1.残念令嬢ができるまで
外交官という仕事柄、パトリシアの両親は昔から家を空けがちだった。幼い子どもに外国の気候は厳しいからと、パトリシアは生まれてすぐ乳母に預けられ、王都のタウンハウスで育てられた。
年の離れた二人の兄はすでに海外に留学したり、王立学院の寮に入ったりしており、屋敷にいるのは乳母と使用人だけ。彼らはお嬢様の機嫌を損ねまいと、パトリシアの言うことは何でも聞いた。
かくして、手のつけられない我儘娘が爆誕する。
パトリシアが十歳になった年、隣国マーセデスとの外交で目覚ましい成果を上げた父が、外務次官に就任した。
十年ぶりに本国に呼び戻され、末娘と対面した両親は、そのあまりの惨状に天を仰いだという。
好き嫌いが多いせいで極端に偏った食生活。テーブルマナーはなっておらず、外国語はおろか自国語の読み書きさえ覚束ない。
三年後には王立学院に通い、六年後には社交界デビューして有力な結婚相手を見つけなければならないのに、これでは婚姻はおろか、国中の笑い者になってしまう。
危機感を覚えた両親は、娘の躾と再教育を急ピッチで進めることにした。
娘をさんざん甘やかしてダメにした乳母は馘になり、代わりに国内でも指折りの厳しい
当然、パトリシアは抵抗した。泣き叫び、癇癪を起こし、何とか元の我儘生活を取り戻そうとしたが、従わなければ辺境の修道院に入れると脅されて、仕方なく言うことをきくようになった。
けれど、突然の環境の変化と、絶え間ない勉強のストレスは、パトリシアを甘い物に走らせた。
それまで極端な偏食のせいで、骨が透けて見えるほど痩せ細っていたパトリシアは、ここへきて急激に太り始める。
そして三年後――。
「うっわ、誰だよ、あのでぶ女」
王立学院の入学式で投げつけられたその言葉は、パトリシアを打ちのめした。
十になるまで屋敷の中で使用人たちにちやほやされ、それ以降はほぼ毎日が勉強漬けだったパトリシアには、両親がマナーのなっていない彼女を人前に出したがらなかったこともあり、同年代の子どもと遊んだ経験が皆無だったのだ。
おかげで悪口に対する免疫がまったくなかったパトリシアは、それまで聞いたこともないひどい言葉に驚いて、火がついたように泣き出した。
たまたまそばにいた同じクラスの女の子が慰めてくれ、泣き止むまで背中を擦ってくれて、その場はそれでおさまったものの、それからいくらもしないうちに、パトリシアはその子にも嫌われてしまう。
「だって、パトリシア様ったら、私にああしろ、こうしろって威張ってばかりいるんだもの」
それまでのパトリシアにとって、自分以外の他者は「言いなりになる使用人」か、「言うことを聞かなければ罰してくる親や先生」の二種類しかおらず、コミュニケーション手段は「目下の者に命令する」か「泣き喚いて我を通す」か「黙って相手の言いなりになる」の三種類しかなかったのだ。
そんなパトリシアだったから、入学早々クラスで爪弾きになっても、自分の何が悪いのかわからず、被害者意識と孤独感だけが膨らんでいった。
辛さを紛らす手段は、相変わらず甘い物だけ。そして十六歳の春――……。
◇◇◇
ケレス王国では、男子は十八歳、女子は十六歳で成人する。
上流階級の子女は、おおむねその歳に社交界デビューを済ませ、早ければそのシーズン中に相手を見つけて婚約する。
パトリシアも十六の誕生日を迎え、シーズン最初の王宮夜会でデビューするはずだったのだが……。
「グスマン侯爵閣下ご嫡男イサーク様、ロッシーニ伯爵閣下ご次男マーカス様、ブルクナー騎士団長閣下ご次男カイル様。いずれもすでにエスコートの相手はお決まりだそうです」
「ううむ……」
当時、外務長官にまで昇進していた父のリドリー伯爵は、執事の報告に頭を抱えた。
「パトリシアと釣り合いの取れそうな若者は、全員売約済ということか」
「売約済というか、本人があの調子では……」
そう言って肩を竦めるのは、リドリー家の嫡男、マルコムだ。パトリシアの上の兄である。
この国では、デビュタントのエスコート役を務める男性は、かなりの確率でそのまま婚約者にスライドする。
将来を見据えた婚活は、シーズン前からすでに始まっているのだ。
だが、王立学園で鼻つまみ者だったパトリシアのエスコートを引き受けてくれるような若者は、当然ながら見つからず……。
「そうだ、お前の息子のデヴィッドはどうだ?」
「ご冗談を。あの子は今年十二になったばかりですよ。身内にエスコートさせるなら、カメロンのほうがまだましだ」
「ちょっと、兄上! 勝手に決めないでくださいよ。その夜会、僕はもうエレイン嬢と行く約束をしてるんですから」
父と兄たちとのやりとりをイライラしながら聞いていたパトリシアは、ついに癇癪を起して大声を上げた。
「もういいわ! エスコート役がいないなら、私、今年はデビューしません!」
こう言えば、父や兄たちが誰かしら見つけてくれるはず。
そう、たかをくくっていたパトリシアだったが――……。
「そうだな、今年は見送るか」
父と兄たちはそう言うと、相手探しをあっさり諦めてしまった。
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