第4話

さらに数日が経ち桜庭の家を訪れてリビングへ向かうと、娘の両親は身なりが整っていて自分たちの気に入っている衣服に着替えて待っていてくれた。葵陽はスタジオで使う専用の定常光ライトなどの機材やカメラを設置して準備ができると夫婦と娘を椅子に座らせてカメラのレンズを見るよう指示をしていた。


「僕が指を差している所に顔と目を合わせてください。まず一枚撮りますね。……少し表情が硬いかな。一緒に深呼吸しましょう。胸を開いて、ふーっと口で吐いて……そうです。では何枚か撮っていくのでまたこちらのレンズを見てください」


葵陽が撮る隣でツジリも家族に声をかけながら数枚の写真を撮っていくと、次に彼女は居間へ行くように促して夫婦が着替えた後、再びリビングのテーブル席で彼らにいくつか質問をしていった。


「ご出生が長崎ですか」

「中学生になるまでいたのですが、ちょうど五歳の時に原爆投下の年にあたりましてね。長与という地域に住んでいたんです。なので私達は被爆したんです」

「私も被爆の二世になるんです」

「上京してきたきっかけは?」

「親戚が都内にいたので私が先に上京してその後に主人も長崎大学を卒業してからここに来たんです」

「はじめは地元にいようと考えていたんだが、被爆したことがたまらなく怖かった。どこへ逃げようが被爆の子は被爆の子。後ろ指も刺されてきましたが妻に会って運命を感じましたね」

「私の従兄弟にあたる方が主人を紹介してくれて、同じ長崎の生まれだと聞いて色々話をしているうちに一緒になろうかという経緯になりまして。その後娘も生まれたんです」

「その五十年はとても長く感じたよ。娘もいつ嫁ぐかずっと心配していたが、彼女の今の旦那さんが私らの婿養子として入ってきたこともあって、本当にえらい感謝していますわ」

「都内にも被爆した方たちの会があって毎年みんなで顔を出しに行くんです。なので戦争に関することはあまり触れずに、今私達がどのように過ごして穏やかに生きているかを語ることが多いんです」


戦争や被爆の経験をしてきた人たちはそのほとんどがその体験したことを語る人は少ない。秘めた思いを抱えながらこの世を去る人も多いが桜庭夫婦が些細なことを話してくれたお陰もあり、戦争を知らない葵陽とツジリは自分たちがどれほど恵まれていて自由に暮らしているかを改めて思い知ることができた。葵陽が機材を片付けているところに桜庭の父親がやってきてあることを話してきた。


「矢貫さん、これあなたに差し上げます」

「折り鶴ですか。お父さんが作ったのですか?」

「ああ。できればこれも一緒に記事に載せて欲しいんだ」

「何か理由でも?」

「これは、長崎にいる時に折ったもの。ずっと箱に保管してきたんだが、この薄く褪せたのが被爆の証なんです」

「それなら娘さんに渡した方が良いのでは?」

「生きた証を一人でも多くの人たちに戦争の惨さを知って欲しい。どんな大きな諸外国に囲まれてきていても、この小さな島国がどれだけ強く生きてこれてきたかを証明できればと思って……」

「わかりました。僕の方で大切に保管させていただきますね。ありがとうございます」

「あと……」

「何です?」

「施設に入ったあと妻の腎臓もあとどれくらい持つかわからない。その日が来たら彼女の写真を撮ってもらいたい。お願いすることは出来るかい?」

「いいですよ。またその時にお伺いさせていただきます」

「君にも感謝する。良い出会いができたな」


父親は葵陽の両手を握りしめて男同士の約束を果たしてほしいと言ってきた。その両手の温かさは力強く儚さを物語っているかのように感じたが、葵陽もまた彼らに出会えたことがまたひとつ心の優しさというものを覚えるようにも感じた。取材を終えて会社に戻ると深見が一人でデスクに向かって業務を行なっていた。


「おお、ご苦労だったな。桜庭さんはどんな人たちだった?」

「自分の祖父母と話をしている感覚でした」

「娘さんお菓子作りが得意で黒豆と豆乳でできたマフィンいただいたんです。社内のみんなも分もあるんで机に置いていきますね」

「俺もっと喰いたかったわぁ」

「あんたね、ずっと食べ続けていたらそのうちおデブになるわよ。気をつけなさい」

「あはは、やっぱり二人とも気が合うな。引き受けてくれてよかったよ。次の依頼は三日後だろう?」

「ええ。次は……十代の人たちか。高校生だっけ?」

「そう。別れるって何もまだ若いんだし、今回の企画から外れてしまうんじゃないかなってさ」

「いやいやあなどれませんよ。今の高校生の子たちだっていろいろ事情を抱えているからね。まず行くだけ行ってみてくれよ」

「葵陽、手紙読んでないの?」

「冒頭しか見てない」

「最後まで読みなさいよ。あんたの頭の中どれだけスイーツだらけなのよ?」

「うるさい。俺の身体はスイーツでできているから何時なんどきでも機転が利くんだよ」

「うざっ」

「何?!」

「まあまあいいだろう。次の取材に向けて準備を怠らないようにしてくれ。じゃあ先にあがるよ」

「今日早いですね。どこかへ行くんですか?」

「シイナ出版さんとの会合。ツジリちゃんの部長さんにも会ってくる」

「あまり裏口叩かないでくださいよ」

「しないよ。じゃああとよろしくな」

「お疲れさまです」


ツジリは今日の原稿分を会社に戻って仕上げるので彼女も会社を出ていった。葵陽は写真の編集作業に取り掛かっているとスマートフォンにある一通のメールが届いたので開いてみると、登録してある結婚相談所の担当のカウンセラーから数名の候補者が出たので後日来て欲しいという連絡だった。


彼は誰にも見られないように小さくガッツポーズをしていた。

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