父は噛んで含めるように説明した。
「パトリシア。おまえはザイファートの浮気相手に嵌められたのだ。調べによれば、彼女は新任のマーセデス大使の娘だそうだ。大方、父親の着任早々、スキャンダルになるのを怖れたのだろう」
「それで、こんなゴシップ紙にあることないことを……?」
「そうだ」
何それ、怖い! 陰険だわー。社交界の闇だわー。
「で、でもまあ、見方を変えれば、そんな人と浮気するような男性と結婚しなくてよかったっていうか……」
「パトリシア」
父は、心底残念な子を見る目でため息をついた。
「事ここに至ってもまだわからんようだから、この際はっきり言っておこう。お前に結婚はもう無理だ」
◇◇◇
この国で、貴族の娘が果たす役割は三つある。
有力な相手と結婚し、家同士の絆を深めること。
夫との間に健康な跡継ぎを作ること。
社交界で高く評価され、夫の評判に寄与すること。
中には自身が爵位を持ち、領地を治める女性もいるが、それはかなりの少数派だ。
そんな中、「もう結婚は無理」と言われた私は、政略結婚の駒として、事実上の戦力外通告を受けたも同然だった。
要するに「お前はもう使えん」と実の父から言い渡されたわけで。
「となると、私の行く末は……?」
恐る恐る訊ねながらも、私は最悪の答えを予期していた。
問題のある貴族の娘は、修道院に入れられる。
それも、多くは外聞を怖れ、わざわざ王都から遠く離れた辺鄙な場所に追いやられるという。
「そうやって修道院に入れられたご令嬢は、二度と出てくることはできません。お嬢様はそうなりたくないでしょう?」
〈パトリシア〉が幼い時分、さんざん聞かされた脅し文句だ。
父が、重々しく口を開いた。
「死ぬまで修道院に入るか、歳のいった貴族の後妻に入るか。――あとは、平民と結婚するかだな」
なんだ。他にも選択肢があるんじゃない。
私はあからさまにほっとした。
正直、そこまで結婚したいわけじゃないけれど、終身刑みたいな修道院よりはまだましだ。
おまけに、前世の私は
平民との結婚ルートも悪くない。こちとら、もともと庶民である。妙に気取ったお貴族様に嫁ぐより、そっちの方が気楽だろう。
(それに……)
しばらく話していて思ったんだけど、このお父様のリドリー卿、異例の速さで外務大臣まで昇りつめただけあって、ものすごく頭の切れる人だ。
そんな人が、できそこないとはいえ、自分の娘を考えなしにそこらの平民に嫁入りさせるはずがない。大方、やり手の商人とか、平民だけど見どころのある騎士とか、そのへんを探してくるだろう。
それでも相手が見つからなければ、自力で働くという線も……。
「働く? おまえがか!?」
父が目を剥き、すっとんきょうな声を上げた。
どうやら、無意識のうちに考えが口に出ていたらしい。
「えーと。いや、まあ、そういう選択肢も……あるんじゃないかなあ……なんて思ったり思わなかったり……あはは、は……」
ごまかし笑いが、白けた空気に消えていく。
そうでした。この世界のパトリシアは、かなりの残念仕様でした。馬鹿なこと言っちゃって失礼しました。
父はしばらく頭痛を堪えるように、目を閉じて眉根を揉んでいたが、やがてため息とともに手を振った。
「行きなさい。いずれにしろ、今すぐどうこうという話ではない。ただし、今年の社交シーズンは、家でおとなしくしていることだな」
つまり、社交はあきらめて自宅謹慎していろと。
私としても、これ以上笑い者にはなりたくないので異存はない。
「はい、お父様」
おとなしく会釈して退室しようとすると、
「パトリシア?」
部屋を出ようとしたところで、父が私を呼び止めた。
「何でしょう、お父様?」
父は一瞬、何か言いたげに私を見たが、やがて気を変えたらしい。
「――いや、いい。行きなさい」
私の後ろで、重厚なオークの扉が静かに閉まる。
途端に、お腹が情けない音を立てた。
起きてすぐ父に呼ばれた私は、まだ朝食を食べていなかったからだ。
(さすがにお腹が空いたわー。朝ご飯、まだ出してくれるよね?)
急ぎ足で食堂に向かった私は、だから、知らなかった。
書斎に残った父が、一人、首を傾げていたことを。
「妙だな。
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