残念令嬢パトリシアの逆襲
円夢
Season 1
プロローグ 残念令嬢、覚醒する
気がついたら、見知らぬ男性と踊っていた。
何を言ってるのかわからないと思うが、私も何が起きたかわからなかった……。
シャンデリアが輝く煌びやかな大広間。
周囲では、釣り鐘型にふくらんだドレスや、襟の詰まったタキシードなど、妙に古風な衣装の男女が優雅にステップを踏んでいる。
待って、待って。ここはどこ? 私は誰?
パニックに陥りかけたとき、ふいに大量の記憶が押し寄せてきた。
〈私〉はパトリシア。ケレス王国の外務大臣、リドリー伯爵の末娘だ。
今は、隣国マーセデスからやってきた大使の着任を祝う、王宮夜会の真っ最中。
そして、私と踊っているのは――……。
ぐにゅっ。
いけない。考え事に気を取られて、パートナーの足を踏んでしまった。
「ごめんなさい!」
慌てて謝罪するのと、相手の男性が舌打ちするのが同時だった。
「………っ!」
アイスブルーの瞳があまりに冷たくて、反射的に身が竦む。
まるで汚物でも見るような、嫌悪と侮蔑に満ちた眼差し。
〈私〉はおどおどと目を伏せる。
彼はロッド。父に言わせれば、将来有望な若手の外交官であり――。
外務大臣である父が、私のために金で買った婚約者だった。
いやいやいやいや。
違うよね。
私は頭を振って〈パトリシア〉の記憶を追い払う。
よかった。元の名前も自宅の場所も、何なら勤め先の住所もちゃんと覚えている。
都内某区のパーソナルジム。シェイプアップと美ボディメイクを謳うそのジムの、私はチーフトレーナーだ。
それがどうしてこうなった⁉︎
◇◇◇
「ダンスはもういいですか」
壁際のソファまで私をエスコートしてきたロッドが、つっけんどんに訊いてきた。
「はい。ありがとう……ございました……」
私は息も絶え絶えにソファに倒れ込む。
私達はさっきのダンスに続いて、次の曲も一緒に踊り終えたところだった。
この国では、それが婚約者同士のしきたりだからだ。
だが、たった二曲踊っただけで、私の息は完全に上がり、大きく開いたドレスの胸元には玉のような汗が浮いていた。
ロッドは仏頂面のまま、それでも通りかかった従僕を呼び止め、冷えた
「ありがとうございます。あの……ごめんなさい」
謝るのはこれで何度目だろう。あの後も私は何度もロッドの足を踏み、一度などは大きくよろけて隣のペアにぶつかってしまった。
その都度、ロッドは盛大に顔を顰め、聞こえよがしにため息をつく。
控えめに言って拷問だった。
「では、僕はこれで」
ロッドが軽く頭を下げ、婚約者の義務は果たしたとばかりにそそくさと去っていく。
私は、知らないうちに詰めていた息を吐き出した。
グラスの果汁を一気に飲み干し、お替わりをもらおうとあたりを見回す。
と、なかば広げた扇越しにこちらを見ている令嬢たちと目が合った。
三日月型に細めた瞳や、意味ありげにこちらを流し見る眼差し。くすす、と馬鹿にした笑い声が聞こえるようだ。
リドリー伯爵家のお荷物令嬢パトリシア。御年二十二歳の
莫大な持参金と引き換えに、どうにか婚約した相手にさえ、すでに疎んじられている――。
それが、この世界の〈私〉だった。
◇◇◇
西欧人特有の抜けるように白い肌。コテコテに巻いた髪は金髪で、瞳の色は紫だ。
色彩だけに注目すれば、まあまあ綺麗……と、いえなくもない。
でも、ここケレス王国では金髪などさして珍しくないし、白い肌も貴婦人ならば当たり前。
唯一珍しい紫の瞳は、残念ながら、盛り上がった頬の肉に埋もれており、よほど目を凝らさなければわからない。
そう。パトリシアはでぶだった。
せっかくの白い肌には、元の世界でいうアトピーだろう、吹き出物があちこちにできており、二重顎の隙間や、無駄に大きな胸の下には、しょっちゅう汗をかいている。
さらに、この世界でもあきらかに年齢とはミスマッチな、フリルとリボンがごてごてついたピンクのドレス。
我ながらこの姿はイタい。イタすぎる。
鏡張りの壁が続く無人の廊下で、私は一人、ため息をついた。
あれからしばらくソファで休んでいたものの、周囲の視線に耐えかねて、こっそり一人で抜けてきたのだ。
磨き抜かれた鏡に映る私の姿は、なまじ〈今とは違う私〉の記憶があるだけに、残念以外の何ものでもなかった。
しかも、である。
先ほど押し寄せてきた記憶によれば、パトリシアは性格もかなりの残念仕様だった……。
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